小グループで聖書を学ぶ

67 私のようになってください(使徒26:24〜32)
「心の門を開いて」

 クリスチャンが証しをしたり、信仰をあらわしたりしたりする時、他人の反応はどうでしょうか。好意的な反応をする人ばかりでなく、無関心な人や反発する人もいるでしょう。大事なことは、私たちがその反応をどう受け止めるかということです。パウロの証しに対する人々の反応とパウロの受け止め方から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 まず、総督フェストゥスの反応です。旧約聖書についてよく知らない、死生観も違うローマ人としてパウロの証しを聞いていたフェストゥスは、パウロに対して何と叫びましたか。それは、どんな反応と言えますか。そのように言われたなら、人々はどのように思うでしょうか。
・24節/


2 「頭がおかしくなっている」と「狂わせている」の原語は、マニアとその動詞形です。「博学がおまえをマニアにしている」ならまだしも「頭がおかしい」と言うのは、侮辱にも聞こえます。現代でも、「そんなこと本気で信じているの」「宗教なんて」などと言う人もいます。キリスト教に対する人々の誤解や揶揄する言葉に憤慨したり、揺さぶられたりしたことがありますか。



3 キリスト教に対して批判したり、揶揄したりする人も、色々な物を拝み、信じています。ですから、誤解や揶揄する言葉に憤慨したり、揺さぶられたりしないことが必要です。人々の揶揄する言葉や中傷に揺れ動くのは、霊的な問題です。批判に対してパウロは何と答えていますか。パウロの態度から、どんなことが学べますか。
・25節/
・Uコリント5:13/

4 この場は、アグリッパ王の求めによって設けられたものです。パウロは、アグリッパ王に対して質問をしていました。どんな内容ですか。パウロの質問は、結局何を質問していることになりますか。
・26〜27節/
・ローマ10:9/

5 預言者を信じていると答えれば、預言者が預言している救い主キリストを信じてくださいと言うことができます。27節の問いは、それとなく信仰の決断を促したということです。これに対して、アグリッパ王の答えはどうですか。その意味することは何ですか。王は、心の中はどのように葛藤していたと思われますか。
・28節/
・使徒17:32,ヨハネ16:9 /(参考)

6 アグリッパ王は、ユダヤ人の手前、預言者を信じないとは言えず、さりとてユダヤ人の王として自分の対面や利害関係のために、イエス様を信じることに進むことを拒みました。そして、ベルニケは何も言わず、無関心という反応を見せました。彼らは、福音を批判し、信じることを拒み、無関心という反応を見せましたが、パウロに対してはどうですか。パウロとの関係は、どうですか。それは、その後どんな可能性を持たせますか。
・31〜32節/
・ルカ21:13コロサイ4:5/(参考)

7 信じることを拒んだアグリッパ王の質問に対して、パウロは何と答えましたか。そして、パウロの証しを通して福音を聞いた人々に対して、どんな願いをしていますか。それは、証しを結ぶ言葉として、どんな効果があると思いますか。
・29節/


8 パウロの言う「私のようになってください」とは、「私のようにイエス様を信じる者になってください」ということです。その時のパウロは、鎖につながれ、ぼろぼろの服を着て、やせ衰えた姿でした。それなのに、なぜ「私のようになってください」と言えたのですか。
・ピリピ3:8〜9,21/
・エペソ2:5/

9 そんなパウロの外見がどれほど悲惨に見えたとしても、イエス様を信じて、救われ、主に愛され、用いられているということの幸いの方があまりにも良いというのです。私たちも、健康の問題、経済的な問題、子供の問題、仕事の問題など様々な問題に縛られています。しかし、イエス様を信じていることが遥かに素晴らしい価値のあるという聖なる誇りを持つならば、どうように生きることができますか。
・Tコリント4:16, Tコリント11:1/(参考)

「命の実を刈り取ろう」

 この聖なる誇りがある時、悲惨な環境と思われる中でも振り回されたり、落ち込まされたりしないで、主の前にたつことができます。問題のある環境を乗り越えて、確信をもって信仰に生き、大胆に福音を伝えることができます。イエス様が自分のために犠牲になるほど私は愛されているのだという聖なる自尊心があるならば、現実の問題に縛られずに「私のようにイエス様を信じて救われるようになってください」と言えるのです。受けた適用や導きを分ち合い、互いのために祈りましょう。使徒26:29。

戻る