小グループで聖書を学ぶ

65 以前の私は(使徒26:1〜11)

「心の門を開いて」
 
 クリスチャンは、様々な場面で、なぜクリスチャンになったのかと聞かれることがあります。どのように証しをするのか、使徒パウロの証しから学びます。ます、「信じる以前の自分」について話しています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 アグリッパ王の前で取調べを受けることになったパウロは、ローマ人やユダヤ人の前で証しをする機会を与えられました。王はユダヤ人の慣習や問題に精通していましたので、ユダヤ人としてどのように生きて来たかを証ししています。パウロのおいたち、少年時代の生活はどうですか。
・1〜3節/
・4〜5節/

2 パウロは、生まれはキリキヤのタルソですが、エルサレムで育ちました。ローマ市民権を持つ家庭に生まれました。若い頃とは、少年くらいということです。少年時代からエルサレムで先祖の律法について厳格な教育を受けて、パリサイ人として生活して来たと言っています。そのような以前の自分についてパウロはどんな思いを持っていることがうかがえますか。
・使徒22:3,28/
・ガラテヤ1:14, ピリピ3:4〜6/

3 パウロは、自分の育ちや受けた教育、知識や生活を誇り、頼りにしていました。ギリシャ文化の中でローマ市民として生まれ育ちましたが、多感な少年時代はエルサレムで最も厳格な律法の学派で学び、他人よりも強烈に律法の影響を受けたことが想像できます。私たちのおいたちはどうでしょうか。生まれや育ち、学んで、身に付けたこと、生き方はどうですか。その後の影響力はどうですか。短く分かち合ってみましょう。



4 子ども時代、どんな家庭で育ち、どんなことを学び、どんな生き方をして来たか、それが、大人になって結婚生活や子育て、社会生活においても大きな影響を及ぼすようになります。そのためには、どのようなことが必要ですか。
・使徒3:19,ローマ12:2/
・ルカ2:52, Uテモテ1:5/

5 最も厳格な派にしたがって、パリサイ人として生活して来たパウロは、自分を責めるユダヤ人に対して、何と言っていますか。本来、旧約聖書を信じるユダヤ人はどうしているはずだと言っていますか。特に、どんな約束に望みを持っていたのですか。
・6〜8節/
・イザヤ53:5〜6,26:19/

6 人は、様々なことについて罪責感があります。家族や周りの人々に対して、出来事や問題について後悔の念や罪責感が心をとらえています。また、いつも死の問題が漠然と人生に横たわっています。どうせ死んで終わりだと刹那的になったり、空しさと恐れに落ち込んだりします。旧約聖書に約束された望みは、どのようになりましたか。
・Tペテロ1:21/
・Tコリント6:14/

7 自分の生まれや育ち、学びや生活を誇り、人間的なことを頼りにしていたパウロは、大人になって、どのようなことをするようになったと証ししていますか。救われる以前のパウロの生き方はどうでしたか。どんなことを考え、どんなことをしていたのですか。
・9〜11節/
・使徒22:19〜20,Tテモテ1:13/

8 パウロは、なぜこんな酷いことまでするようになったのでしょうか。パウロが誇りや頼りとしていた律法の学びやパリサイ人の生活がどう影響したのでしょう。パウロは何を求めてそうしていたのですか。
・ピリピ3:6, ガラテヤ1:14/
・マタイ6:2/

9 パウロは、イエス様を十字架にかけて殺した祭司長たちや律法学者の批判を真に受け、間違った教えを受けて、聖徒たちを迫害しました。祭司長たちや律法学者から誉められ、評価されるため熱心に励みました。パウロも、人から認められ、評価されることに熱心になるという価値観に囚われていたのです。パウロのような誤った熱心に陥ることが私たちにもあります。どんなことでしたか。間違った熱心に陥らないためには、どうすることが必要ですか。
・ローマ10:2〜3/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちも、自分の肉の熱心に陥らないために、御言葉に聞かなければなりません。イエス様が喜んでくださるか黙想してみましょう。御言葉の価値観に立っていることか、それとも自分の肉の思いによることなのかが明らかになります。自分の肉のプライドと自分勝手な熱心で生きていたパウロも、悔い改めてイエス様を信じた後は、ただイエス様だけを誇るようになりました。Tコリント1:31。その熱心は、人を救うために宣教の熱心として用いられるようになりました。私たちも、そのようになることを望みます。今日の学びで与えられた気付きや決心を分ち合い、互いのために祈りましょう。Tテモテ1:13。

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