2012年3月18日「妬みと劣等感の果てに」イザヤ15:1-9

序−モアブに対する預言です。1節。モアブは、突然アッシリヤに攻撃され、滅亡することになります。モアブは、死海の南西に位置し、イスラエルにもっとも近い小さい国で、現代のヨルダンの一部です。その関係は、不幸な歴史でした。そのことが、この国の滅亡に繋がっています。このモアブの姿に、私たちは多くのことを学ぶことができます。

T−モアブとイスラエルの関係−
 ユダの民とは、地理的近い親戚関係にもあったのですが、むしろ不幸な関係となっていました。モアブは、アブラハムの甥ロトの子孫だと言われています。創世記19:37。アブラハムは、神様の御言葉だけを頼りとし、苦難の中でも聞き従いましたが、ロトは、現実主義者であり、退廃したソドムの野での安泰生活を望み、その都市の滅亡に巻き込まれるところでした。ソドムの悪の影響を受けたモアブは、神の民と比べて、劣等感を覚え、ねたみと敵対心を抱いたのです。そして、悪行も生じたのです。ヤコブ3:16。
 はじめにモアブとイスラエルの出会いは、出エジプトの後カナンの地に入って行くためにモアブの地を通過させてと頼んだ時です。敵対心を持っていたモアブは、疑い通過させなかっただけでなく、人を雇って呪わせました。民数記22:6。それに失敗すると、イスラエル人を不品行と偶像崇拝に引き込みました。民数記25:1-3。自分たちと同じにさせようと、引きずり下ろそうとしたのです。クリスチャンも、世にあってそのような攻撃と誘惑を受けます。テトス3:3。クリスチャン同士も、妬みや争いに翻弄されてしまいます。Tコリント3:3。妬みと敵対心は、大変危険です。
 イスラエルがカナンに定着した後、一時はモアブがイスラエル人を支配ました。士師の時代には、モアブ人ルツが姑ナオミに付いてユダへ行き、ボアズと再婚して、ダビデ王の先祖となる話もありました。ルツがモアブを離れた理由は、モアブで罪の暮らしと忌むべき偶像崇拝をするよりも、ユダで労苦しながら信仰に生きるためでした。そして、ヨルダン川の東側を巡って、互いにしばしば争い、結局ダビデ王の時代に、イスラエルの支配に入ることになります。イザヤの時代、北イスラエルが滅び、独立を得、奔放になっていたモアブでした。
 ですから、モアブの特徴は、イスラエルと近い関係だけれども、信仰的影響は受けることなく、いつも妬みと劣等感で敵対していたということです。お前たちが来なかったら、我々はもっと広い領土で栄えていたのに、お前たちのような信仰と生き方は、気に入らない、と羨み、恨んでいたのです。妬みと劣等感に囚われて、不幸な人生を歩んでいる人々が何と多いことでしょうか。イエス様を信じて救われることは、私たちをそのような妬みと劣等感から解放し、敵対心や憎しみを止めさせるのです。テトス3:3-7。

U−妬みと敵対の果ての滅亡−
 モアブの滅亡は、突然訪れます。1節。アルもキルも、モアブの中心的な都市です。「一夜のうちに」というように、まったく予期できないことでした。アッシリヤが、アラムやイスラエルを滅ぼしたら、その次はユダだろう、ユダが倒されないので相当先のことだろうと思っていました。モアブの国自体が、1,000m級の高原で、その四方は切り立った崖であり、天然の要害の地だったことも、安心していたのです。
 イスラエルに支配され、その中にいたモアブなのに、神の民の良い影響を受けませんでした。モアブ人は、イスラエル民族に対して、その関係のゆえに、劣等感を持っていました。モアブ人は、偶像の民であり、それも子どもを生贄にする民であるがゆえに、ひどく嫌われていました。彼らは、信仰の影響を受けず、神様の恵みにも関心がなく、イスラエルへの妬みのゆえに、イスラエルが弱い時に付け入ることを続け、結局歴史の舞台から消えて行きました。
 イスラエルに含まれていた方が、神様の恵みの中に包まれて、守られて、良かったのです。ところが、灯台下暗しということでしょうか、その恵みが分からなかったのです。妬みにかられ、ユダに肉のプライドをぶつけていたのです。人は、目の前にある利益のために、未来の祝福を失う場合が多いのです。人は、小さい不便をとても嫌います。利己的な考えは、人を後退させてしまいます。自分の満足に陥ってしまうなら、肉のプライドの他は何も残りません。ビジョンを持つ人は、不便を甘受して、損害も受けるでしょう。しかし、神様の祝福を受けるようになります。
 モアブは、絶え間なくユダに敵対していたことが問題でした。ユダを神様の恵みを得る通路として用いることができたのに、そうしないで、神の民の周りをぐるぐる回りながら、羨ましがり、妬んだのです。北イスラエルが滅んだ時には、独立して喜んで、有頂天になっていました。

