小グループで聖書を学ぶ
なぜ泣いているのですか (ヨハネ20:1〜2,11〜18)

「心の門を開いて」

 近頃は、日本でもイースターが話題とされ、卵やウサギのお菓子や置物が売られるようになって来ました。なぜ祝われているか、ぜひ知ってほしいですね。そのためには、まず証しをする私たちが、イースターの恵みを体験することです。復活の主に会った一人の女性を通して学ぶことにしましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 イエス様が復活されたイースターの朝、一人の女性がイエス様の墓に来ました。どんな女性ですか。そこで、どのような状態となりましたか。
・1,11節/
・ルカ8:2/

2 マグダラのマリヤにとって、イエス様は命の恩人であり、自分を生かしてくださった方なので、誰よりも早くイエス様の墓にやって来ました。マリヤは、そこでどういうことを見て、失望と落胆に陥り、心は喪失感で空虚になって泣いていたのですか。繰り返されている言葉に注目しましょう。
・2,13節/


3 空の墓は、失意と絶望の中にいるマリヤの心をあらわしているようです。人は誰でも、心を寄せて頼りにしていた人や物や状況が失われてしまうと、喪失感で心に空洞ができたようになります。私たちも経験することです。マリヤの涙は、悲しみの涙ではなく、イエス様の遺体までなくなってしまったことによる喪失感の涙です。あなたは、どんなことで何のために、そのような心境になりましたか。



4 イエス様の遺体にでもすがりつきたいという思いがあったマリヤは、遺体がないことで喪失感に陥り、失意と絶望の中でどうなってしまいましたか。引用箇所も参照しましょう。このことは、私たちに何を教えていると思いますか。
・14〜15節/
・創世記21:16〜19

5 私たちの心の絶望感や喪失感が、大切なものを見えなくさせ、気付かせなくさせるのです。私たちは、心配をする理由のない時に、何としばしば心配することでしょうか。私たちの生涯において、恐れることの3分の2は、まったく起こらないことであり、私たちが心配して流す涙の3分の2は、無駄に流されていると言われます。聖書の約束は、何と言っていますか。
・ローマ8:31〜32/
・ローマ8:35,39/

6 今日のクライマックスは、マリヤがイエス様だと気付く劇的な場面です。感動的な復活のイエス様との出会いです。なぜ、気付くようになったのですか。
・16節/
・ヨハネ10:3〜4/

7 印象的な感動の場面は、何度も証しされたために、ヘブル語の呼びかけと応答が残されています。私たちが、失意と絶望感にある時、恐れや心配の只中にある時、復活のイエス様は私たちの名前を呼んでくださいます。私たちが仕事や家庭の問題で失意や心配の中にある時、どう生きてよいか分からず喪失感に打ちひしがれる時、イエス様が近づいて来て声をかけてくださいます。どのように応答しますか。(参考/ヨハネ11:25〜26)



8 イエス様にすがりつこうとするマリヤに対して、なぜすがりついてはいけないと言われたのですか。復活されたイエス様が御国に戻られれば、どうなるからですか。
・17節/
・ヨハネ14:16〜17,ヨハネ16:7/

9 御国に戻られたイエス様の代わりに、助け主なる神、御霊が遣わされ、イエス様を信じた者の内に住んでくださいます。天の神様が私たちの父であるという恵みの関係に入れられます。何と素晴らしいことでしょうか。マリヤの姿は、私たち自身の姿に目を開かせ、イエス様の呼びかけに応答するように、復活の信仰に生きるように導いてくれます。復活の主に出会ったマリヤは、その後どんな人生を送ったのでしょうか。最後の節が、それを垣間見せています。主は、マリヤをどんなことのために用いられましたか。このことからどのような人生を送ったと思われますか。
・18節/

「命の実を刈り取ろう」

 マリヤは、喜びの涙が止まらないまま、主が命じられたように、弟子たちのところに飛んで行って伝えました。残りの生涯、マリヤは、人々の救いのために十字架にかかり、よみがえられた救い主を伝え続けたことでしょう。イエス様と出会って、孤独と不安、恐れと失意の中から救われた者は、同じような境遇に生きる他のたましいの救いのために生かされる器となります。私たちは、自分の救いの恵みを覚えれば覚えるほど、失意と不安の中にあるたましいの救いを思わずにはいられません。
 信じて救われた私たちでも、何度も墓の前に泣くマリヤのようになることでしょう。でも、イエス様は、何度でも私たちを呼んで、振り向かせてくださいます。礼拝と御言葉を通して、そのようにしてくださいます。今日の学びを通して与えられた決心や気付きについて分かち合ってください。

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