小グループで聖書を学ぶ
47 ひとかたならず慰められた(使徒20:7〜12)

「心の門を開いて」

 科学や歴史において、新資料や新説を知って、それまでの認識が覆されるということがあります。今日の箇所も、説教中に居眠りした人が窓から落ちた事件から、礼拝で眠らないようになどと流布されていますが、もっと大事なことが教えられています。トロアスの教会で起こった事件を通して、聖徒たちが受けた慰めを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロたちは、マケドニアのピリピから小アジアのトロアスに上陸しました。旅を急いでいたにもかかわらず、そこに七日間滞在しました。なぜですか。何をするためですか。
・6〜7節/


2 聖徒たちは皆パウロから話を聞きたがっていたし、パウロも聖徒たちと交わり、御言葉を伝えたかったので、熱心に礼拝に集まり、長い時間御言葉を聞き、交わりをしました。7節に、「週の初めの日に」とありますが、なぜ、初代教会で、それまでの土曜日安息日に礼拝をささげるのでなく、日曜日にするようになったのでしょうか。その記念することは、何を強調していますか。
・マタイ28:1,6/
・Tコリント6:14,Tペテロ1:3/

3 聖徒たちは、一日の生活や労働を終えて、夜に集まって来ました。一週間の労働の疲れや生活の問題をもって礼拝に来ていました。当時の聖徒たちは、奴隷や召使いのような人々が多かったようです。人生の悩みも多く、忙しく働きとても疲れていましたが、どんな思いで出席していたのでしょうか。長い時間を過ごしていたのでしょうか。
・ヘブル10:25/(参考)


4 聖徒たちは、忙しいし、疲れているから、問題や悩みがあるから、なおさら熱心に礼拝に集まって来ました。礼拝を通して霊的命を与えられるからです。しかし、疲れをおして出席したけれども、パウロの話や話し合いが長く続くものですから、事件が起きました。どんな事件ですか。
・8〜9節/


5 中高生くらいの若者であったユテコは、一日中働いて、体が疲れていたにもかかわらず、休まないで来ていました。たくさんの灯りのための酸欠と疲れの悪条件の中で眠気と戦いながら、眠るまいと窓に座り、御言葉を聞こうとしていたのです。これもまた、礼拝に対する熱心な姿です。この時、あまりの眠気で窓から落ちて死んでしまったユテコはどうなりましたか。これは、何を意味しているのでしょうか。
・10節/
・T列王17:21〜22/

6 これは、礼拝が霊的命と癒しを与える場であることを、如実に示してくれた出来事でした。礼拝には、癒しがあります。私たちは、生きて行く中で、肉体が病気になる時があり、心の病を持つ時もあります。礼拝は、霊的命を与えられる栄光の時です。私たちも、一週間労働や生活の中で疲弊し、様々な問題や事件に翻弄されて、悩みと不安、苦しみと葛藤をもって主の前に出て来ます。礼拝を通して、そんな心が癒され、思いが変えられ、導きを受けた例を分かち合ってみましょう。



7 この時、パウロは、「心配することはない。まだいのちがあります」と言いました。この事件に驚き、「教会なのに、こんな事件が起きるなんて。何か悪いことをしたせいなのか。あいつはいつも居眠りしているからだ」などと言って騒ぐ人が出て来る場面です。何か事件や問題が起った時、私たちは、どうしますか。どう勧められていますか。
・詩篇62:8,ヨハネ14:1/
・ローマ8:28/

8 聖徒たちの人生においても、様々な問題が生じるものです。もしその時、肉なる思いに囚われて騒ぐとしたら、むしろ試みに翻弄され、試練は増加してしまうでしょう。問題や事件の中でも、神のみ前に出て礼拝することです。この事件の後、聖徒たちは驚くべき信仰の姿を見せています。何をしていますか。このことは、何を意味しているのですか。
・11節/
・ルカ22:19〜20/

9 「パンを裂く」とは、聖餐式のことです。こんな事件の後なのに、忘れずに聖餐式を行っています。いや、この癒しを通して、イエス様の犠牲によって命が与えられていることを改めて覚えて、聖餐式をしたのです。こうして霊的命を与えられることを覚えて、聖徒たちはどんな思いを与えられましたか。聖徒たちの気持ちを想像してみましょう。
・12節/

「命の実を刈り取ろう」

 礼拝は命です。礼拝が私たちを生かす道です。様々な問題、忙しい生活、労働の疲れの中でも、熱心に礼拝を持っていた聖徒たちがこのような命溢れる礼拝を体験することができました。私たちも、祈りの力、御言葉の養い、聖餐の恵みのある礼拝を通して霊的命を与えられ、育まれ、救いによって与えられた新しい命によって生きて行く一人ひとりとなることを願います。導きや適用を分かち合い、祈りましょう。Tヨハネ5:11〜12。

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