小グループで聖書を学ぶ

13 生きて何を残しますか(使徒9:31〜43)

「心の門を開いて」

 中国五代十国時代の武将、王彦章は「豹は死して皮を留め、人は死して名を留む」と言いました。そう言った王彦章自身、後世にその名を残しました。果たして、私たちは人生を生きて何を残せるのでしょうか。今日の箇所には、このようなことを私たちに考えさせる人々が登場しています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 エルサレムから散らされた聖徒たちが、行く先々で福音を宣べ伝え、信仰共同体を形成して行ったようです。そうした中で、使徒ペテロが巡回していました。ペテロは、どんな町でどんな人に出会いましたか。その人の境遇はどうですか。
・31〜33節/


2 アイネヤという名が記されているということは、ルダで有名な聖徒であったことがうかがわれます。聖徒たちによってペテロが尋ねるようにされていることからしても、このアイネヤという人は、聖徒たちから慕われ、尊敬されていたことが分かります。なぜ、病床にあった人が、主人公になっていたのでしょうか。



3 人々の救いに仕え、教会に仕えていたからでしょう。病床にあっても、名前をあげて、とりなしの祈りをしていたことでしょう。集会には、人々に連れて行ってもらい、そこで人々と交わり、励ましたりしてくれたのでしょう。聖書は、人に仕えることについて、どのように仕えなさいと教えていますか。
・エペソ6:6〜7,24/


4 人に仕えるなど、よっぽど余裕がないとやれない、力がないとできないと思いがちです。自分の状態に不満があれば、仕えることなど考えもしません。しかし、人は、反対に人に仕えることで生きる喜びと確かさが与えられ、人に仕えることで地上の生涯の生きた証しとなります。そのように生きたもう一人の仕える人は、どんな人ですか。どんなことをしていましたか。記録から、できるだけ想像してみてください。
・36節/
・39節/

5 「女の弟子」という名称が付いているくらい、福音に献身して、そのために人々によく仕えていた聖徒であったことが分かります。生涯を通して、「多くの良いわざと施しをしていた」のです。衣服に困っている人には下着や上着を作ってあげて、孤独な人には話し相手になったことでしょう。あなたの周りにそのような人がいますか。あなたは、どのように仕えていますか。



6 タビタは、どうしてこのような生き方をするようになったのでしょうか。仕えて生きるようになったのは、何の影響を受けたのでしょうか。
・マルコ10:45/


7 神の御子であるイエス様は、私たちに仕えるために来たと言い、私たちの救いのために十字架の犠牲になられました。ですから、このイエス様の贖いを受けた者は、自分にできることを通して、人々に仕えて行くのです。ところが、その頃タビタが病気になり、死んでしまいました。聖徒たちは、その時どうしましたか。これは、どういうことを意味しているのでしょうか。聖徒たちのどんな思いのあらわれですか。
・37〜39節/


8 聖徒たちは、すぐに埋葬する気になれず、すずしい屋上の間に遺体を安置して、ルダにいた使徒ペテロを呼んで来ました。屋上の間に案内されたペテロが見た光景は、どんなものですか。それは、タビタの何をあらわしているのですか。
・39節/
・ヤコブ2:22,ピレモン1:6〜7/

9 men for othersという言葉があります。欧米では「他者のための人であれ」という理念が、キリスト教の伝統の中で教えられて来ました。利己主義が蔓延している現代社会で、あなたは、どのように人々に仕えていこうと思いますか。あなたにできることは、何ですか。どんなことをして仕えますか。



「命の実を刈り取ろう」

 人を愛し、人に仕えるというのは、イエス様が私を十字架に犠牲になられるほど愛してくださり、仕えてくださったという救いの体験が導いてくれます。私たちは、地上の生涯を生きて何を残せるのでしょうか、何を残すのでしょうか。私たちは、信仰でもってそれぞれ自分にできることで世に仕え、人々に仕えたいと願います。今日の学びを通して示されたこと導きを受けたことを分かち合い、互いのために祈りましょう。ピレモン1:6〜7。

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