小グループで聖書を学ぶ

50 自分と群れに気を配る(使徒20:28〜38)

「心の門を開いて」

 パウロの遺言のような訣別説教の後半は、エペソ教会の長老たちに、教会とは何か、聖徒たちはどう生きるのかについて語った内容となっていますので、私たちにも語られたこととして学びたいと思います。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 3年間エペソ教会でともに礼拝し、ともに仕えて来た長老たちに、万感の思いを込めて、遺言のような訣別の言葉を語りました。何と語っていますか。
・28節/


2 「あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい」と命じている理由は、聖徒と群れが「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」だからです。ここに教会の本質が端的に説明されています。教会は、どのように立てられたものだというのですか。引用聖句によれば、教会は、どういうところだと記されていますか。
・Tテモテ2:6, ローマ8:32/
・コロサイ1:18/

3 教会は、神の御子イエス様の尊い犠牲を払って立てられたものです。神様は、人を救うために、人の罪の身代わりとして御子イエス様を十字架に渡されました。イエス様は、そのからだなる教会のかしらだと言われます。ですから、私たちが葛藤し、苦しむならば、そのかしらなるイエス様が痛み、苦しまれるのです。私たちは、教会と自分をどのように見なければならないと思いますか。



4 教会は神が御子イエス様の尊い犠牲をもって立ててくださったものと見て、自分自身は御子イエス様が十字架に渡されて救われた者だと見るならば、大切で重要な存在として自分自身と教会全体に気を配らなければなりません。パウロは、エペソの長老たちに、まずどんなことに注意するように言っていますか。その例えは、どんな人たちのどんな行動を示しているのですか。
・29節/


5 凶暴な狼に例えられている偽預言者や間違った教えをする者たちが入り込んで来て、羊に例えられている聖徒たちを惑わし、信仰から引き離そうとします。現代社会にも、様々な偽りの教えがあります。私たち自身が気を付け、聖徒たちにも気を配る必要があります。エペソ教会は、この点についてどのようにしましたか。
・黙示録2:1〜3,6/


6 偽り者を見抜き、間違った教えをする者たちを退けたことが評価されています。そういう惑わしや試みに耐え忍び、疲れ果てることがなかったと称賛されています。パウロは、もう一つ気をつけるべきことを警告しています。その意味することはどんなことですか。分かり易く言い換えてみましょう。
30節/
・Tコリント3:3〜4,ローマ8:7〜8/(参考)

7 「曲がったこと」というは、人の肉の思いに合わせてあれこれ言って、御言葉を曲げて、聖徒たちの信仰を歪めてしまうことです。そして、妬みや争いを生じさせるのです。神を愛するよりも、自分の肉の思いを優先するようになります。エペソの教会の聖徒たちの中からそう言う人が出て来ると警告しています。果たして、この点についてエペソ教会はどうなったのでしょうか。あなた自身の「初めの愛」は、どうなっていますか。
・黙示録2:4〜5/


8 では、そんな危険に陥らないためには、どうすればいいのでしょうか。偽り者から自分と聖徒たちを守り、信仰を歪める誘惑に陥らないようにするには、どうするように勧めていますか。
・31〜32節/


9 エペソでパウロが3年間人々に語ったのは、恵みの御言葉でした。御言葉が、聖徒たちを成長させ、養い、整えてくれるからです。エペソの長老たち聖徒たちが、神とその恵みの御言葉に従うように、御言葉の養育を続けてくれるように頼みました。そして、最後に、エペソで聖徒たちに常に示して来たことを勧めています。読んでどう思いましたか。
・35節/

「命の実を刈り取ろう」

 パウロが語り終えた後、エペソの長老たちとの感動的な別れの様子が記されています。36〜38節。パウロの語ったことやエペソでの生き方がエペソの長老たちへの遺言となったからです。私たちはどのように生きて、どんな遺言を残すのでしょうか。パウロが示していたのは、救ってくださった主を愛して、御言葉に聞き従い、自分と群れに気を配り、教会を立て上げることでした。信仰で生きて、信仰で働き、信仰で人々に仕えた人生を生きるなら、それが遺言となります。与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。使徒20:28。

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