小グループで聖書を学ぶ
45 群衆心理(使徒19:20〜41

「心の門を開いて」

 19世紀末ギュスターヴ・ル・ボンは、名著「群衆心理」において、群衆心理の功罪を鋭く分析し、付和雷同などの群衆の非合理的な行動に警告を発しました。現代社会も、インターネットやメディアなどにおいて、人々が自主的に判断し、行動する主体性を失い、浮遊する集団と化すことが多くなっています。今日の箇所にも群衆が登場し、騒動を起こします。扇動者と群衆、騒動を静める者の姿から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 アルテミス神殿は、各地から大勢の参拝客が訪れ、門前町では様々なお土産品が売られ賑わっていました。しかし、多くの人々が福音を聞いて、悔い改め、偶像や占いなどから離れるようになると、アルテミス神殿の門前町の商売に影響を及ぼすようになりました。そのために、どんな人が何をするようになりましたか。
・23〜25節/


2 銀細工人組合長みたいなデメテリオが、職人や同業者を大勢集めて、訴えます。このデメテリオという人は、かなり巧妙な扇動家です。人々を扇動しようとする表向きの大義名分を掲げていますが、本音もちらほらしています。それぞれ、どんなことですか。
・25〜27節/


3 集まっていなくても、うわさ話においては、集団心理が働いて物事を曖昧にとらえる傾向があり、うわさ話の発生源が信憑性の薄いことであっても、時間が経過するにつれて、説得効果が高まる効果があります。こうして、結果的に発生源の現場で見聞きしていない人々に曖昧な情報が、さも事実かのように広がって行きます。何か思い当たることがあれば、分かち合ってみましょう。
・出エジプト23:1,イザヤ29:21/(参考)
・Tテモテ5:13/(参考)

4 うわさ話や伝聞において、名分が表面を覆い、本音が隠されている場合があります。それでも、集団心理によって、曖昧なまま伝わり、事実とは違ったことも受け止められて行きます。ですから、本当に聞いたとおりなのか、脚色されてはいないか、誤解がありはしないか洞察してみることが必要です。そのために、信仰はどんな助けをしてくれますか。
・ヘブル4:12,/
・エペソ5:10/

5 聴衆は、職人や同業者だけでなく、町の人々や巡礼者も加わり、群衆となりました。扇動家デメテリオの演説を聞いた人々の反応はどうですか。何をしていますか。
・28〜29節/


6 群衆心理のメカニズムによれば、人は、群衆の中にいる時、論理でなくスローガンなどによって「暗示」を受け、その「暗示」が群衆の中で「感染」し、その結果、群衆は「衝動」の奴隷になると言っています。エペソの群衆も、演説や叫び声で暗示を受け、それが感染し、パウロの同労者をつかまえて、劇場になだれ込む衝動となりました。現代でも、人々がメディアやネットによってたやすく扇動されてしまう群衆心理が警告されています。そんな現代社会の中で生きる私たちには、何が必要ですか。
・ローマ12:2/


7 パウロがすぐにその劇場に入っていこうとしましたが、弟子たちと友人の高官が止めました。劇場に入っている群衆の様子を見ると、その理由が分かります。群衆心理のどんなに危険な特徴が現れていますか。
・30〜31節/
・32節/

8 何のために集まったのかさえ知らず、群衆心理に引かれて、訳も分からないまま叫んでいた群衆が疲れて来た頃、賢い町の役人が群衆を静めます。どうして、群衆を静めることができたのですか。町の書記官の演説から、どんなことが学べますか。
・35〜40節/


9 書記官は、群衆の誇りに訴えて、自尊心にふさわしく行動するように求めました。丁寧に説明して群衆を説得し、騒乱罪に問われる恐れがあると言って解散させました。その集団を33,35節では、「群衆」と呼んでいるのに、同じ集団を40節では「集まり」と呼んでいます。これは何を意味しているのですか。どんな示唆を受けられますか。
・33,35, 40節/

「命の実を刈り取ろう」

 デメテリオの扇動によって危険な群衆と化した人々も、書記官によって説得された時には、ただの人々の集まりになりました。40節の集まりの原語は、エクレシアです。その原意は、「〜から呼び出された者」ということで、「教会」をあらわすのに使われています。まさに、教会は、イエス様を信じることによって、世から神へ召し出された者の集まりです。イエス様を主としていなければ、ただの人の集まり、群衆ともなりますが、イエス様を主と迎え、御言葉に聞き従って行こうするなら、真の召された者の集まり、教会となります。適用や気付きを分かち合い、互いのために祈りましょう。ローマ12:2。

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