小グループで聖書を学ぶ
52 主のみこころがなりますように(使徒21:7〜14)

「心の門を開いて」

 「人生は、実際に起きたことが10%、出来事に対して自分がどのように反応したかが90%である」という名言があります。確かに、同じ出来事でもその時の態度で変わります。頷くとともに、意識していないことに気付かされる言葉です。今日の箇所を通してこのことを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロたちは、ツロからプトレマイスを経て、ユダヤのカイサリアに着きました。パウロは、その地にいた伝道者ピリポの家に滞在しました。この人について「七人の一人である」という説明が付いています。どんな人ですか。
・7〜8節/
・使徒6:3〜5, 8:5,26,40/

2 ピリポは、エルサレム教会で初めて選んだ7人の執事の一人で、その後伝道者として働き、サマリヤで伝道したのち、ガザでエチオピアの高官を信仰に導き、カイサリアに来て住んでいました。ピリポとパウロとの関係は、どうですか。それを知ると、どんな関係になりやすいですか。
・使徒7:58,8:1/


3 ピリポにとってパウロは、同僚の執事ステパノ殺害に加担し、教会を迫害した、憎んでもおかしくない敵のような人です。しかし、人間的にはとても回復不可能に見えたパウロとピリポの関係が回復されました。壊れた人間関係に苦しむ人にとって最善の方法は、どうすることですか。何が関係を回復してくれるのですか。
・使徒10:43,エペソ1:7/
・コロサイ3:13,マタイ18:33/

4 壊れた人間関係があったとしても、その出来事をどう受け止め、どう反応するかによって人生は大きく違って来ます。赦しの恵みという福音を私たちの人生にも適用することで、福音が大きな働きをすることになります。ピリポの家にある人が来て、伝えたことで事件が起きます。人々の反応はどうですか。あなたがその場にいたら、どう反応しますか。
・10〜12節/
・使徒11:28/

5 パウロがエルサレムで捕まり、迫害を受けるという預言を聞いたその場に居合わせた者たちは、すぐさまパウロにエルサレムへは行かないように頼み、必死に止めました。人々の引き止めに対して、パウロはどう答えましたか。この答えには、パウロのどんな思いがにじみ出ていますか。
・13節/
・使徒20:23〜24/

6 そこにいた者たちは、すぐにパウロを引き止めようとしました。パウロは、心痛めつつもそれをしりぞけ、エルサレムへ行く決意を伝えました。なぜ、同じことを聖霊から聞いたのに、まったく違う反応なのでしょうか。聖霊の告げたことは、「パウロがエルサレムで縛られて異邦人に渡される」ということだけです。何が、違うのでしょうか。
・箴言16:2,9/(参考)
・箴言15:28/(参考)

7 パウロもその場にいた人々も、同じ聖霊の言葉を聞いたのですが、その反応や態度はまったく違います。表に出た言葉を聞けば、パウロを引き止める人々の方が正しいように見えるでしょう。しかし、パウロは、自分の思いや常識で反応したのではなく、主のみこころを求め、従ったのです。大事なことは、御言葉や出来事に対する態度です。有名なチャールズ・スインドルという米国の牧師の証しを読んで思うことを分かち合いましょう。
 「私が長く生きれば生きるほど、態度が自分の人生において大きな影響を与えることを実感しています。態度は事実よりも重要です。過去を変えることはできません。周囲の人たちの振る舞いを変えることはできません。避けられないことを変えることはできません。 私たちにできる唯一のこと、それが私たちの態度なのです。人生とは、10%が私の身に起こること、90%がそれをどう受け止めどう反応するかであると確信しています。」


8 パウロの証しと決心を聞いて、その場にいた人々は、どう答えましたか。これは、人々の心がどうなったということですか。
・14節/


9 パウロは、何よりも主のみこころに従うことを願っていました。泣いてパウロを引き止めようとしていた彼らも、その固い決意を聞いて、主のみこころがそこにあると知って、引き止めることを止めました。14節の言葉は、イエス様のゲッセマネの園での祈りを思い出させます。私たちは、何かの出来事に際して「主のみこころがなりますように」ということを考えているでしょうか。
・ルカ22:42, マタイ26:42/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様は、「あなたのみこころがなりますように」と祈りながら、私たちのための救いを成し遂げられました。私たちの人生は、状況の変化に左右されるのではなく、「主のみこころ」に忠実に従う信仰にかかっています。御言葉や出来事への態度にかかっています。適用や決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。ルカ22:42

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