2012年3月11日「神様の統治」イザヤ14:24-32
序−将来のバビロンの預言を聞いてユダの民にとって、目の前の敵はアッシリヤであり、ペリシテでした。それらの国はどうなるのか、我々はどう備えればいいのか、というような質問をしていたでしょう。それに対する答えが、今朝の箇所です。私たちの問題は、どうなるのでしょうか。どう備えればいいのでしょうか。主の答えを聞きましょう。
T−アッシリヤへの神様の統治が示され−24-25
神様は、世界を統治し、計画を持っておられると宣言しています。24節。神様は、暴走するアッシリヤに対しても、計画を持っておられます。暴走するアッシリヤも、決して手を出すことのできない限界がありました。それは、神の民の都、エルサレムです。25節。アッシリヤが、次々と諸国を滅亡させ、ついにエルサレムに迫った時、ユダは、もうこれまでかと思ったでしょう。しかし、神様は、アッシリヤについて計画を持っておられます。「わたしの国で打ち破り、わたしの山で踏みつける。」と言う計画です。神様は、アッシリヤをこの地に引き入れたけれども、最後には、アッシリヤを滅ぼされるというのです。結局、ヒゼキヤ王の時、アッシリヤ軍はエルサレムを攻撃しましたが、神様によって倒されて、敗走することになります。U列王19:35。
時には、私たちにも、患難や問題が迫って来るかもしれません。もうだめだ、もう先はない、絶望だと思うでしょう。しかし、先はあります。終わりではありません。私たちには、神様の救いの計画が続いているからです。神様は、困難の渦中にある私たちに何と言われていますか。エレミヤ29:11。私たちに平安と希望を与えると約束しておられます。
まず、患難を通して私たちに教えることがあります。悔い改めて、神様に立ち返ることです。神様から離れ、傲慢になっていた罪を告白し、赦しを願うことが必要です。罪は神様との関係から生じ、それが人々との関係に及びます。私たちの高慢にサタンが働いて、怒らせ、憤慨させ、争わせます。ですから、私たちは、高慢に気付き、主の前にへりくだります。
そして、私たちには、患難の渦中でも、神様のご計画にあることに目が開かれます。自分なりの算段をし、問題の進みを決め付けていたのですが、神様のご計画がある、私の思いを越えて働いてくださる、だから導きと守りを待とうという思いになるのです。これが、どんなにありがたいことか、私たちを守ってくれることか。ユダは、アッシリヤと戦っていません。神様がアッシリヤと戦い、敗走させられました。教会は、罪と戦って、神様との関係を正して治療されるところです。人と戦うところではありません。私たちが神様の御前に立ち返るなら、神様から罪の赦しを受け、助けを与えられるようになります。
神様がこの計画を通して教えておられるのは、神の民の力は、財産や軍事力にあるのではないということです。神の民の力は、御言葉にあります。アッシリヤに攻め囲まれているエルサレムは、神様を畏れて、御言葉を守れということです。私たちも、あれこれがないと不安になります。将来どんなことが起こるか分かりません。世では、私たちを不安にさせる出来事がいっぱいあります。職場がなくなったり、事故が起こったり、家族に問題が起こったりします。災害や経済不安や社会の混乱もあります。
しかし、私たちが悟ることのできることは何でしょう。アッシリヤは、サマリヤを滅ぼすことができても、エルサレムを滅亡させることはできなかった。神の民がいるからです。私たちは、神の民です。私たちにとって大事なことは、神様の御前に生きることです。自分が中心に座るなら、高慢になって、サタンに翻弄され、不安や怒りの中に落とされます。
神様の御前に生きるなら、世の様々なことに打ち勝つことができます。私たちが恐れなければならないことは、教会に来ても神様に会わないことです。それでは、サタンの罠にかかり、不満や不安にかき乱されてしまうでしょう。教会でたましいが治療され、養われることが必要です。自分を統治しているのは、誰か。私たちは心の王座から降りなければなりません。高慢になっていることに気付き、神様の御前にへりくだらなければなりません。自分の人生も、神様の計画の中にあり、神様の計画の中で生かされ、導かれている、という信仰に立つのです。
U−ペリシテ、人の知恵や力を神とする者−28-31
次は、ユダともっとも長い間敵対関係があった国、ペリシテの滅亡について語られています。28-29節。ユダのアハズ王が、ペリシテを打つ杖だったのですが、そのアハズ王がいなくなったので、ペリシテが喜んでいたようです。神様は、ペリシテに、喜ぶなと言われました。毒蛇、火の蛇のようなアッシリヤが飛び掛ってくるぞ、というのです。ペリシテ人は、昔ギリシャのクレテ島からパレスチナに移住して来た民族であって、ギリシャ文明の影響を受けていた五つの都市国家の連合体でした。文明的、知性的であるがゆえに、彼らにとっては、すべてにおいて人の偉大さが中心でした。ところが、すぐ近くに住むユダの民は、唯一の神様が中心であり、すべては神様に拠り頼み、御言葉に聞き従とうとする民です。
知的文明人を自負するペリシテ人にとって、ユダの民は愚かに見えたようです。どうして人が神様の統治にもとに生きて、見えない神様に従うなんて、ペリシテ人には、とても理解できませんでした。言うなれば、ペリシテ人は、人の偉大さを信じていたのです。それに比べて、ユダの民は、神様がすべてでした。そのために、ペリシテとユダには、へだたりがあり、ペリシテは、イスラエル人に優越感を持っていました。
今日も、人間中心主義の人々は、進化論を主張し、神の存在を否定し、人間の力がすべてを可能とすると考えています。そして、医学や生物学者たちは、神様がされることを自分たちもしようとしています。人間のおごり高ぶりです。人間中心主義の人々は、神様の統治を、束縛と考え、そこから抜け出そうとして来たのです。
