小グループで聖書を学ぶ

53 それでは、どうしましょうか(使徒21:15〜26)

「心の門を開いて」

 社会では、人のためにと頑張ったのに、感謝されなかったり、報われなかったりすると、むなしくなり、疲れてしまうと言われます。また、よかれと思ってしたことで責められたり、他のことで文句を言われて、憤慨することも多いそうです。そんなことを思い起こさせる今日の箇所ですが、どんなことを教えてくれるのでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロの一行は、カイサリアを出発して、いよいよエルサレムへ行くことになります。鎖と苦しみが待っているというエルサレムです。そのエルサレムでの宿泊について言及されています。誰の家に行きますか。どんな人ですか。名前についている説明から、考えてみましょう。
・15〜16節/
・使徒11:19〜20/

2 おそらくキプロスからアンティオキアに来た人々の一人で、初めに異邦人に福音が伝えられた頃に救われた人なのでしょう。忠実に信仰を守り通して来た人、ずっと誠実な信仰生活をしている人、信頼されている人であるようです。パウロを泊めることで迫害の巻き添えや被害も当然予想されますが、どんな思いでパウロ一行を迎え入れる宿泊所となるようにしたのでしょうか。
・ローマ14:18/(参考)
・ローマ16:4/(参考)

3 ムナソンは、見返りや称賛も望まず仕え、ただ用いられることを喜ぶ信仰生活だったようです。私たちもやがてムナソンのような意味での「古くからの弟子となる」ことを望みます。エルサレムに着いた後、パウロはエルサレム教会のヤコブや長老たちに会って、報告をします。どんな報告をしたのでしょうか。それに対する彼らの反応はどうですか。そこには当然かけてもらえるような言葉がありません。どんなことですか。
・18〜19節,ローマ15:25〜26/
・20節前半/

4 パウロの報告したことは、幾多の問題や迫害に遭いながら福音を伝え、多くの人々が救われたことです。そして、ギリシアや小アジアの異邦人教会が、エルサレムの聖徒たちへ支援献金をしてくれたことでしょう。それを聞いた彼らは、神をほめたたえましたが、パウロの素晴らしい働きへの称賛や異邦人教会からの献金に対する感謝の言葉はありませんでした。頑張ってきたことに対して、何の感謝も称賛もないとしたら、人はどんな気持ちになるでしょうか。自分だったら、どうですか。



5 一般的に、誰かに良いと思ってしたことで感謝や称賛がないと、反応が冷たいと思い、頑張っても評価や報いがないと、むなしさや疲れを覚えるでしょう。しかしこの時、称賛や評価がないばかりでなく、このタイミングでパウロに噂話で根も葉もない問題を持ち出して来ました。頑張ったにもかかわらず、感謝や称賛がないどころか、別のことで文句や批判を受ければ、人はどうなりますか。
・2〜21節/


6 パウロは、がっかりしたり、憤慨することもしませんでした。なぜでしょうか。パウロがこのことをどう考えていたのでしょうか。パウロの奉仕や異邦人教会の献金の意味を確認しましょう。パウロの姿勢を確認して思うことは何ですか。
・Tコリント9:16/
・ローマ15:27/

7 宣教の働きも、自分がしなければならないことだからしていることで、感謝や評価を求めてしているのではありませんでした。献金のことも、福音を知らせてくれたユダヤ人聖徒に感謝してのことです。さらに彼らは、問題を持ち出すだけでなく、その収拾策を提案し、パウロにそうするように迫っています。パウロの反応はどうですか。感謝や称賛がないばかりか、うわさや誤解の責任も取れと言われたら、あなたはどうですか。
・22〜24節/
・26節/

8 パウロは、彼らの提案を受け入れて、その通りに行いました。人を怖れたり、妥協したからではありません。パウロには、どんな姿勢があったからですか。
・Tコリント9:19〜23/


9 パウロが受け入れたのは、この提案が神学や信仰の問題ではなく、習慣や文化の問題だからです。信仰を曲げることでなければ、自分のものさしは置いて、救いのために受け入れるということです。そのようなことの具体例があれば、分かち合ってください。なくても、考えられる例を挙げてみてください。

「命の実を刈り取ろう」

 頑張ったのに、よかれと思ってしたのに報われないと感じた時は、主の前に仕えることができ、労苦することができたと感謝する一人ひとりとなることを願います。学びを通して示されたこと決心したことを分かち合い、互いのために祈りましょう。Tコリント9:19,22〜23。

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