小グループで聖書を学ぶ
4 主にあって喜び、感謝しよう (ヨエル2:18〜27)

「心の門を開いて」

 苦難の印象は、長くて中々終わらないことでしょう。幸せな時はあっという間に過ぎ去って、苦難はうんざりするように長いという印象です。あれもこれも駄目になり、すべてが失われるなら、悩みと悲しみの中に落ち込み、恐れます。それでも、残っているものがあり、回復の望みがあります。失望落胆の中にいたとしても、主にあって回復へと向かい始めます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 主を忘れて自分の力と考えで何とかできると思っていた、災害や患難のために心が神様から離れていた、不安と恐れに陥って主を信頼していなかった、そのようなところから民は、悔い改めて、主に立ち返りました。そのような民をご覧になられた神様は、どのようになられましたか。
・18節/


2 妬むと訳された原語には、熱心という意味もあります。元々熱い心があって、ねたみにも燃えるということなのでしょう。ですから、心が熱くなって、と訳している聖書もあります。立ち返って来る民に対して、神様は、心が熱くなられたほどあわれまれたのです。神は熱く切ない心で、罪に翻弄され、滅び行くたましいをあわれまれ、苦しみ悲しむ人々を熱く切ない心で見て、救いの手段を用意してくださいました。どんな方法ですか。
・ヨハネ3:16/


3 悔い改めて、主に立ち返った民は、慟哭して祈りました。その祈りを聞かれた神様は、回復の約束をしてくださいました。ヨエルの伝える回復は、民が失ったものを一つ一つ回復しようと約束されています。それぞれどんなことですか。
・19〜20,22〜26節/


4 聖書の神は、回復の神です。とりわけ、「食い尽くした年々を償おう」、回復しようと言われます。長年出エジプトの民を導いて労苦したモーセの祈りを参照すると、悩まされた日々とわざわいに会った年々に応じて報いてくださるという主の約束です。私たちに救い主イエス様を与えてくださった神様は、私たちがこれまで苦しんで、悲しんだところを補償してくださるお方なのです。引用聖句を読んで感じることは、何ですか。
・25節/
・詩篇90:13〜16/

5 私たちは、困難や問題で、不安や恐れを抱くものです。しかし、イエス様は、自然よりも大切な私たちを養い守ってくださるから、心配しないようにと言われました。イエス様が自然の鳥や花と比べて言われたことを読んで、あなたの思うことは何ですか。
・マタイ6:26,30〜34/


6 かつては、神様を離れて、自分の思いで生きていても、患難や問題を通して苦しみや悩み、悲しみを経験してからは、主にだけ、より頼みながら生きて行こうと決断します。そのように変われば、それまで出会った患難や問題を通して受けた苦しみや悲しみが、どのように変えられますか。
・ローマ8:28/


7 「楽しみ喜べ」と二度繰り返されています。この箇所は、やがて来る回復の約束です。ヨエルの時代の現状は、まだいなごの害と干ばつで大地は荒廃し、民の生活は疲弊しています。とても楽しみ喜べる状態ではありません。災害から大きな苦痛を受けて、感謝できる環境ではありません。それなのに、どうして喜び、感謝できるのですか。
・21,23節/
・ハバクク3:17〜19/

8 民が楽しみ喜び、感謝できるのは、すべての問題が解決された後ではなく、むしろ目に見える問題や困難が一つも解決されていない時です。神様が切なる祈りを聞いてくださったと確信できる時、信仰の目で未来を眺める時、回復の声が聞こえて来るのです。すべてのことは、心の中にまず起きます。患難や問題の中でも、主にあって感謝してみます。感謝して生きて行くと、実際に感謝できることが起こって来ます。そのような経験があれば、分かち合ってください。


9 癌治療を20年して来た癌専門の医者自身が癌になり、幾度も転移して、何度も手術しました。その人は、「人生のすべての苦しみは、洞窟ではなく、トンネルです。いつかは終わりがあり、出口がある」と希望をもって乗り越えました。その後、不自由な体で医者に復帰し、「治療が残っているだけでも感謝しなければならない、絶望することが免疫を落とす」と言って、癌患者を励まし治療をしているそうです。この話は、どんな心が病気を癒すことになると教えていますか。


「命の実を刈り取ろう」

 患難の中でも、祈って主に拠り頼み、主の回復を信じて、喜び、感謝するなら、苦難に耐える信仰が与えられます。事実、それを乗り越えて、回復を享受するようになります。今日の学びで、気付かされたこと、悔い改めたこと、決心したことがあれば、分かち合いましょう。Tテサロニケ5:16〜18。

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