小グループで聖書を学ぶ

60 言葉は武器にも薬にも(使徒24:1〜9)

「心の門を開いて」

 レトリックという言葉があります。修辞法と言われるもので、言い回しを工夫することで相手の感情に訴える方法で、実質を伴わない表現上だけの言葉です。政治家の演説やドラマの裁判に出て来る手法です。今日の箇所に登場する弁護士も、まさにこのレトリックを用いています。これを通して、言葉について聖書から学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 ユダヤ人の権力者たちがカイサリアのフェリクス総督の所に弁護士を連れて来て、パウロを訴えました。弁護士と訳されたレトルという言葉は、雄弁家という意味で、レトリックの元になっている言葉です。この弁護士の総督に対する言葉はどうですか。そのような表現は、何と言われるものですか。
・1〜3節/
・詩篇12:2/

2 総督フェリクスは、冷酷で賄賂を取っていた人物です。賛辞は、悪い総督にふさわしい言葉ではありません。それは、へつらいや巧言令色ですが、なぜ、そのような表現をしているのですか。どんな意味や目的があると思いますか。
・ローマ16:18/
・詩篇12:4,55:21 /

3 弁護士の総督に対するへつらいの言葉は、おだてておいて、裁判を有利にしようとするレトリックなのでしょう。また、「平和を享受しており、この国の改革が進行して」という嘘は、我々の要求を入れなければ、暴動が起こるぞという脅しでもあります。これらは、レトリックの悪用です。現代社会でもレトリックが悪用されています。私たちは、どうするように勧められていますか。
・エペソ4:25/
・コロサイ3:9〜10/

4 こうして、表面では総督を褒め称えていながら、裏では、その弱い立場に付け入り、訴えを認めるように脅しながら、告訴の口頭弁論に入ります。パウロについて何と訴えていますか。それは、真実なことですか。その訴えからすると、その目的は何だと言えますか。パウロをどのように言っていますか。そのような表現は、何と言いますか。
・5節/


5 暴動を起こしていたのはユダヤ人であり、パウロは福音を伝えて、人々を救いに導いていただけです。弁護士の言い方は、パウロに対する悪口、誹謗中傷です。「まるで疫病のような人間」という表現は、最も酷い悪口なのでしょう。人の言葉は、恐ろしい武器にもなります。悪口を聞いた人の心は、どうなりますか。人を悪く言うのはどんなことと同じだとイエス様は言われましたか。それを読んでどんなことを思いますか。
・詩篇109:2,22/
・マタイ5:21〜22/

6 「調べれば訴えすべてについてよくお分かりいただけるはずだ」と言うのですが、きちんと調べれば無罪と分かります。これまで大祭司たちは、総督に賄賂を贈り続けて来ました。「だから、訴えることを認めてくれるはずだ」と圧力をかけたのです。傍聴のユダヤ人がこぞって「そのとおりだ」と言い、さらなる圧力をかけました。どんな時に、言葉による圧力を感じますか。
・8〜9節/


7 言葉が人の心を刺し、痛め、心を殺していると言われたら、誰しも、私も罪人ですと認めざるを得ません。私たちも、思わず不用意に悪口や中傷となる言葉を発してしまうことがあるでしょう。発した言葉で他人が傷付いたこともあるでしょう。また、私たち自身が、悪口や侮辱を受け、傷付くこともあります。そんな時どうすればいいのですか。御言葉はどのように勧めていますか。
・Tペテロ2:23/
・Tペテロ3:9〜11/

8 イエス様の十字架の苦しみは、私たちの罪を赦し、天国への命を与えてくださっただけでなく、どんな約束をされていますか。御言葉は、私たちにとってどのような働きをしてくれるのですか。
・Tペテロ2:24/
・詩篇147:3,119:50/

9 私たちは、イエス様の十字架の意味を信じて罪赦され、救われ、たましいの癒しを受けました。そのような私たちは、言葉によって悩まされ、傷付いている人々に対してどんなことができますか。言葉についてどうするように勧められていますか。
・Tコリント14:3,Tテサロニケ4:18/

「命の実を刈り取ろう」

 悪口や侮辱を受けても主の取り扱いに任せ、悪口や欺きを語らず、善を行い、平和を追い求めます。私たち自身も、不用意な言葉を発して、人々の心を傷付けることのないようにしたいです。イエス様の十字架の苦しみによって癒された私たちは、人を育てることばや勧めや慰めを話すことを願います。今日の学びを通して与えられた気付きや恵みを分かち合い、互いのために祈りましょう。Tテサロニケ4:18。

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