小グループで聖書を学ぶ
2 心が萎えたままでいいのですか(ヨエル1:15〜20)

「心の門を開いて」

 コップに水が半分しかない、半分もある。食べられない葡萄は、酸っぱい葡萄だ。このような例は、状況の受け止め方の違いで使用されるものです。人が患難や問題に出会った時、どう受け止め、判断するかで、その後の取り組みや歩みもまったく違って来ます。私たちも、きょうの聖書の個所から、そのようなことを学びましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 未曾有のイナゴの害を受けた民に対して、悔い改めと聖会を求められていました。どうして災害に出会った人々に悔い改めや聖会が必要だったのでしょうか。そのままでは助けも受けられない、災害の受け止め方では、民が助けを求めなくなるからです。イナゴの害に会った人々は、どんな受け止め方をしたのでしょうか。
・13〜15節/


2 人々は、今起こっているイナゴの害があまりにも凄まじいので、主の日を思い起こし、主の日の先触れと考えたのです。彼らは主の日を、裁きが全世界を覆い、絶望で暗闇のようだという印象を持っていたのですが、本当は、どのように受け止めるべきなのですか。
・アモス5:17〜20/
・Tテサロニケ5:4〜6,9〜10/

3 神様は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったと宣言しています。イエス様があなたのために十字架にかかってくださったのだから、どのような状況の中でも、イエス様と歩むようにと勧めています。でも、甚大なイナゴの害に出会って、主の日を連想したイスラエルの民は、どのように受け止めたと考えられますか。引用個所を参考にしましょう。
・イザヤ13:6〜7/


4 人が患難や事件に出会い、失望落胆すると、否定的に捉え、気力を失い、心がなえてしまうものです。学習性無気力感という心理学の用語があります。長期間にわたってストレス回避困難な環境に置かれた人が、その状況から「何をしても意味がない」と学習し、逃れようとする努力すら行われなくなる現象を言います。どうやら、イスラエルの民も、気力を失い、心がなえてしまったようです。16節では、何と言っていますか。
・16節/


5 イナゴの害でささげる物がなくなったのは確かですが、ささげものは無くても、礼拝はできます。心が萎えた結果、しなくなったのです。患難や災害の時こそ、真実な礼拝をささげ、そこから立ち上がる道なのに、逆の行動をしたのです。17節では、何と言っていますか。他人事のように言っていますが、彼らは、どう反応したのですか。
・17節/


6 穀物がイナゴによって食い尽くされたのは確かですが、それで彼らの心が萎えてしまい、種を蒔いても無駄だと放置し、倉をほったらかしにし、怒って穴倉を壊してしまいました。現代の人々にすれば、テストに失敗すれば勉強しても無駄だと言い、仕事が評価されなければ怒ってやる気を失い、患難が続ければ何をやっても意味がないと思い、努力や前進をやめてしまう姿でしょうか。思い当たることはありませんか。



7 18節では、家畜がうめいて、群れがさまようのは、牧場がないからだと言い訳を言っています。農夫が蝗害で気力を失い、心が萎えてしまった結果、家畜をほったらかしにし、世話を止め、牧場を荒廃させたということです。患難や事件で失望落胆すると、仕事が手につかなくなり、生活の動きが滞り、生活が荒れ果ててしまうことがあります。農夫たちの反応を見て、感じることは何ですか。
・18節/
・ネヘミヤ6:9/

8 預言者ヨエルを通して、悔い改めて、真実な礼拝をささげ、主に向かって叫べと勧められた民は、御言葉を聞く必要がありました。彼らは、甚大なイナゴの害によって、飢饉に陥りました。でも、神の民の問題は、飢饉で食べるものがないことではなく、御言葉を聞くことの飢饉でした。御言葉は、何と言っていますか。それは、どうすることが求められているのですか。
・19〜20節/
・ピリピ4:6〜7,/

9 災害や患難の中で、主に回復を叫び、助けを祈り求めるように言われています。私たちは、自分の仕事や勉強、病気や問題について、主に話す必要があります。気力を失い、心が萎えるなら、なおのこと、その心や思いを主に祈って、知ってもらわなくてはなりません。なぜ、そのようにすることができるのですか。
・ヘブル4:15〜16/

「命の実を刈り取ろう」

 神様は、患難や問題を通して、悔い改めに導き、私たちの信仰を新たにしようとされます。患難や問題は、信仰の確かさやダイナミックな主の導きを体験することのできる機会となります。それまで患難に出会ったことのない聖徒が、患難を通して信仰の大きな恵みを体験して行きます。苦しみや涙の中で主への信頼を増し加え、信仰の力や恵みの深さを味わいます。そのような体験があれば分かち合いましょう。

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