小グループで聖書を学ぶ
41 神のみこころに従って(使徒18:18〜23)
「心の門を開いて」

 第2回伝道旅行は、当初小アジアのエペソに行く予定であったのに、聖霊に禁じられてヨーロッパへと渡りました。しかし、ギリシヤへの町々を経て、ついにエペソに来ることになります。そこで、パウロは、「神のみこころなら、戻って来ます」と言いました。パウロの姿を通して、主のみこころに従って生きる聖徒の生き方を学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロは、コリントにおいて落ち込み、恐れおののいて弱くなっていたものの、人との出会いによって立ち上がることができました。驚くべき方法でユダヤ人の迫害から守られ、助けられ、1年半にわたる宣教を終えることができたのです。そして、コリントのエーゲ海側の港ケンクレヤに来ました。ここでパウロは何をしていますか。それは、どんな意味ですか。
・18節/
・民数記6:2,5,18/

2 ナジル人の誓いとは、自分を神のものとして区別し、神の前に聖別されたものとして生活することです。神様の恵みに感謝して自分を神にささげることを誓うのです。その期間は髪の毛を切らずに伸ばします。聖徒たちは、このようなナジル人の誓いをしなくても、どのように生きるようにとイエス様は教えましたか。
・マタイ6:24/
・マタイ6:33/

3 ナジル人の誓いは、弱く恐れておののいて、落ち込んでいたパウロが、助けられ、守られて立ち上がることができ、その神の恵みに対する感謝の応答と見ることができます。イエス様の十字架によって救われた私たちは、どうでしょうか。このケンクレヤでのパウロの思いを知って、自分はどうだろうかと省みてみましょう。



4 クリスチャンとは、驚くべき救いの恵みに感激して、自分を神にささげ、神に仕え、神に栄光を帰するように生きようとする者です。パウロは、ケンクレヤ港からエーゲ海を渡って、小アジア半島のエペソに着きます。そこに着いてから、何をしていますか。ここでの反応は、どうですか。なぜユダヤ人は騒いでいないのでしょうか。
・19〜20節/
・使徒18:13〜14/

5 コリントでのガリオ判決が、エペソにも影響を与えていたのでしょう。エペソのユダヤ人は、扇動する者もなく、みなパウロの聖書の解説を聞いたり、質問したり、対話したのです。心が開かれて、聖書が教えていた福音がよく分かって来ます。もっと長くとどまるように頼んだという驚くべき反応でしたが、パウロは何と答えましたか。これは、どういうことをあらわしているのですか。
・20〜21節/


6 当初目指していたエペソではなく、ギリシヤに導かれました。これが神のご計画だったのです。神に導かれながらギリシヤの町々を巡り、この伝道旅行を通して、神のみこころに従うということを学びました。徹底して神のみこころに従う生き方をするようになりました。はたして、私たちは、神のみこころを尋ねて、従って生きようとしているでしょうか。御言葉は、私たちがどう生きることを勧めていますか。
・ヤコブ4:15/
・Tペテロ4:2/

7 
なら、天地万物をお造りなった神が私の神であり、すべてをご支配されて神が自分を導いてくださいます。神様は、私たちが自分に向けられた神のみこころを尋ねながら生きることを望んでおられます。神のみこころを知ることは難しい、分からないという声があります。どうしたら神のみこころを知ることができるのでしょうか。あなたはどう思いますか。
・ローマ12:2/(参考)
・コロサイ1:9/(参考)

8 留まってほしいという願いを聞き入れないで、パウロが向かったところはどこでしょうか。どんな地域の教会ですか。それらの教会に行って、そこの聖徒たちに、どんなことをしたのでしょうか。
・22〜23節/
・使徒14:27,15:4/

9。エルサレム教会とアンティオキヤ教会、そして小アジヤの諸教会に巡り、行く先々で聖徒たちの安否を問い、伝道旅行の様子を報告したことでしょう。報告を聞いた聖徒たちは、どんな恵みを受けたのでしょうか。パウロたちは、何の目的で諸教会を尋ねて、報告したのでしょうか。
・23節,ルカ22:32/
・Tテサロニケ3:7〜8/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、十字架に向かう時に「わたしの願いではなく、みこころがなりますように」と祈られたイエス様によって救われた者です。ルカ22:42。私たちも、パウロのように御国に召される瞬間まで、自分に対する神のみこころを尋ねて従う、献身の人生を生きていこうと願います。受けた適用や導きを分かち合い、祈りましょう。ローマ12:2。

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