小グループで聖書を学ぶ

73 大胆に、妨げられることなく(使徒28:23〜31)

「心の門を開いて」

 未完成というと、シューベルトの未完成交響曲やミケランジェロの未完成彫刻ピエタなどを思い起こすでしょうか。それぞれ理由があるようです。使徒の働きの最後も、未完成のようなのです。なぜ、そうなのでしょうか。その理由を使徒の働き最後の箇所から学ぶことで、私たちへのメッセージを知ることができます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 最後のところの前に、ローマに着いたパウロが、ユダヤ人たちと会い、話をするところがあります。ユダヤ人たちは、直接パウロから長い時間話を聞きます。パウロの語る内容は、どうですか。「モーセの律法と預言者たちの書」とは、何ですか。
・23節
・ルカ24:27/(参考)

2 その反応は、どうでしょうか。その反応のために、帰りかけたユダヤ人に対して、旧約聖書を引用しています。それは、どういうことを意味していますか。
・24節/
・25〜28節/

3 預言者イザヤが神様に召しだされて、民に遣わされる時、神の言葉を伝えても民は聞かないと言われたのです。こんなことを引用したのは、「信じようとしなかった」という彼らの頑なさを知らせるためです。心に飢え渇きを覚えなければ、求める心も生じません。頑ななユダヤ人にも、神のあわれみがあります。どんなことですか。
・ローマ7:24/
・ローマ11:25〜26/

4 使徒の働きの最後は、パウロのどんな様子が記されていますか。それは、どういう状況で、何をしていたことが強調されていますか。
・30〜31節/
・Uテモテ2:9/

5 御言葉を「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく」伝えて、教えたと強調されています。パウロは囚人であったのに、これまでなかったほど、最も自由に語ることができました。そのように福音が伝えられた結果、どうなりましたか。あなたが、引用箇所から与えられた気付きや適用は何ですか。
・ピリピ1:12〜14/
・ピリピ4:22 /

6 私たちも、人の反応をはばかり、恐れることなく、証しの生活をしたいと思わされます。パウロが囚人として鎖につながれていることが、かえって福音を前進させることになったというのは、ほかのことにも起こっています。パウロは、出かけることはできませんが、この期間、何をしていますか。そのことが私たちに与えてくれる励ましや導きは、どんなことが考えられますか。
・エペソ6:20, ピリピ1:13〜14/
・コロサイ4:3,ピレモン1:13/

7 パウロは、出かけることができませんでしたが、四つの手紙、獄中書簡を書きました。私たちも、一見妨げや束縛と見られる状況でも、神様が働いて私たちを用いて、何かをさせてくださることを信じます。パウロは、この後クリスチャンを迫害したネロ皇帝に捕らえられ、処刑されたと伝えられています。しかし、使徒の働きは、パウロのその後については、何も記していません。福音を伝え、御言葉を教えている途中で突然終わっています。なぜだと思いますか。未完成なのは、どういうことなのですか。



8 その後のクリスチャン、聖徒たちによって、使徒の働きが続いているということです。私たちも、人生を通してイエス様の福音を宣べ伝え、信仰を分かち合うなら、それは、使徒の働きであるというのです。使徒の働きが突然終わっているように見えるのは、その続きをあなたが書きなさいということです。そうするためには、何が必要ですか。
・使徒1:8,13:2/
・ピリピ2:16/

9 使徒の働きは、別名聖霊の働きと言われます。聖霊が聖徒たちや使徒たちを用いて、導いて、福音のための働きをさせていたからです。使徒の働きの続きを書いて行く私たちにも、聖霊の働きと御言葉の力が与えられます。それでも欠けや弱さのある私にはとても、と思いますか。私たちは、どんな選びの中にある者かを確かめて、確信を得ましょう。
・Tコリント1:27〜28/

「命の実を刈り取ろう」

 神様は、人をその不完全、未完成を通して神様の力が臨むようにしてくださいました。神様に用いられる人は、みな完全な人ではありません。未完成の人です。未完成の状態で神様の完全さを頼ることが使徒の働きなのです。イエス様は、欠けや弱さ、不足した者を選ばれ、弟子たちとされました。私たちの人生も、未完成の人生です。人生を走っている途中で召されて行くのです。他人にも、完成を求めないでください。私たちは、救われて新生して、聖化の道を歩んでいます。天国に行くまでは未完成です。未完成の人生を通して、神様の恵みと力が現れることを願います。学びを通して与えられた気付きや決心を分ち合い、互いのために祈りましょう。ローマ8:28。

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