小グループで聖書を学ぶ
48 思い巡らす黙想の道(使徒20:13〜16)

「心の門を開いて」

 京都に「哲学の道」という散策路があります。哲学者西田幾太郎や田邉元などがこの道を歩きながら思索を深めていたのに因んで名付けられたそうです。パウロが一人、道を歩いて黙想している信仰の姿から、私たちも思い巡らしながら歩む信仰生活を学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 トロアスで感動的な礼拝を聖徒たちとささげたパウロたちは、月曜日トロアスを出発して南にあるアソスへ向かいました。同行者がいて、急ぐ旅なのに、パウロだけ不可解な行動をとっています。それは何ですか。
・13節/


2 旅を急いでいたにもかかわらず、同じアソスに行くのに、パウロは、自分一人だけ歩いて行くと決めたというのです。老いて傷付いた体にも、歩きより船の方が楽なはずです。なぜ、一人だけ歩いて行くのでしょうか。引用聖句から、その理由を考えてみましょう。
・3,16節/
・使徒20:22〜23/

3 マケドニアからトロアスに来るまでに、聖霊によって、行き先がシリアからエルサレムへ変更され、エルサレムでは「鎖と苦しみが待っている」と教えられていました。「御霊に縛られて」とは、パウロのどんな思いが表されていますか。もし、あなたがこれから苦しい辛いことに出会うと分かったら、どんな気持ちになりますか。
・詩篇73:14〜16/(参考)
・詩篇42:9/(参考)

4 アソスという町は、哲学の盛んな所です。有名な哲学者アリストテレスがここで哲学を教えていました。アリストテレスは、散策しながら教えていたので、彼の学派は、逍遥(しょうよう)学派と呼ばれました。このことを知っていたパウロは、アソスまでの道を自分一人歩いて思い巡らし、黙想するために、別行動を取ったのだと思われます。どのように思い巡らしたと考えられますか。
・詩篇77:11〜12/
・詩篇48:9/

5 始めは、「どうして鎖と苦しみが待っているエルサレムに行かなければならないのですか。他の道を用意してください」などと嘆き、訴えたことでしょう。しかし、思い巡らしながら、これまでの導きの確かさを思い出しました。黙想して、苦難や試練の中でも変わりなく導いてくださる神様への信頼が増して来ました。歩きながら、思い巡らし黙想した結果、パウロはどんな心になりましたか。
・使徒20:24/


6 私たちも、「どうして、なぜ」ということに出あう時、どうにも受け止めがたい現実に向き合う時、葛藤し、嘆き、悲観してしまうでしょうが、それでも、パウロのようにその問題や出来事を思い巡らし、黙想してみるのです。主に申し上げるのです。そうすると、どんな導きを受けることができると聖書は教えていますか。
・詩篇73:16〜17/
・箴言16:9/

7 思い巡らしながら、今は分からないが、主が与えてくださったローマまでの道も、エルサレム以後開かれるのだろうと思うようになったのでしょう。パウロがアソスで先に船で来ていた同行者たちと落ち合った後の行程はどうですか。それは、なにを意味しますか。
・14〜16節/


8 アソスへの道は、黙想の道でした。パウロは、アソスに着いた頃には、心が定まって、エルサレムへと急ぐことができるようになりました。私たちにとっても、この信仰で思い巡らし、黙想することが必要です。思い巡らして黙想した結果、心落ち着いて問題を受け止められた、乗り越えられたという例があれば、分かち合ってください。



9 何か問題や試練がある時、戸惑い迷っている時ばかりでなく、私はどう生きるか、どんな思いが必要か、主は自分に何を求めておられるのか、どのように働き、学ぶのか、どのように用いられるのか等々、思い巡らし黙想することが必要です。黙想を勧める御言葉を引用しながら、御言葉を思い巡らし黙想する効用を確認しましょう。
・詩篇63:6〜8/
・詩篇62:8/

「命の実を刈り取ろう」

 人は自分が望まない道を行く時、不安や恐れがあります。この不確実で混沌とする世にあって生きて行くには、主の助けや導きが必要です。それを得るためには、信仰の友と共に集まり礼拝し、御言葉の恵みを分かち合い、互いに励まし合うとともに、日々御言葉によって思い巡らし黙想する信仰生活が必要です。新しい年が、思い巡らし黙想する歩みとなりますように願います。学びを通して受けた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。箴言16:9。

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