小グループで聖書を学ぶ
5 ビジョンがなければ (ヨエル2:28〜32)

「心の門を開いて」

 公民権運動で有名なキング牧師は、「私には夢がある、私には夢がある」と繰り返される感動的な演説をしました。その人権運動の火は、彼の死後も消えることなく、やがて公民権が制定され、ついには黒人大統領が誕生するに至りました。絶望を越えて夢を見るとき、夢は実現して行きます。聖書から、夢と幻について学びましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ヨエルの時代は、甚大ないなごの害によって、大地は荒廃し、神様から離れていた民は、無秩序と混乱の中で絶望し、疲弊していました。しかし、悔い改めて、神に立ち返った民に対して、どんな約束が与えられましたか。
・28〜29節/


2 聖霊が注がれて、夢や幻を見ると約束が与えられました。幻とか夢は、ビジョンとも言います。ビジョンは、一人の人生をまったく変えて、以前と比べることもできない新しい人にならせます。私には何の希望もない、私には何の変化もないという人がいるとしたら、その原因は、ビジョンがないことから始まっています。ビジョンがある人には、希望があり、変化があるからです。御言葉は何と言っていますか。どういう意味ですか。
・箴言29:18/


3 「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」とは、英訳では「幻のない民は、滅びる」となっています。人々が無秩序で混沌とした中にいるのは、ビジョンがないからだということです。三重苦で有名なヘレン・ケラー氏は、盲目で生まれるよりも不幸なことは何ですかという質問に対して、「世界で最も哀れな人は、目が見えてもビジョンがない人です」と答えました。あなたは、このことについて、どう思いますか。



4 28節では、神の霊が注がれるところ、子どもたちが預言をし、老人が夢を見て、青年が幻を見ると言っています。神の御霊と夢、幻は密接な関係にあります。聖霊と御言葉も密接な関係にあります。民が神様から離れている時、どんな状態だと言っていますか。
・Tサムエル3:1/


5 子どもたちが預言をするとは、預言者になるということではなく、将来神様が自分に行われることを語るということです。子どもの特徴は、将来自分がしたいこと、自分がなりたいことを夢物語のように言うことです。しかし、聖霊が望むと、子どもたちは、御言葉を通して将来神様が自分をどのように導いてくださるかという希望と確信を持って、それに向かって歩んで行けます。そうであるならば、子どもたちに何が必要ですか。
・Uテモテ1:5/
・Uテモテ3:14〜17/

6 高齢者の特徴は、過去志向です。昔は良かった、昔はこうだった、昔こうしておけばよかったと過去のことを自慢したり、後悔したりします。しかし、御霊が臨めば、夢を見ます。希望をもって生きて行きます。将来自分の子どもたちや自分が助けた人々が、希望を持って生きて、やがてビジョンを実現して行くのです。そのような夢のために、どうしていけばいいでしょうか。



7 若者の特徴はどうでしょう。将来よりも現実を重視します。思いのまま現実を楽しもうとします。特に、社会の将来に希望を抱けず、今だけ良ければという思考が強いようです。しかし、御霊が臨めば、幻を見て、ビジョンを待つようになります。札幌農学校で「青年よ、大志を抱け」と言い残したクラーク博士から信仰とビジョンを学んだ青年たちから、新渡戸稲造や内村鑑三という活躍したクリスチャンが現れました。あなたの夢や大志は何ですか。



8 確かに、人生には患難があります。絶望に打ちひしがれる時があります。30〜31節には、戦争や災害や審判が示されています。しかし、そのような災いと裁きが、救いの日に変わります。主の名前を呼ぶのは、イエス様への信仰告白です。イエス様の十字架の犠牲を信じて救われた者は、聖霊を受けます。聖霊を受けていても、満たされることが必要です。あなたが、ビジョンを受けるためには、どうすればいいのでしょうか。
・30〜32節/
・使徒2:38,エペソ5:18/

9 人生は患難や問題があります。しかし、いくら難しい状況でも、夢を失わないでください。ビジョンを最後まで持ち続けるならば、絶望の山に希望のトンネルを掘ることができます。ビジョンがなければ、ほしいままに振舞います。ビジョンをどのように受け取り、ビジョン実現のためには、どうしたらよいのでしょうか。
・ピリピ3:12〜14/

「命の実を刈り取ろう」

 世の人々は、希望を見出そうともがいています。どこに希望があるでしょうか。夢のあるところに希望があります。ビジョンのあるところに変化が生じます。イエス様を信じた者に御霊が与えられ、ビジョンが臨みます。ビジョンについて気付かされたこと、導かれたこと、決心したことを分かち合いましょう。

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