2012年2月12日「戒めと裁き」イザヤ13:1-12
序−13章以下には、ユダの周囲にある国々への裁きが預言されています。まず、ここでは、アッシリヤよりもっと強大なバビロン帝国の滅亡が預言されています。裁きと戒めの違いを学び、神様の救いのご計画に心を留めます。
T−計画を立てられる神様−1-5
バビロンの滅びのために、神様は軍人たちを呼び集めました。1-2節。イザヤの時代は、まだアッシリヤが中東を席巻しており、これは後の預言です。アッシリヤの後、バビロンという国が強国となり、そのバビロンが滅びると教えています。これは、運命を教えているのではありません。神様の計画を教えています。私たちに対して、神様は計画を持っておられます。神様は、選んだ人を必ず救ってくださるのです。それを、バビロンの滅びを通して教えてくださいます。
やがてユダは、このバビロンによって滅ぼされます。しかし、滅ぶと言っても、ユダが完全になくなるわけではありません。後には、バビロン捕囚から帰還して、国は再興されることになります。ですから、ユダが回復できないほどに駄目にならないために、バビロンに滅ぼさせたということです。ユダをそのままにして置けば、完全に罪に堕して、回復不可能になってしまったでしょう。それ以上腐敗しないようにさせたのです。
「はげ山の上に旗を掲げ」というのは、木の生えていない高い山に軍隊召集の旗を掲げて、遠くからもよく見えるように召集したということです。さらに、声をあげさせ、手を振らせたというのですから、よく知らせが伝わったことでしょう。その内容は、3節です。「わたしに聖別された者」とは、バビロンを打つために神様が召集された軍隊だということです。後にこの国はメディヤとして登場して来ます。ダニエル5章。メディヤを神様が用いられたということです。強大なバビロンを滅ぼすために、大軍勢が召集されます。4-5節。その旗のもとにあちこちから人々がどんどん集まり、大軍勢になって行きます。その雄叫びが遠くまで轟くようだというのです。「貴族の門」とは、有名なバビロンの城門のことです。大軍勢がバビロン滅ぼし、その中に入って行くのです。
神様が恵みをくださろうとしたのに、ユダは滅びを招くようにしてしまいました。神様の救いの計画がなかったら、救い出されることがないでしょう。ユダを苦しめたアッシリヤもアラムもないなら、苦難も絶望もないなら、どれほど良いでしょうか。でも、もしそうだとしたら、神の民は、罪のために神様の恵みから落ちてしまうでしょう。傲慢になって、北イスラエルの轍を踏むようになるでしょう。そうならないためのバビロンなのです。ユダの腐敗と滅びへ向かうのを止めるものとなります。ユダの罪を防いでくれます。そして、その後、神様はバビロンを砕いて、ユダを助け出してくださるというのです。
私たちの信仰生活は、どうでしょう。神様がいつも恵みをくださるというのに、私たちは罪の歩みをするのです。私たちの人生に患難もなく、思うようにできたらどんなによいかと思います。ところが、かえって罪のために悪くなってしまい、神様の御旨から離れてしまうのです。だから、苦難を通して引き戻され、神様に立ち返るようにされるのです。
何のために、このような預言が与えられたのでしょうか。祝福は、勤勉に聖書を調べる者のものです。バビロンに滅ばされて、捕虜として連れて行かれても、この預言を読む者は、祈りながら希望をもってその地でしっかり生きて、祝福を受けて活躍できたのです。その例の一つが、ダニエルです。ダニエルは、エレミヤ書を読む中で、バビロンでの捕囚が70年であることを知って、その地でしっかり生き、大臣にまでなり、バビロンがメディアに倒されるのに、立ち会うことになります。
今日神様が私たちに約束された祝福は、苦難の中でも希望を持つことです。困難を戒めと受け止め、神様の祝福に鈍感であってはなりません。私たちは、苦難の中でこの恵みを捜し、取り戻さなければなりません。
U−バビロンの滅亡−6-8
やがての日に、神様の怒りがバビロンにくだります。6-8節。バビロンが滅びる時、何を信じていたのでしょうか。バビロンは、自らを世界最強の国だと信じていました。自分の軍事力を信じていたのです。神様が私たちに要求されることは、自分自身を信じるなということです。それは、努力するな、最善を尽くすなということではありません。私たちには、いつでも自分中心になろうとする病いがあります。いつも私は幸せでいつも私に良いことばかりでなければ病に罹っています。そうすると、苦難の中で、本当に病気になってしまいます。
