小グループで聖書を学ぶ
62 今日もし御声を聞いたら(使徒24:22〜27)

「心の門を開いて」
 
 ギリシャ神話に登場するカイロスの像や絵を見ると、とても奇妙な姿です。前髪は長髪でふさふさ、後ろ髪はなく、つるつるです。両足のかかとには羽がはえていて、手にははかりと剣を持っています。ギリシャ語のカイロスの意味は機会です。長い前髪はそれを知った人が捕まえられるが、うしろ髪がないので過ぎた後は捕まえられないということです。今日の箇所を通して、このカイロス、機会について学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 フェリクス総督のもとで裁判が始まり、ユダヤ人権力者側の弁護士による告訴が行われ、それに対するパウロの弁論がなされました。その後、この裁判はどうなりましたか。人がそんな状況になれば、どんな思いになるでしょうか。
・22節/


2 無罪は明らかなのに、監禁されたままで嘆くような状況です。人がこういう状況にあったら、どれほど悔しくて、心が落ち込んでしまうことでしょうか。でも、それは近視眼なのです。神の御手にあることを忘れています。裁判の延期中、パウロの環境はどうですか。もし、釈放されたとしたら、どんなことが予想されますか。
・23節/
・使徒23:12〜13/

3 監禁されたものの、ある程度の自由が与えられ、仲間の者たちがパウロの世話をすることが許されています。もしパウロが釈放されたとしたら、暗殺団にたちまち殺されてしまうでしょう。むしろ総督によって保護されていたということになります。これが、神様のなさることです。フェリクス総督は、なぜ裁判を延期したのでしょうか。
・26〜27節/


4 フェリクスという人は、徹底して政治的に働く人であり、自分の利得のために動く人でした。そんなフェリクス総督ですが、裁判を延期しても、個人的にパウロに会いに来ます。ユダヤ人である妻の要望があったからでしょう。二人は、パウロからどんなことを聞きましたか。その意味は、どんなことですか。
・24〜25節/
・Uコリント5:21,ガラテヤ5:22〜23,ヨハネ5:24/

5 権力と利得のために生きて来たフェリクスですが、今パウロに出会って、イエス様による救いを聞いたのです。これは、どんなに大きな恵みでしょうか。悔い改めて、信じる決心をしたのでしょうか。正しい統治をする総督に変わったのでしょうか。彼の反応はどうですか。それは、どういうことを意味していますか。
・25節/


6 フェリクスは、福音を聞いて、反発したり、拒絶したのではありませんが、先延ばしをしました。「折を見て」の「折」の原語が、冒頭紹介したカイロスです。他の箇所では、機会と訳されていることが多いです。その意味で使われている聖句を参照しながら、機会の意味するところ、特徴は何かを考えましょう。何か思い出すことがあったら、分かち合ってみてください。
・エペソ5:16,コロサイ4:5/
・カラテヤ6:10/

7 人は、何か決断をしなければならない時、先に延ばそうとします。これは、一般的な人の傾向です。何かするべきことがあっても、もっと良い時を待とうなどと言い訳をし、先延ばししようとします。問題は、先延ばしするとどうなるかということです。フェリクスはどこまで先延ばししましたか。その結果、どうなりましたか。
・27節/


8 2年後騒動が起こった時に、怒ったユダヤ人は直接皇帝に訴え、皇帝によって総督を解任させられてしまいました。流刑は免れ、賄賂で溜め込んだお金で当時の別荘地であったポンペイに移り住みました。やがて、ベスビオ山の噴火が起こり、彼らは町とともに滅んでしまいます。フェリクスの人生が教えているように、霊的な人生を明日に延ばすことは、悲劇です。聖書は、そのことについて、どう教えていますか。
・ヤコブ4:13〜15/


9 パウロに会って福音を聞いた時、悔い改めてイエス様を信じていたら、正しい統治をし、人々に感謝され、神様に用いられる器となり、美しい人生を生きることができ、天国へ召されたことでしょう。すべての人が時と機会に出会います。大事なことは、何ですか。聖書が強調していることは何ですか。
・伝道の書9:11, ・ヘブル3:7〜8,15/

「命の実を刈り取ろう」

 機会は、いつでも与えられるわけではありません。チャンスはその時、今日という日に与えられています。信仰の退歩に陥ったなら、主のもとに戻りましょう。私たちの信仰の決意を有効にさせるのは、実行することです。主に与えられた機会をしっかり捉えて、生きることを願います。 機会を捉えて行動し、主に用いられて、美しく意義ある人生を生きたいのです。適用を分ち合い、互いのために祈りましょう。ヘブル3:13〜15。

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