小グループで聖書を学ぶ

56 救われた者の生き方(使徒22:22〜30)

「心の門を開いて」

 前回パウロの救われた証しを学びました。今日のところは、救われたクリスチャンが避けるべきことや意識するべき生き方を示してくれています。パウロと彼を取り巻く人々の姿から、私たちへの適用を学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロの証しを聞いていたユダヤ人群衆は、突然大声を張り上げて騒ぎ始めました。どうして急に狂ったように騒ぎ始めたのでしょうか。
・21〜23節/


2 ユダヤ人群衆は、神が異邦人を愛して、救おうとされ、パウロを遣わすということに反応しました。ユダヤ人は、自分たちだけが神に選ばれ、神に愛された民であると自負し、異邦人を犬のように思っていたからです。聖書はそんなことを教えていたのでしょうか。そうでないなら、彼らはどうしてそう考えたのでしょうか。
・創世記18:18/
・イザヤ56:7/

3 彼らは、聖書から出たことでも、自分の考えと違うなら、それを無視して、退けました。それで、パウロの口から自分たちが気に入らない言葉が出て来ると、たちまち騒ぎ出しました。私たちにも、御言葉を聞いても、自分に気に入らないことがあれば、御言葉に従うのではなく、御言葉を退けてしまうことがないでしょうか。
・Uテモテ4:3〜4/


4 千人隊長は、ヘブル語は分かりませんから、急に群衆が怒り、騒ぎ出したのを見て、パウロに問題があると思い、パウロを兵営の中に入れて、鞭打って尋問しようとしました。残忍な拷問が行われることになります。死ぬかもしれません。この時、パウロはどうしましたか。それによって拷問はどうなりましたか。
・24節/
・25〜26節/

5 当時は取調べをする時、拷問も加えました。拷問によって罪状を自白させたのです。ただし、ローマ市民権を持っている人については、裁判もなしに拷問を加えてはならないとローマ法で規定されていました。百人隊長が千人隊長に報告したので、鞭打ちは回避され、パウロの命は守られました。これまで暴動が起こった時、ローマ市民権を振りかざして難を逃れていたでしょうか。なぜ、この時はそれを用いたのですか。
・使徒16:22〜23/
・使徒19:21/

6 ローマまで行かなければならないパウロは、ここで死ぬわけには行きません。それで、自分が持っているローマ市民権を主張しました。助けられたのは、神の守りがあったからです。それでも、自然に助けられるのではなく、パウロがするべきことをしたからです。このようなことから、私たちは、何を学ぶことができますか。そのような具体例もあれば、分かち合ってください。
・Tペテロ4:10/(参考)
・Uコリント6:1/(参考)

7 走り回り騒ぎ立てるだけの人は信仰がない人であり、祈りだけでいいとする人も信仰を誤解しているかもしれません。信仰とは、全能の神に頼って祈り、その中で示されたことに全力を尽くすものです。私たちは、不足を嘆きがちですが、神様がすでに与えてくださった恵みに目を留めて用いたいと思います。パウロの行動に対して、神様はどのように働いてくださいましたか。誰を用いられましたか。
・27〜29節/


8 ローマ市民権の効力が発揮され、千人隊長は、自分の方からパウロの所に出向いています。ローマ市民権という共通話題もあって親近感も生じて来たようです。この千人隊長は、パウロについて、どんなことを取り計らってくれるようになりましたか。それは、パウロにとって、どういうことになりますか。それは、簡単にできることですか。
・30節/


9 危機を乗り越えさせるために、神様が、この千人隊長を用いました。さらには、エルサレムのユダヤ人権力者たちの前に立てるように、この千人隊長を用いられたのです。ローマ市民権の力もありますが、これまでのパウロの対応とその姿勢が千人隊長に好感を与え、法の規定以上に扱ってくれたということです。私たちは、世にある制度や為政者、役人や世の人々に対してどのようにすることが勧められていますか。
・Tペテロ 2:12〜14,17/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、世にある制度を尊重し、為政者や役人たちを敬い、人々に誠実に対しなさいと勧められています。これは、大切なことです。神様が用いてくださるからです。自分の思いよりも御言葉を優先し、与えられたものをよく用いて、信仰者として誠実を尽くす聖徒となることを願います。学びを通して与えられた導きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。Tペテロ 2:12。

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