私たちは、困難の中で一つずつ悟って、神様の前に立ち返って、神様がどんなことをしてくださるのかを喜ぼうとするのです。信仰というのは、いつも神様を覚え、自分は何か分からないけれども、神様はすべてのことをご存知だと認めます。私たちは、自分の思い中心病にかかると、すべてのことを自分の考えでしようとするか、自分は何もできないと恐れ挫折してしまうか、両極端に偏る危険があります。
信仰の中で苦難を経験するならば、苦難の中にも神様の計画が進んでいて、神様の時があると知るようになります。神様の時の前にじたばたしてもしようがありません。神様の時が来れば、ことが起こるようになります。バビロンの人々は自分の力を信じていて、その時までは良かったが、自分を信じていたことが崩れる時、何の望みもなくなってしまうのです。
V−戒めと裁きの違い−9-12
神様は、ユダが滅ぼされることを「戒め」と言われ、バビロンが滅ぶのを「さばき」だと言われます。「戒めと裁き」の間に、どんな違いがあるのでしょうか。9-10節。神様がその民を戒められる時、状況は絶望的です。しかし、そのような状況でも、心の中には明るい光がさしているのです。神様が与えてくださる平安があります。困難が近づく時、もう駄目なようでも、不思議に何とか守られるように思えるのです。詩篇94:12-13。
神様が裁かれる時は、光がまったくありません。天の星が光を放たなくなるというのは、神様の裁きの象徴的な表現です。悪者が裁きを受ける時、心も裁きを受け、希望も平安もなくなります。しかし、神様の民は、苦難を受ける時、何よりも自分の傲慢を覚え、神様が自分を戒めておられるという思いが浮かびます。それが、戒めと裁きの違いです。イエス様の光は、神様の真実さを信じるのです。心の中に神様に対する信仰が生じる時、太陽の光を浴びているようです。私たちの中に信仰があるでしょうか。心の中に御言葉に聞き従って生きようとする思いがあるでしょうか。そうであるなら、私たちの中にも光があります。どんなに困難な状況に会っても、神様は自分に対する計画を持っておられると認めているでしょうか。そうであるなら、その心には、光があります。Tペテロ5:10。
11-12節。「人をまれにする」とは、神様は、バビロンの栄光を奪われる時、人々を散らしてしまい、再び集まらないようにするということです。人の栄光は、人が多く集まるときです。スターや政治家が隆盛を誇る時、人々が多く集まり、驕り高ぶるものです。人が集まらないということは、裁かれて、バビロンが寂れてしまうということです。
ユダの民が悟ったことは、本当に尊いことは、自分たちにあるということです。神の民に御言葉の泉があります。彼らの悲劇は、自分たちに与えられたもので満足しなかったことです。御言葉だけで満足できなくて、他の国々のようになることを求め、欲と罪に引かれたのです。しかし、彼らの見るのは、バビロンの栄華の空しさです。私たちに重要なことは、御言葉の泉を守ることです。有名になったり、豪華になったりする必要はありません。神様がここで約束されたことは、私たち対して責任を持っておられるということです。神様は、そのために計画を持っておられます。ユダの民にとっては、それはバビロンを用いて戒め、立ち返らせるということです。私たちには、世で経験する苦難もそうだということです。
人は愚かな者です。神様の恵みを受けても罪に陥り、神様の嫌われることをしてしまいます。神様から離れて、自分の思いに走って、罪に翻弄されてしまいます。ですから、神様が私たちを捕まえてくださらなければならないのです。苦難という戒めが与えられ、神様の下に立ち返り、悔い改めて、再び光の中を歩むようになるのです。神様を喜び、御言葉によって生きる者、神様の栄光をあらわして生きる者と回復されるのです。
