小グループで聖書を学ぶ
36 熱心に聴いて、調べ(使徒17:10〜15)

「心の門を開いて」

 熱心というと良いイメージでしょうか。しかし、間違った熱心もあります。今日の箇所の良い熱心と間違った熱心の例から、熱心という言葉を中心に御言葉の教えを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 テサロニケのユダヤ人が、ならず者を使って暴動を起こしていたので、テサロニケの聖徒たちは、パウロたちをベレアという町に避難させました。その町は、テサロニケから80kmほど南西にある町で、イグナティア街道から外れた丘の上にある小さな町です。文化と経済の大都市テサロニケとはまったく違った町でした。その違いが、福音に対する人々の驚くべき違いを見せることになります。どんな反応ですか。
・10〜11節/


2 「素直」と訳された原語の意味は、「上品、高貴、気高い」です。大都市テサロニケのユダヤ人より田舎町ベレアのユダヤ人の方が気高い品性を持った人々でした。そんなベレアの人たちは、御言葉を熱心に聞き、素直に受け止め、聖書を読んで確かめました。聞いて終わりではなくて、聖書が何を言っているのか調べ、考えたのです。そんなベレアの人たちと御言葉に対する自分を比べてみると、どうですか。
・マタイ13:18〜23/(参考)


3 私たちが主の日の礼拝で御言葉を聞き、週日黙想し、セルで分かち合い、御言葉の適用に導かれて行くという姿は、このベレアの人々と似ています。ベレアの人々が御言葉を非常に熱心に聞き、調べた結果、その反応は、テサロニケのユダヤ人とどう違いますか。
・12節/
・使徒17:4〜5/

4 御言葉を聞き、調べたというベレヤのユダヤ人は、「非常に熱心に」ということが強調されています。私たちは、この熱心さに倣いたいと思います。非常に熱心に聞いたからこそ、熱心に御言葉を黙想し、熱心に調べたのです。そして、素直に信じたのです。ところが、熱心ではあっても、間違った熱心に陥っていた人々がいました。同じユダヤ人でも、妬みに駆られたテサロニケのユダヤ人は、どうしましたか。
・13節/
・ピリピ3:6/

5 テサロニケのユダヤ人たちは、情報手段のなかった昔に、こんな街道から外れた町ベレアまで追って来るほど、パウロを捕らえ、迫害することに熱心でした。しかし、この熱心さは、間違った熱心です。なぜ、テサロニケのユダヤ人はこのようになったのでしょうか。ベレアのユダヤ人と比べてどうですか。
・箴言19:2/
・箴言11:27/

6 テサロニケのユダヤ人は、妬みの感情の方が強かったので、始めから調べようとしません。妬みの感情は、熱心な迫害に向かいました。私たちは、このようなユダヤ人の姿を他人事として片付けることはできません。私たちも時には、負の感情に引き回されます。御言葉の教えよりも、自分の肉の思いによって動き、誤った熱心に進むことがあるからです。パウロもありました。誤った熱心になった例を分かち合ってください。



7 テサロニケのユダヤ人による迫害のために、ベレアの聖徒たちは急いでパウロをベレアから逃します。こんな街道から外れた町にまで追って来るのですから、どこか近くの町へ連れて行ってもすぐに追って来るでしょう。そう思ったベレアの聖徒たちは、どうしましたか。結局、どこまで連れて行きましたか。これは、どういうことになりますか。
・14〜15節/
・使徒16:8〜10/(参考)

8 こうして、パウロは、計画していなかったアテネまでやって来ました。アカイヤ州の首都アテネ、ギリシャ文化の中心地です。一刻の余裕もなく港で急いで乗った船がアテネ行きだったのでしょう。主は、ヨーロッパ伝道に思いのなかったパウロをトロアスの港まで導き、そこでマケドニヤ人の幻を見させて、ピリピに渡らせました。すべて主の御旨によることですが、それは、どのようなものだと言えますか。
・イザヤ9:7, 37:32 /


9 御言葉を聞き、調べるのに非常に熱心だったベレアの人たち、その熱心が彼らを救いへと導き、その的確な判断がパウロを助け出し、アテネまで連れて来ました。これは、ベレアの人たちの熱心さに主の熱心が答えてくださったと言えるでしょう。そのような例があれば、証ししてください。
・箴言8:17 /

「命の実を刈り取ろう」

 私たちも、ベレアの聖徒たちの熱心さに倣い、熱心に御言葉に聞き、熱心に主の導きを求めて歩みたいと願います。そんな私たちに対して、主の熱心が導いてくださるでしょう。学びを通して与えられた気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。イザヤ9:7。

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