小グループで聖書を学ぶ
35 模範となった聖徒たち(使徒17:1〜9)

「心の門を開いて」

 高慢になって自分を立派に見せようとする人がいます。また、自分はだめだと劣等感に陥る人もいます。高慢も劣等感も表裏一体と言われます。聖書は、高慢でも劣等感でもなく生きる姿を教えています。テサロニケで救われた人々の信仰から学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 ピリピで地下牢から釈放されたものの、退去命令を受けたパウロたちは、イグナティア街道を西へと進み、テサロニケに来ました。鞭打たれた体で、160kmほど歩いてテサロニケに至り、その姿は体も服装もぼろぼろでしたが、心は燃えていました。パウロは、その町で何をしましたか。その結果、どんなことが起きましたか。
・1〜4節/


2 テサロニケは、属州マケドニヤの州都で、政治経済の中心地、人口20万を超える大都市でした。自由都市であり、5人か6人の行政長官が治める自治都市でした。税金が優遇されていたので商人や裕福な人々が多く集っていました。人々は、ギリシヤの文学や哲学をたしなんでいました。そのような町での宣教は、一方的に福音を語るだけではありません。今までと違ったどんな特徴がありますか。
・2〜4節/


3 会堂にいたギリシヤ人は、聖書の教えに謙虚に耳を傾け、質問し、語り合いました。そして、納得して福音を信じました。3節の内容は、福音の核心です。なぜ、十字架の死とよみがえりが共に言われているのですか。
・3節/
・ローマ4:25,Tペテロ1:3/

4 私たちの罪の代価を支払うために死なれたのに、死で終わってしまったら、イエス・キリストを信じる私たちも、死んで終わりでしかならないからです。しかし、イエス様が死を打ち破って復活されることで、私たちに死を越える永遠の命を与えることができるのです。会堂にいた多くのギリシヤ人と少数のユダヤ人は、謙遜に誠実に御言葉を聞き、信じました。しかし、多くのユダヤ人は、パウロの福音宣教にどんな対応をしましたか。
・5節/


5 ユダヤ人は、普段その社会的権威や財力をもって、他の人に対して高慢でした。ところが、傷ついて貧しそうなパウロの言うことを人々がよく聞いて福音を信じ、パウロが尊敬されているのを見た彼らは、プライドが傷つき、劣等感を感じて、強く妬みを覚えたのです。妬みという罪は、次々と別の罪を引き起こします。どんなことをしていますか。
・6〜8節/


6 妬みは、怒りや憎しみまで生じ、攻撃にまで至らせます。私たちは、どんな状況において妬みが生じますか。妬んだ結果、どんな言動に及びましたか。
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7 テサロニケの聖徒たちは、信じただけに留まらず、互いに励まし、互いの徳を高めるものとなり、その信仰が成長しました。その謙遜な信仰の姿は、その後周りの諸教会や聖徒たちにどんな影響を与えるようになりましたか。テサロニケ人への手紙を見てみましょう。
・Tテサロニケ5:11/
・Tテサロニケ1:7〜8/

8 テサロニケ教会の聖徒たちの信仰は、ギリシヤ中の諸教会の聖徒たちに影響を与え、模範となりました。模範となったというその特徴の基は何ですか。
・Tテサロニケ1:6/


9 苦しみに耐え情熱をもって宣教したパウロの信仰に倣って、彼らも、御言葉と聖霊の導きを受けて、迫害を克服し、信仰を前進させました。パウロ自身、コリント教会やピリピ教会の聖徒たちに対して、自分に倣う者になってほしいと言っています。それは、一見自信過剰、高慢と見えますが、どういうことなのですか。パウロは、その基はどこにあるのですか。
・Tコリント4:16,ピリピ3:17/
・Tコリント11:1/

「命の実を刈り取ろう」

 どんなに知識や経験を積んだとしても、霊的な模範とはなれません。たとえ欠けや弱さがあったとしても、主に倣っていくならば、その人の姿勢が他の人の模範とされます。Tテサロニケ1:7で「模範」と訳された原語は、貨幣に刻印され像を意味しています。イエス様を信じて救われた聖徒たちには、イエス様の像が刻印されているのです。ガラテヤ6:17,Uコリント1:22。また、この模範は、単数形です。おそらく模範となる聖徒たちの共同体、模範となった教会という意味なのでしょう。私たちの教会も、模範となることができます。学びを通して与えられた気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。Tテサロニケ1:6〜7。

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