小グループで聖書を学ぶ
12 彼を引き受けて(使徒9:23〜30)

「心の門を開いて」

 功成り名を遂げた人には、その人を助けた人々がいます。一人でそうなったわけではありません。人が自分の人生を振り返っても、必ずそういう人がいるものです。使徒パウロにも3人の人がいたと言われます。その人々の姿から信仰を学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 まずは、殉教者ステパノです。ステパノとサウロは、どんな接点がありましたか。ステパノのどんなことでサウロは助けられ、救いに導かれたのですか。神様は、サウロに対して、ステパノをどのように用いられたのですか。
・使徒7:58〜60/


2 「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」というとりなしの祈りが、サウロの心に深く残り、働き続けていました。そのとりなしの祈りのお陰で、迫害者であったサウロは回心したのです。私たちの回心や導きのために祈ってくれた人がいます。私たちの問題や困難のためにとりなし祈っていてくれた人がいるでしょう。その例を分かち合ってみましょう。



3 ダマスコ途上で回心したばかりのサウロは、目が見えなくなっていました。どれほど不安だったことでしょうか。そのサウロを助けるために主に用いられた人は誰ですか。イエス様に助けるように言われた時、その人はどんな態度を取りましたか。結局、どのようにしましたか。
・使徒9:8〜9/
・使徒9:10〜17/

4 アナニヤのしたことは、サウロを尋ねて行って、主の言葉を伝えるという小さなことでした。けれども、不安の中にいたサウロにとってどんなにありがたかったことでしょうか。そして、後のパウロ(サウロ)のキリスト教史上に輝く活躍を思うと、彼のしたことでどういうことが分かりますか。そこからあなたが思わされたことはどんなことですか。
・ヨブ8:7/


5 ダマスコでのユダヤ人の暗殺を逃れることができたサウロは、やがてエルサレムに戻りました。でも、そこでサウロを待ち受けていたのは、どんなことですか。聖徒たちでないユダヤ人たちは、どうですか。聖徒たちのサウロに対する態度は、どうですか。
・29節/
・26節/

6 ユダヤ人にとっては、サウロは裏切り者、敵、憎しみの対象となりました。サウロは、聖徒たちの仲間に入ろうとしましたが、聖徒たちは、サウロの回心を信じることができず、恐れました。まったくの孤立無援、四面楚歌です。どんなに辛いことでしょう。その時、誰が登場して来て、どんなことをしてくれましたか。その結果、どうなりましたか。どうして、そうなったのでしょうか。
・27節, 使徒4:36/
・28節/

7 信じて救われたからと言って、一人で礼拝して、信仰生活をすることができるでしょうか。聖徒たちと一緒に礼拝をささげ、信仰の交わりを通して整えられ、成長して行くものです。新しい歩みを始めた時は、分からないことが多く、一人では不安があります。助けて、導いてくれる人が必要です。その後、バルナバは、どのような行動をしてくれましたか。そのお陰で、サウロ(パウロ)は、どんな働きをするようになりましたか。
・使徒11:25〜26/
・使徒13:2〜3/

8 バルナバは、サウロを引き受けて聖徒たちの仲間入りをさせただけでなく、後にはアンテオケ教会で共に奉仕をさせ、訓練し、世界宣教師へ導いてくれました。クリスチャンは、一人でいると、時には試みを受けて信仰が弱り、問題に翻弄されて落胆し、肉の原理で生きてしまう時があります。私たちの霊的成長には、信仰の先輩による助けやフォローを受けることが非常に大切です。どんな人のどんな霊的助けがありましたか。



9 「時として助けられ、また時としては助け手になる」という考えは、初代教会の人間関係の基本的な原則でした。そのような養育の働きをしてくれる助け手、補佐役を「スポンサー」、その助け、導きを受ける人を「スポンシー」と呼びます。あなたの助けを必要としているスポンシーは誰でしょうか。ステパノ、アナニヤ、バルナバの働きを覚えて、あなたが遣わされるのは、どんな人のところですか。
・ガラテヤ6:2/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、互いに「時として助けられ、また時としては助け手になる」関係を持ちましょう。そして、私たちの助けやとりなしを必要とする誰かのためにとりなし祈り、助け、励まし、信仰の養育の働きをして行くのです。労苦があったとしても、後にはその人たちが自分の誉れ、誇りの冠となるでしょう。学びを通して与えられた気付きや導きを分かち合い、祈りましょう。Tテサロニケ2:19。

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