小グループで聖書を学ぶ
71 備えたもう主の道を(使徒28:1〜10)

「心の門を開いて」

 「塞翁が馬」という故事成句があります。幸せも不幸も人間の期待した通りにはならず、何が禍となり何が福となるか分からないことを説明したものです。確かに、そういうことはあるでしょう。しかし、そのようなことを越えた神の導きがあることを今日の箇所は教えています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロたちの乗った船が、奇跡的に流れ着いた島は、地中海の真珠と呼ばれる美しいマルタ島です。地図でその位置と大きさを確かめてみましょう。「島の人々」と訳された言葉は、バルバロイ、つまりギリシャ語を話せない未開人という意味ですが、島の人々は、漂着した船の人たちをどのように迎えていますか。
・1〜2節/


2 嵐からようやく助かったものの、ここで事件が起きます。せっかく嵐から助かったのに、どうしてこんなことにという出来事です。このようなことが、私たちの人生にも起こります。やっと一つの問題が解決したかと思ったら、また別の問題が起きてしまう時、どんな思いになりますか。どのように受け止めますか。
・3節/


3 島の人々の反応を見てください。毒蛇にかまれたパウロについて何と言っていますか。しばらくして何の変化もないと、今度は何と言うようになりましたか。現代人も、いいことがあればあの人は正しく生きている人だからと言い、問題があればあの人は何か悪いことがあるからだと因果応報の考え方をする人も多いです。あなたはどうですか。
・4〜6節/


4 やっと嵐から助かったというところでの事件でも、パウロは失望しませんでした。神様の約束を信じて、従っていたからです。私たちも、主の導きと約束を確信して歩みたいと願います。自分の思うようにならず、問題ばかりが起こったりする時、失望落胆するかもしれません。でも、御言葉は何と言っていますか。
・使徒23:11,19:21/
・Tコリント10:13, 箴言3:5〜6/

5 この事件の後、島の長官プブリウスと言う人が、パウロたちを招き、三日間親切にもてなしてくれました。パウロがヘビにかまれたという事件が、結果的には、島の大地主のもてなしを受けるようにしました。プブリウスや島の人たちがしたような親切やもてなしについて、聖書ではどのように言っていますか。
・7節/
・マタイ10:42 , ルカ6:38/

6 御言葉が「あなたがたが量るその秤で、自分も量り返してもらえる」とか、「一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません」と約束していることが、親切な島の人たちに起こりました。それは、どんなことですか。
・8〜9節/


7 8節の癒しは奇跡的に瞬時に癒されたという意味ですが、9節の方は医学的な治療を継続して受けたという意味合いがあります。ですから、大勢次々とやって来た島の病人については、医者であるルカがその後治療にあたったようです。その結果、パウロたちは、冬の期間滞在できただけでなく、精神的、物質的な恵みを受けました。どんなことですか。
・10節/


8 ここまでしてくれたのは、癒してもらったからだけではないでしょう。「人々は私たちに深い尊敬を表し」とあるように、精神的な影響、霊的なことの貢献がうかがわれます。それは、何でしょうか。パウロは、3ヶ月間何をしていたと思いますか。そのことと、パウロがヘビから守られたことや島の長官の父親が癒されたことがどう関係していると思いますか。
・使徒10:22/(参考)
・Uテモテ4:17/(参考)

9 パウロたちは親切なマルタ島の人々によって助けられ、マルタ島の人々もパウロによって救いと永遠の命を得ることができました。奇跡を起こせるなら、嵐に会わなくてもよかったのではないか、良い港で冬を過ごせるように導いてくれればよかったのではないかと思います。しかし、嵐にあって漂流しても、パウロを助けるために親切な人々のいるマルタ島に導いてくださいました。マルタ島の人々を救うためにパウロを島に導いてくださったのです。これらのことから、どういうことが考えられますか。


「命の実を刈り取ろう」

 神様には、目的があります。パウロをローマまで導き、福音を語らせるために、マルタ島に漂着させ、滞在させて、マルタ島の人々を救ってくださったのです。それが、神が備えてくださった主の道だったのです。人生の海の嵐の中を進む私たちの人生も、主が備えてくださった道があります。私たちにとってのマルタ島があります。学びを通して与えられた気づきや導きを分ち合い、互いのために祈りましょう。使徒23:11。

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