小グループで聖書を学ぶ
70 与えられた責務を果たす(使徒27:27〜44)

「心の門を開いて」

 神がパウロに同船している人々を与えているということを学び、私たちも周りの人々がそういう人たちなのだと気づかされました。きょうは、パウロが嵐の中でその与えられた責務をどう果たして行くのかを学びながら、私たちへの適用を学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 すぐには助かりませんでしたが、パウロは希望を失うことなく、経過を観察していたようです。嵐に翻弄されて1週間ほど経って、ようやく陸地に近づきました。ところが、ここで事件が起きます。どんな事件ですか。なぜ、そんなことが起きたのですか。このことは、人々の心にあるどんな思いから生じて来たことですか。
・27〜28節/
・29〜30節/

2 水夫たちは、最善を尽くして船に乗った人々を助けなければならない責務を負っていたのに、その責務を果たそうとしませんでした。自分たちだけ助かればいいという自己中心どころか、自分たちのせいで人々が死んでも構わないというエゴぶりです。これが、人の罪の姿です。自己中心というのは、罪につながるものなのです。イエス様は、このような人の罪のためにどうしてくださいましたか。
・Tペテロ2:24/
・Tペテロ3:18/

3 パウロは、与えられた責務を果たそうと船の人々を見守っていたので、この事件に気づきました。気づいたパウロは、どうしましたか。なぜ、そのように言ったのですか。その結果どうなりましたか。
・30〜31節/
・32節/

4 嵐の中上陸するには、水夫たちが必要です。水夫だけでなく、他人のことを省みない自己中心というのは、人の罪の姿です。ですから、クリスチャンは、人々を見守り、自分にできることで周りの人々を助けるようにとそこに置かれているのです。甲板に集まって来た人々は、どんな状態でしたか。なぜ、そのような状態だったと思いますか。パウロは、人々に何をするように勧めていますか。それは、何のためですか。
・33〜34節/
・43〜44節/

5 人は何かの問題で悩んだりするだけでも食欲がなくなったりするものです。船の人々は、どこに流されているか分からず、何をしても助かる望みはなく、憔悴し切っていたからです。人は希望を持つことが必要です。ただ食べさせるだけでなく、パウロは何をしていますか。パウロは、どんなことを思い浮かべながら、それをしたと考えられますか。
・35〜36節/
・ヨハネ21:12〜13,ルカ22:19〜20 /(参考)

6 「神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた」というのです。まるで聖餐式のようです。神様によって嵐の中で命を守られたのですから、同船していた人々も、パウロの信じる神に感謝しながら食べたことでしょう。船の人たち276人全員が共に食べたとあります。それによって、人々の心にはどんな思いが与えられたと思われますか。



7 夜が明けると、砂浜のある入り江が見えたので、船首の帆を上げてそこに向かって進んで行きました。ところが、心配していた通り、船は浅瀬に乗り上げて、座礁してしまいました。もう陸地が近くに見えるという段になって、事件が起こりました。なぜ、兵士たちはそんなことを企てたのですか。水夫たちと共通する兵士たちの姿は、何ですか。
・40〜41節, 使徒16:27/
・ピリピ2:4/

8 上陸の時に囚人が逃げてしまったら自分の命が危ない、それならば逃げる前に殺してしまおうとしたのです。つまり、命の恩人であるパウロまで殺そうとしたのです。自分が助かりたいために、囚人の命を犠牲にしようとし、恩を仇で返すとても自己中心的な考えでした。でも、恩を忘れない人もいました。どんなことをしてくれましたか。
・43〜44節/


9 部隊を指揮して命をかけて責務を果たす百人隊長は、パウロの生き方に通じるものを感じたのでしょう。ここに神の介入があったのでしょうが、命がけで仕え、同船の人々を助けようとしているパウロの姿勢に応えて、百人隊長もパウロを自分の命をかけて守ったのです。この百人隊長は、後にどんな働きをしたと考えることができますか。パウロの姿が、どのようにこの人に影響を与えたと考えることができますか。
・ピリピ1:12〜13/
・Tコリント11:1/

「命の実を刈り取ろう」

 ここには、神様から同船する人々を与えられたパウロが、最後までその責務を果たしている姿があります。自己中心の水夫や兵士たちと逆の姿です。神の言葉に信頼して希望を人々に与え続けました。人々の様子を見守っていました。イエス様に倣って人々を助けました。どんな所でも、イエス様を証ししました。この姿に、私たちも倣うことを願います。学びを通して与えられた気づきや適用を分ち合い、祈りましょう。Tコリント11:1。

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