現代は、この人本主義の傾向にキリスト教までが飲み込まれそうになっています。神様の創造の摂理より進化論を、神の御言葉より自分の知恵を信じ、自分の肉の感情に従おうとします。神中心でなく自分が中心です。それらの人々は、そんなおごり高ぶりに気付いていません。近年、文明の廃頽や社会の荒廃を見て、欧米の学校では創造論を教えるようになって来ました。大災害や大事故、気候変動を通して、人間の力で何でもできる、人間は確かだという人の高慢に気付かされるようになりました。
己の知恵と力により頼んだペリシテは、アッシリヤ軍に攻められて、あれこれ策を弄しましたが、滅びてしまいました。30-31節。「北から煙があがり、編隊から」とは、アッシリヤ軍のことです。人間の問題を解決するには、人中心主義でするのか、神中心主義でするのか、どちらにするのでしょうか。ペリシテは人間が偉大さと人の思慮を称賛し、ユダは徹底して神様の御前に跪いたのです。
人の心の奥にある罪の性質は、人の知恵や分別で解決するものではありません。それどころか、ペリシテ人のようにおごり高ぶる者は、サタンに付け入れられ、怒りや告発へ引かれます。自分の感情が害されれば、分別は吹き飛んでしまい、怒りさばきます。科学や技術を手に入れても、人がそれを誤って使います。人が自分を統治することは、危険なことです。愚かなことなです。聖書の教えは、人は全面的に堕落した存在であり、自分では罪の問題は解決できない、ただ一方的な神の恵みであるイエス様の十字架によって救われる、と教えています。ローマ5:6,8:7。これが、福音です。
V−神の民を励ましてくださる神様の統治−32
神様の統治を受けることが、どんなに大切なことでしょうか。サタンに騙されて、人中心主義、自分が心の王座に座っているのは、己を神とすることであり、どんなに危ないことでしょうか。それに気付いた人々が、神の民に聞きに来ました。32節。「異邦の使者たち」とは、アッシリヤがエルサレムから敗走した後、どうして強大なアッシリヤが小さなユダから負けたのか、ユダの民の生き方、国のあり方は何か知りたい、と多くの国々が使者を送って来たようです。
その答えは、神様の統治、神信仰です。26-27節。世を統治される神様が、悩み苦しむ主の民を守ってくださるのです。ただ他に拠り頼むものがなくて、主の御翼のもとに身を避け、神の民を神様は保護してくださるのです。詩篇17:8,57:1。シオンは、避難所みたいです。私たちが生きる唯一の道は、シオンに神様のところを避け所とすることです。そこで、高慢からも、サタンのわなからも守られます。神の御子イエス様が、自分のために十字架にかかってくださった。こんな凄い救いがあるのです。ただ、イエス様の十字架のもとでこそ、私たちは、生きることができるのです。これが、世の争いや問題から身を守る道です。教会は、シオンであって、神様の避け所です。しかし、自分の力に頼るなら、よくできるようにみえても、サタンのわなに落ちてしまいます。困難な時、イエス様の御手の中に身を避けてください。それが、生きる道です。ホセア6:1-2。
イザヤ
14:24 万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。
14:25 わたしはアッシリヤをわたしの国で打ち破り、わたしの山で踏みつける。アッシリヤのくびきは彼らの上から除かれ、その重荷は彼らの肩から除かれる。
14:26 これが、全地に対して立てられたはかりごと、これが、万国に対して伸ばされた御手。
14:27 万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。御手が伸ばされた。だれがそれを引き戻しえよう。」
14:28 アハズ王が死んだ年、この宣告があった。
14:29 「喜ぶな、ペリシテの全土よ。おまえを打った杖が折られたからと言って。蛇の子孫からまむしが出、その子は飛びかける燃える蛇となるからだ。
14:30 寄るべのない者たちの初子は養われ、貧しい者は安らかに伏す。しかし、わたしは、おまえの子孫を飢えで、死なせる。おまえの残りの者は殺される。
14:31 門よ、泣きわめけ。町よ、叫べ。ペリシテの全土は、震えおののけ。北から煙が上がり、その編隊から抜ける者がないからだ。
14:32 異邦の使者たちに何と答えようか。『主はシオンの礎を据えられた。主の民の悩む者たちは、これに身を避ける。』」
U列王記19:35 その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。
エレミヤ29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
ローマ5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
詩篇17:8 私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。
57:1 神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。
ホセア6:1 「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。
6:2 主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。
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