小グループで聖書を学ぶ
3 着物でなく心を引き裂きなさい(ヨエル2:1〜17)

「心の門を開いて」

 トリックアートという、目の錯覚を利用した作品群があります。人は多くの錯覚をし、様々な勘違いをしています。聖書のメッセージは、そうした人間の錯覚を指摘してくれます。今日の個所も、人の思い違いを指摘して、正してくれるところです。どんな勘違いをしていたのでしょうか。

「御言葉の種を蒔こう」

1 預言者ヨエルの時代、当時の神の民は、神を離れ、偶像崇拝をして、酒に酔って腐敗していました。彼らにとって、神は困った時に利用するものでした。普段は神を忘れて、自分の思うままに歩んでいました。それでも、神の民だと勘違いしていました。この民は、どんなことを通して、自分たちの姿に気付かせられますか。
・1〜3,11節/


2 多くの人が勘違いをして生きています。世界のすべてが自分のために存在しているかのように錯覚しています。仕事や家庭も、自分の人生が自分の考えるようになると思い違いしています。人は、自分を造られた神を認めず、まるで自分が人生の主人であるかのように生きています。自分自身を神にする大きな罪を犯しているのです。自分自身を振り返ってみましょう。神様なしで生きようとしていませんか。自分勝手になっていませんか。あなたの主人は誰ですか。あなたの思い違いは何ですか。
・節/


3 人生において、未曾有の患難や問題が起こります。そのような時、恐れ、落胆し、耐えられないと絶望します。すべてを行うことができると思って生きていたが、ある日突然、何もできない自分自身を発見することになります。その衝撃で倒れます。その問題を解決しようとしてみても、なおさら泥沼に陥るだけです。心が一層痛みます。そこで、どうすることを促されていますか。それらを一言では、何と言いますか。
・12〜13節前半/
・マルコ1:15/

4 民が苦しんでいた真の原因は、災害や外国軍の侵略ではなく、神様との関係にありました。それで、悔い改めて、神に立ち返れと言われています。まず、断食して、立ち返ります。神の前に断食することは、命を捧げて悔い改めるということです。食べることに集中しないで、神に祈ることに集中します。患難や苦しみの中で祈ることを忘れていたことを思い出すことはありませんか。

5 次に、泣いて、嘆いて、神に立ち返ります。神を忘れてさまよっていた自分を嘆いて、悲惨な状態を悲しみます。自分が神となって、自分の思いに埋没して、倒れて落ち込んでいたことを思えば、神の前で号泣せざるを得ないでしょう。そんな経験がありますか。涙で祈りながら種をまいたならば、どうなると約束していますか。
・詩篇126:5〜6/


6 そして、着物ではなく、心を引き裂いて、神に立ち返ります。悔い改めた時は服を裂けと伝えられていたユダの民は、悔い改めることは、服を引き破ることだと勘違いをしていました。酷く怒れば服を破り、悲しめば服を裂き、それで問題が解決したかのように考えました。自分のことばかり考えていた思いを捨てて、他者を省みるようになり、神を忘れて歩んでいた心を否定して、神中心の思いに変わるのが心を引き裂くことです。あなたは、どんな悔い改めを必要としていますか。どんな心を引き裂く必要がありますか。



7 災害や外敵、問題や病気でも、それをきっかけに神に立ち返って来ることができれば、祝福につながります。こうして、礼拝の回復、礼拝のリバイバルが始まります。老人たちと幼子、乳飲み子まで、新郎新婦もみんな、リバイバルの礼拝に出て来なさいと促しています。神様の前に徹底的に悔い改めなければ、その結婚と家庭の未来が何の意味もなくなるからです。主の前に悔い改めのない家庭は、争いと憎しみの場となります。あなたは、どんな心をもって、主の前に集まるようにと導かれていますか。
・15〜17節/

8 私たちが神に立ち返ると、なぜ救いや信仰の回復が起こるのですか。この神様の姿は、放蕩息子のたとえによく表されています。どんなところが似ていますか。
・13節後半〜14節/
・ルカ15:11〜24/

9 今日の韓国教会の基礎となったと言われる平壌信仰復興運動は、1人の小学生が、このルカ15章の放蕩息子の説教を聞いて、悔い改めて、告白したことから始まったそうです。私たちは、何を知って、どのように神様に立ち返るのですか。
・Tペテロ2:24〜25/

「命の実を刈り取ろう」

 サタンは、神の愛する聖徒たちを、災害や患難、問題や病気を通して、神様から引き離そうとしています。患難や試練に会ったことが問題ではありません。それによって心が神様から離され、気落ちして、心が萎えてしまうことが問題なのです。悔い改めて、神に立ち返りましょう。主は、私たちを立ち上がらせてくださいます。私たちは、主の御前に生きるのです。今日の学びを通して、気付かされたこと、悔い改めたこと、決心したこと分かち合いましょう。ホセア6:1〜2。

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