小グループで聖書を学ぶ
 平安があなたがたにあるように(ヨハネ20:19〜23)

「心の門を開いて」

 トルストイ作の靴屋のマルチンという物語があります。自暴自棄になっていたマルチンが夢の中で、お前の家に行くという神様の声を聞いてから、生き生きして人々を助ける人になって行くものです。イースターの日、復活のイエス様が自分のところに来られると想像しながら、今日の箇所を学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様の弟子であったことは素晴らしい誇りでした。イエス様がエルサレムに入城する時も弟子たちは堂々としていました。ところが、イエス様は十字架につけられ、ののしられ、あざけられ、無残に殺されてしまいました。イースターの日、残された弟子たちの様子はどうですか。彼らの心情をあらわしている言葉と行動に注目しましょう。
・19節前半/


2 イエス様が十字架で殺されてしまったことで、弟子たちは、失望落胆し、大きな挫折を味わいました。自信を失いました。イエス様の弟子である自分たちも殺されるのではないかと非常に恐れ、いつユダヤ人が捕まえに来るかと不安で不安でたまりませんでした。弟子たちは、恐れと不安で閉じこもっていたのです。人間は不安の存在です。現代は不安の時代とも言われています。人々は、様々なことで恐れや不安を感じながら生きているのです。私たちは、どんなことで恐れや不安を感じているでしょうか。



3 彼らの恐れや不安について、大事な点を見落としてはいけません。弟子たちは、すでにイエス様復活のニュースを聞いていたはずです。それなのに、不安と恐れを抱いたままでした。弟子たちは、恐れで頭がいっぱいになって、自らを閉じ込め、自分の心を縛っていたようです。私たちも、イエス様の復活の話は知っています。信じています。でも、何か問題や事件が起これば、不安や恐れの中に覆われてしまいます。弟子たちには、何が必要でしたか。どんなことが起こりましたか。
・17節/
・19節後半/

4 「平安があなたがたにあるように」というイエス様の一言は、失望落胆し、恐れと不安の中に閉じこもっていた弟子たちの耳にどのように響いたでしょうか。今、イエス様があなたの所に来て、「平安があなたにあるように」と言ってくださる場面を想像してみてください。どんな思いになりますか。
・20節/
・ヨハネ16:33,エレミヤ29:11/(参考)

5 イエス様を裏切り、イエス様を見捨てた弟子たち、もう弟子の資格もないような者なのに、イエス様がさがして来てくださいました。復活されたイエス様が弟子たちに与えられた贈り物は、平安でした。イエス様が与えてくださった平安の特徴は何ですか。どう違うのでしょうか。話し合ってみましょう。
・ヨハネ14:27/


6 世で言う平安は、災いや患難に出会わないとか自分の願う通り事がなるならというものです。しかし、「平安があるように」と言われても、弟子たちの恐れや不安の原因が消えたわけではありません。復活された主に対する信仰が大きくなることにより、不安や恐れが消え、平安が自分の心に来たのです。このことについて、あなた自身はどうですか。
・黙示録3:20/(参考)


7 イエス様は、平安を与えられた弟子たち対して、素晴らしい使命を与えておられます。どんな働きですか。
・21,23節/


8 私たちに人の罪を赦す権限があるのではなく、イエス様の赦しの福音を伝える役割をするだけです。しかし、罪の赦しを伝えなければ、その人の罪はそのままなのですから、伝えなければなりません。主の平安を与えられたクリスチャンは、福音で世を変えて行く存在となります。世で信仰をもって生きて、使命を果たし、用いられて行くには、私たちには何が必要ですか。それは何を与えてくれるのですか。
・22節/
・使徒1:8, ガラテヤ6:15/

9 聖霊を受けた後、弟子たちは、驚くほど変えられて、福音の働き人となりました。苦難や災いがある世の中で、世を見る目が変わってきて、問題に接する姿勢が変わって来ます。不安と恐れから喜びと希望に変えられた弟子たちに対して、なぜもう一度平安を宣言して、世に遣わすと言われたのでしょうか。平安が与えられる意味は何でしょうか。あなたは、どうしますか。


「命の実を刈り取ろう」

 今、心に復活の主を迎えてください。恐れと不安の心に平安が与えられ、喜びと力が与えられ、使命を果たしながら、新しく生きる者となることができます。学びを通して気付かされたことや受けた導きを分かち合い、祈りましょう。ヨハネ14:27。

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