小グループで聖書を学ぶ

58 天網恢恢疎にして失わず(使徒23:12〜24)

「心の門を開いて」

 古典の老子に「天網恢恢疏而不失」という有名な一節があります。天の網は広くて、目があらいようだが、悪事は知られる、悪人は捕まるという意味です。まさに、今日の箇所のようです。神の名は出てきませんが、神の御手を覚えさせてくれます。私たちの人生においてもそうなのだと学ぶことができます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 今パウロはローマ軍駐屯地の獄中にいます。それでも、その中は安全で、守られています。パウロを憎んで殺そうとしている人がいても、手出しはできません。しかし、混乱した最高法院から助けだされたパウロについて、どんなことが起ころうとしていますか。
・12〜15節/


2 彼らは、ここでパウロを殺すまでは食べたり飲んだりしないと誓っています。彼らはいのちがけだというのです。でも、彼らは、偽りの訴えに扇動されて暗殺団を結成しました。へたしたら、ローマ兵に殺されてしまうでしょう。一度だけの人生をそんなことにかけるなんて、愚かな、むなしいことです。私たちが頑張って、力を注いでいるそれは、大切な命をかける価値のあることですか。神様に認めてもらえることでしょうか。



3 私たちは、イエス様の十字架の福音を信じて、天国への命を与えられています。はたして、それは、天国まで持って行くものだろうかと考えてみましょう。天国への命を与えられたということは、天国までつながることに命をかけて生きるということです。天国までつながる命をかける価値あるものとは、何でしょう。どんなことだと思いますか。
・Tコリント9:22, Uコリント1:6 /(参考)
・Tテサロニケ5:14,Tテモテ5:10/ (参考)

4 命をかける価値あるものとは、人の命につながることです。そのために、人を助け、人に仕えることでしょう。人が救われ、ともに天の御国へ入ることが、真に価値あることです。「天網恢恢疎にして失わず」と言われますが、暗殺団が秘密裏に立てた悪い計画はどうなりますか。過去同じようなことがありました。それは、どうなりましたか。
・16節,Tテモテ5:24/
・使徒9:23〜25, 20:3/

5 暗殺団の悪巧みをパウロの甥っ子が知ることになりました。今日の箇所には、神とか主という名は出て来ません。しかし、神様が背後で働いてくださっておられたということです。悪事を漏らさなかったということです。囚人のように牢獄にいたパウロは、福音を伝えるという使命のために命をかけていましたが、心は安らかであり、清々しくさえありました。なぜですか。
・Tペテロ2:19〜20/
・Tコリント10:13/

6 この時のパウロの脱出の道は、百人隊長や千人隊長が用いられました。百人隊長が、傲慢で、囚人パウロを無視したら、千人隊長に陰謀は伝わらず、万事休す、パウロは陰謀の餌食となったでしょう。神様が、この人たちを通してパウロを守ってくださいました。何かそのような経験があれば、分かち合ってください。
・17〜22節/


7 千人隊長は、誰もいない所でその青年から陰謀について聞き、誰にも言わないようにと釘を刺して、その青年を帰しています。さらなる千人隊長の確かな対策はどうですか。通常なら、どんな方法を取ると思いますか。
・23〜24節/


8 暗殺に注意しながらパウロを最高法院に連れて行くということをしないで、陰謀を出し抜いて、遥かに安全なカイサリアの総督官邸に連行することにしました。その連行の内容についても、二重三重に確かな安全策を立てています。それは、何ですか。



9 駐屯地にローマ兵が千人いたとしたら、その半数をパウロの護衛につけたことになります。パウロの馬までも用意させています。このような扱いは、考えられないことです。このようにして、神様がこの人を用いて確かにパウロを守ってくださったということです。これは、どういうことを私たちに教えているのですか。
・エペソ3:20/

「命の実を刈り取ろう」

 これらはみな、パウロの願いや思いとは関係のないところで行われています。パウロの願いと思いをはるかに越えて、神様は働いてくださいました。私たちは、たとえ困難な状況に陥ることがあっても、むしろ自分の信仰を振り返り、神様を真実に信頼して行く機会となることを願います。そうする時、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに越えて働かれる神様の導きを見ることになるでしょう。今日の学びを通して気づかされたことや導きを受けたことを分かち合い、互いのために祈りましょう。エペソ3:20〜21。

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