小グループで聖書を学ぶ
11 目からうろこが落ちて(使徒9:1〜19)

「心の門を開いて」

 古典から様々な慣用句ができていますが、聖書由来の慣用句もけっこうあります。その中の一つが「目からうろこ」です。今日の箇所がその語源となった出来事です。何かがきっかけになって、物事の実態が急によく見え、理解できるようになるたとえですが、聖書の箇所には、どんなメッセージが込められているのでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 「目からうろこ」の語源となった出来事は、サウロ、後のパウロに関することです。サウロがどんなことをしているところですか。サウロは、どんな人なのでしょうか。彼自身の紹介も見てみましょう。
・1〜2節/
・ピリピ3:5〜6/

2 一言で言えばエリートです。氏素性、学歴業績申し分なしというところです。サウロ自身そのことを誇りとしていました。その誇りとしていた知識や経験がうろことなって、旧約聖書の示すメシヤがイエス様だとは分からずに、教会を迫害していました。また、ユダヤ人にあった先入観や固定観念が、サウロの目にうろこをかけ、イエス様を来るべきメシヤとは思わせなかったようです。それは、どんなことですか。
・ヨハネ1:46/
・使徒1:6/

3 私たちにとってのうろことなっている肉の自信や自慢は、何でしょうか。うろことなっている先入観や固定観念がないでしょうか。色眼鏡をかけて見てしまうなら、目にうろこがかかっていることになります。どんなうろこがかかっているのでしょうか。黙想してみましょう。
・ピリピ3:4/(参考)
・Tヨハネ2:16/(参考)

4 サウロは、目にうろこがかかって見えていなかったことを強烈に知らしめられる体験をすることになります。どんなことが起きましたか。その結果どのような状態になりましたか。以前のサウロと比べて、どうですか。
・3〜5節/
・8〜9節/

5 アナニヤというダマスコの聖徒に、主が幻の中に現れて、サウロを助けるように言われました。アナニヤが出かけて行って、サウロのために祈ってあげると、サウロにどんなことが起きましたか。これは、何を例えているのですか。
・10〜11節/
・17〜18節/

6 アナニヤが祈ると、サウロの目からうろこのような物が落ちて、見えるようになりました。これは、肉体の目が開かれただけでなく、霊的な目が開かれ、人生が変わったということです。どのように変わりましたか。
・Uコリント5:17/
・ピリピ3:7〜8/

7 私たちも、サウロのような変化が必要です。劇的でなくても、霊的な目が開かれ、価値観が変わり、心が変わり、人生が変わって行くことを願います。ダマスコ途上の出来事は突然の出来事ですが、主の働きは、突然始まったのではありません。それ以前からサウロの心に主は働きかけておられたのです。その最も大きなことは、何でしょうか。そのことがサウロにどんな影響を与えたと思いますか。
・使徒7:58〜60/
・Tテモテ1:13/

8 目からうろこが落ちたサウロは、新しい人として人生を歩むようになります。それは、どのようになると教えられていますか。サウロが迫害を止めて回心したから、この時そうなったというのですか。どういうことなのでしょうか。
・15節/
・エペソ1:4〜5/

9 創造のはじめから主の選びの中にあったというのです。選びの教理と言います。私たちも、主の選びの器です。人は、何でも自分の考えと力で歩んでいるように思うかもしれませんが、創造のはじめから主の選びの中にあったというのです。この厳粛な事実を忘れてはなりません。救われた者すべてが、選ばれた器です。主の選びの器として用いられるには、どんなことが必要でしょうか。
・17節 /
・Tコリント15:10 /

「命の実を刈り取ろう」

 私たちには、主の器でない者はいません。ただ、その器の形や用いられ方が違うだけです。比べる必要はありません。主の選びの器なのですから、イエス様の道具となり、用いられるのです。ですから、私たちも主に用いられる器に相応しく整えられ、造り変えられる必要があります。信仰は、目が開かれることです。私たちも、目をおおっているうろこが落ちて、霊的にものを見ることができる成熟した信仰となることを願います。学びを通して与えられた気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。Tコリント15:9〜10。

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