小グループで聖書を学ぶ
通じる言葉(使徒2:1〜12

「心の門を開いて」

 教会暦でペンテコステ聖霊降臨日というのは、主の復活から50日目に約束の聖霊が降った日です。初代教会の始まり、誕生日とも言われます。新しく始まる教会の力、新しい働きをするクリスチャンの力とは、どこから来るのでしょうか。今日のペンテコステ聖霊降臨の箇所を通して、学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 復活されたイエス様に会った感激と昇天の栄光に接した弟子たちではあっても、イエス様がいなくなった今、心配と恐れで何もできませんでした。彼らが、イエス様の弟子として生きて、働くには、何が必要でしたか。そのためにどうしていましたか。
・使徒1:8/
・1節/

2 この時の弟子たちは、ちょうど私たちが仕事や問題のために、恐れや不安を抱いている時と同じでした。聖霊が臨まれる時力を受けるという約束を信じて、祈っていた弟子たちに、何が起こりましたか。それは、何のことをあらわしていますか。
・2〜3節/
・ルカ3:16/

3 聖霊が「一人一人の上に」臨み、ここから弟子たちの驚くべき働きが始まりました。初代教会の奇跡のような姿が、始まりました。それと比べて、なぜ今日の聖徒たちの信仰生活に力がないのでしょうか。なぜ、必要な時にやる気が出ないのでしょう。どうして、苦しくて無気力になるのでしょうか。私たちには、聖霊がおられないのですか。何が問題なのですか。
・ヨハネ14:16〜17/
・エペソ5:18/

4 弟子たちは、何をするために聖霊に満たされたのでしょうか。聖霊に満たされた弟子たちは、何をするようになりましたか。
・4〜6節/
・使徒1:8/

5 五旬節とは、過ぎ越しの祭りから50日目に行う七週の祭りのことで、この時世界中からユダヤ人と改宗者が巡礼のためにエルサレムに来ていました。御霊が弟子たちに語らせてくださったので、人々はそれぞれ自分の国の言葉で福音を聞くことができました。聖徒たちも、主の働きのために、信仰によって事を行うのであれば、御霊の力を受けて用いられ、事を行うことができます。私たちが、主の弟子としてその場に遣わされているという信仰で臨むのであれば、その働きも御霊の力を受けて行うことができるでしょう。あなたは、これらのことについてどう思いますか。



6 私たちは、どのように聖霊を受けるのですか。敬虔な人であった彼らは、素直に福音を聞いていました。その結果、どうなるのですか。
・使徒2:37〜38/


7 聖霊降臨の目的は、勉強しなくても外国語が話せることではありません。ペンテコステの出来事は、通じる言葉が語られ、心が通じて福音が伝わったということです。この他国の言葉とは、意思疎通と共感の言葉です。私たちは、通じる福音を証しし、心に伝わる言葉を語っているでしょうか。私たちの生活は、生活伝道となっていますか。



8 人の言葉が混乱し、通じなくなったのは、バベルの塔事件以来です。人々は、通じなくなった言語のために混乱し、傷付いて、ばらばらになりました。私たちの言葉の習慣や言語行動が、聖霊降臨の意義を消してはいませんか。簡単に非難して、皮肉な言い方をしたり、毒を吐いたりしていませんか。何事にも否定的な口調ではありませんか。
・創世記11:7〜9/
・Tペテロ2:1/

9 今日、職場でコミュニケーション能力が重要視されたり、社会でコミュニケーション障害が取り沙汰されたり、意思疎通の大切さが注目されています。私たちのコミュニケーションはどうでしょうか。周りの人と通じる言葉で話していますか。心は通じていますか。人々の間では、同じ言語でも通じていません。職場や学校でも、親子や夫婦の間でも言葉が通じていません。心が通じません。悪口に使っています。他人の心を傷つけて怒らせ、落胆させるために使っています。私たちは、どのように言葉を用いるべきですか。
・ローマ15:2/
・Tテサロニケ5:11/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちのコミュニケーションに障害があるならば、それは、神様との意思疎通が滞っているからではないでしょうか。聖霊を受けるまでの弟子たちは、イエス様とともにいながら、イエス様と深いところで通じていませんでした。弟子たちは、ペンテコステの日、聖霊の満たしを受けて、変えられ、共に用いられる弟子たちとなりました。私たちも、聖霊に満たされて、力を受けて主の栄光をあらわす働きができるように、聖霊によって私たちの内なる人が強くされますように願います。与えられた適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。ローマ15:2。

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