小グループで聖書を学ぶ

59 自分の益や栄光でなく(使徒23:25〜34)

「心の門を開いて」

 よく「あれもこれも私がやった」とか、「あのことは私が口を聞いてあげた」という人がいます。それほどしていないのに、何でも自分の功績にする人もいます。自分を主張しないとやっていけないという環境もあるのでしょうか。今日の箇所にあるそのような人の姿を通して自分を顧み、信仰にある生き方とは何かを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 ユダヤ人の暗殺計画からパウロを守ろうとした千人隊長は、兵士470人を付けて、夜のうちにカイサリアのユダヤ総督官邸へパウロを送ることにしました。これだけのことをするには、千人隊長のこの仕事に対する並々ならぬ思い入れがあるようです。千人隊長の総督フェリクスに宛てた報告書にそのことを見ることができます。実際のことと報告を比べてみましょう。何か気づくことがありますか。
・23〜27節/
・使徒22:24〜25/

2 多額の金でローマ市民権を手に入れ、高い官職にいる千人隊長は、出世志向の強い人のようです。実際は、鞭打って騒動の原因を知ろうとしたら、パウロがローマ市民権を持っていることを知って拷問を止めたということです。それなのに、パウロがユダヤ人に殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知ったので助け出したと報告しています。なぜ順序を変えて、嘘を言ったのでしょうか。



3 ローマ市民権を持つ者を取調べもせずに鞭打とうとしたことを問題にされたら、千人隊長の落ち度となり、責任が問われます。それを隠すために順序を変え、ローマ市民を守る任務に励んでいることを総督にアピールする目的でこのように報告しました。自分の落ち度は隠し、自分の功績のように脚色したり、自分に有利なように表現したりするのは、人々がよく使うことのようです。あなた自身も、何か思い当たることがありますか。



4 30節も、嘘と言うまでもないが、時間を偽って報告しています。それは、どういうことですか。そのように報告することで、何をアピールしたかったのでしょうか。


5 報告書に「なお〜しておきました」と付け加えれば、いかにも有能な役人であることをアピールできます。人は、自分に益となるように、少しでも自分の得になるように表現するようです。嘘やごまかしではないのですが、千人隊長は、権限を持っている立場ならば当然すべきことがあります。それをしないで違うことをやっています。それは、何ですか。理由は、どういうことですか。
・28〜29節/


6 死刑や投獄に当たる罪はないことが分かったならば、自分の権限で決定をくだし、パウロを解放することができました。しかし、それでは、千人隊長にとって何の点数にもならず、活動も認めてもらえません。自分の功績や活動を認めてもらおうと、演出や脚色をしたようです。イエス様も、そのような人々の例を取り上げています。その人たちの行いの目的は、何ですか。イエス様はどうするように命じていますか。
・マタイ6:1〜4/
・/

7 「人に見せるために、人にほめられたくて」というのは、他人に認めてもらいたいという欲求があるからです。そのために、自分の功績や活動を認めてもらおうと、自分をアピールしたり、そのために演出や脚色まで行います。他人に知られない、認められないままでいいとは思えないと言うでしょう。それに対して、聖書は何を教えていますか。
・イザヤ43:4/
・ローマ14:18/

8 パウロは、千人隊長のように、人の評価とか人の目を意識した虚偽や演出はしませんでした。パウロは、どのようにしていましたか。その生き方の結果、どうなりましたか。
・Tテサロニケ2:4/
・31〜35節/

9 総督官邸に連れて行かれ、ユダヤ人の訴えが来るまで保護されることになりました。これからはローマ帝国の法廷に立つことになる、つまり、主の約束通りローマへの道が始まりました。パウロの姿勢が私たちに教えていることは、何ですか。
・詩篇115:1, Uコリント1:20/

「命の実を刈り取ろう」

 パウロが忠実に主の召しに従って、御言葉を聞いて歩んで来た道では、患難や苦しみがあったとしても、守られ、導かれます。パウロは、十字架のイエス様だけを見て、神様の承認を確信し、人に喜ばれるより神様に喜ばれることを思って生きていました。私たちも、自分の益や栄光よりも主の栄光があらわれることを願い歩む者となることを願います。今日の学びを通して、気づかされたことや決心したことなどを分かち合い、互いのために祈りましょう。Uコリント1:20。

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