結局、バビロンは滅びます。彼らが捕虜として連れて来たユダの民が学んだことは、絶望の中でも滅びない、苦難の聖徒は守られるということです。彼らがバビロンで生き残るのを見るなら、どんな困難な世の人々も、生き残ることができるということです。バビロンを打つ軍勢を集められたのは、神様です。結局、この世で生き残る者は、神様を恐れる者です。神様は、私たちをこの世において御心を成すために用いられます。私たちは、苦難も信仰で受け止めるのです。すべてのことを神様がご存知であり、神様のご計画の中にあると考えるのです。そして、神様の御手のうちにあることを喜び、神様に導かれていることを感謝します。すべてのことは、神様の御手の内にあります。私たちのできることは、神様の中で喜び、神様の守りの中で熱心に生きることだけです。詩篇19:8-11。
イザヤ
13:1 アモツの子イザヤの見たバビロンに対する宣告。
13:2 はげ山の上に旗を掲げ、彼らに向かって声をあげ、手を振って、彼らを貴族の門に、はいらせよ。
13:3 わたしは怒りを晴らすために、わたしに聖別された者たちに命じ、またわたしの勇士、わたしの勝利を誇る者たちを呼び集めた。
13:4 聞け。おびただしい民にも似た山々のとどろきを。聞け。寄り合った王国、国々のどよめきを。万軍の主が、軍隊を召集しておられるのだ。
13:5 彼らは遠い国、天の果てからやって来る。彼らは全世界を滅ぼすための、主とその憤りの器だ。
13:6 泣きわめけ。主の日は近い。全能者から破壊が来る。
13:7 それゆえ、すべての者は気力を失い、すべての者の心がしなえる。
13:8 彼らはおじ惑い、子を産む女が身もだえするように、苦しみと、ひどい痛みが彼らを襲う。彼らは驚き、燃える顔で互いを見る。
13:9 見よ。主の日が来る。残酷な日だ。憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、罪人たちをそこから根絶やしにする。
13:10 天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。
13:11 わたしは、その悪のために世を罰し、その罪のために悪者を罰する。不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。
13:12 わたしは、人間を純金よりもまれにし、人をオフィルの金よりも少なくする。
13:13 それゆえ、わたしは天を震わせる。万軍の主の憤りによって、その燃える怒りの日に、大地はその基から揺れ動く。
13:14 追い立てられたかもしかのように、集める者のいない羊の群れのようになって、彼らはおのおの自分の民に向かい、おのおの自分の国に逃げ去る。
13:15 見つけられた者はみな、刺され、連れて行かれた者はみな、剣に倒れる。
13:16 彼らの幼子たちは目の前で八裂にされ、彼らの家は略奪され、彼らの妻は犯される。
13:17 見よ。わたしは彼らに対して、メディヤ人を奮い立たせる。彼らは銀をものともせず、金をも喜ばず、
13:18 その弓は若者たちをなぎ倒す。彼らは胎児もあわれまず、子どもたちを見ても惜しまない。
13:19 こうして、王国の誉れ、カルデヤ人の誇らかな栄えであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる。
13:20 そこには永久に住む者もなく、代々にわたり、住みつく者もなく、アラビヤ人も、そこには天幕を張らず、牧者たちも、そこには群れを伏させない。
13:21 そこには荒野の獣が伏し、そこの家々にはみみずくが満ち、そこにはだちょうが住み、野やぎがそこにとびはねる。
13:22 山犬は、そこのとりでで、ジャッカルは、豪華な宮殿で、ほえかわす。その時の来るのは近く、その日はもう延ばされない。
詩篇94:12 主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。
94:13 わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜わるからです。その間に、悪者のためには穴が掘られます。
Tペテロ5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
詩篇19:8 主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。
19:9 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。
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