V−モアブの痛み、何をつかむのか−
 ところが、そこに滅びがやって来たのです。この章は、モアブの嘆き、哀歌です。2-4節。とても地名が多いですが、モアブ全体を含んでいます。メデとメデバは北方、エシュボンとエルアレも北方、ヤハツュは、中央部です。5節のツォアルや8節のエグライムは、南方にあった地名です。つまり、アッシリヤの攻撃は国中に渡り、安全な所はなかったということです。
 モアブの人々の嘆きは、神様の前に悔い改める嘆きではありません。外見では、神の民の悔い改めの嘆きと似ていますが、そうではありません。髪の毛も髭もそり、荒布をまとい、泣きわめくことが、悔い改めではありません。モアブの人々の嘆いたのは、自分にとってこれがすべてだ、というものがなくなったからです。私たちは、何のために嘆きうのですか。
 患難や災害に出会うのは、信仰のない人も信仰を持つ人も、同じです。同じく痛みや衝撃は受けます。しかし、大きな違いがあります。信じる人は、困難を通して、以前よりもっと神様に望みを持つようになります。世のことに心奪われていたことを悔い改め、傲慢であったことに気付き、神様に立ち返ります。そして、立ち上がり、復興して行きます。ユダの民も嘆くことは嘆くのですが、世に従っていたことを悔いて嘆いているのです。モアブの人々の願いは、世のことがすべて、それを失って嘆いているのです。お金を愛する人の姿でした。
 彼らは、ある時期イスラエルの統治下にありました。その時に、世とは違う信仰の世界を見なければなりません。この世に安全地帯はありません。ある期間世のものを用いて生きているだけです。それらがなくなる時は、一瞬になくなります。昨今の世の出来事は、それを教えています。ですから、永遠に変わらないものをつかまなければなりません。世のものを持っていたとしても、それをどれほど神様の御心に従って用いたかということです。自分の時間、体、持ち物すべて、神様にささげる思いで用いて行くなら、御国に積むことになるでしょう。ルカ12:33,19-21。
 一方、地上に財産を積み上げる者の姿が、モアブの姿です。イザヤは、このような時、自分の財産をいっぱい持って逃げようとする支配者たちの姿を嘆いています。5-6節。ここに記されている都市は、南方にある都市です。そちらへ逃亡するには、坂道を上って行かなければなりませんが、死海に落ちてしまうというのです。望みのないところに逃げるということです。清いことで有名だったニムリムの水は涸れていて、草も生えていなかったのです。逃げるところがないということです。
 モアブの金持ちたちが、財産を積み上げて、逃げる様子が記されています。7-9節。そこには、戦乱を避けて、モアブに逃げて来ていたイスラエルの金持ちたちも含まれていたでしょう。そこも安全でなかった。どこにも、逃げるところがなかったということです。エグライムとベエル・エリムは、この国の端から端までということです。西は死海、東は砂漠、どこへ逃げても逃げるべき所がないということです。
 ディモンとは、祭壇のことです。モアブの人々は、戦争や災害が起こった時、ケモシュ神に人身御供をささげました。ユダの民から最も忌み嫌われていた風習です。ディモンとは、血という意味です。今人々がたくさん死んで血がいっぱい流されたのに、ケモシュは助けてくれなかったということです。血の神を信じたので、血で滅びるようになったということです。何と、彼らは近くにいながら、真の神を信仰しなかったために、こんな忌み嫌われる信仰に陥っていたのです。
 ここには、モアブの金持ちたちの悲惨な姿を描いていますが、世の物に囚われていた人々への警告と見ることができます。お金を多く持っていることは大変です。必ず運用しなければならないと思い込み、転がしながら、失う昨今です。安全な投資はないのです。すべてのことを神様の御心ままにすることが、最も安全です。モアブが滅びた重要な理由は、足ることを知らなかったということです。弱いようにされ、不足するようにされている時は、必ず神様の御心があるのです。その御心の益を受けることなく、ただ自由がほしい、裕福になりたいという思いに囚われ、結局アッシリヤの攻撃目標になってしまいました。
 イスラエルに属して神様の恵みの近くにいながら、イスラエルに対して妬みや劣等感を持ち続け、敵対し、神様を求めることなく、富を求め、結局すべてを失うことになりました。私たちは、モアブの姿から多くのことを学び、顧みさせられるのです。私は、何に囚われているのか、どう生きるのか。ピリピ4:11,Tテモテ6:6-8。



イザヤ
15:1 モアブに対する宣告。ああ、一夜のうちにアルは荒らされ、モアブは滅びうせた。ああ、一夜のうちにキル・モアブは荒らされ、滅びうせた。
15:2 モアブは宮に、ディボンは高き所に、泣くために上る。ネボとメデバのことで、モアブは泣きわめく。頭をみなそり落とし、ひげもみな切り取って。
15:3 そのちまたでは、荒布を腰にまとい、その屋上や広場では、みな涙を流して泣きわめく。
15:4 ヘシュボンとエルアレは叫び、その叫び声がヤハツまで聞こえる。それで、モアブの武装した者たちはわめく。そのたましいはわななく。
15:5 わたしの心はモアブのために叫ぶ。その逃げ延びる者はツォアルまで、エグラテ・シェリシヤまでのがれる。ああ、彼らはルヒテの坂を泣きながら上り、ホロナイムの道で、破滅の叫びをあげる。
15:6 ああ、ニムリムの水は荒廃した地となり、草は枯れ、若草も尽き果て、緑もなくなった。
15:7 それゆえ彼らは、残していた物や、たくわえていた物を、アラビム川を越えて運んで行く。
15:8 ああ、叫ぶ声がモアブの領土に響き渡り、その泣き声がエグライムまで、その泣き声がベエル・エリムまで届いた。
15:9 ああ、ディモンの水は血で満ちた。わたしはさらにディモンにわざわいを増し加え、モアブののがれた者と、その土地の残りの者とに獅子を向けよう。



創世記19:37 姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。

ヤコブ3:16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。

民数記22:6 どうかいま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、たぶん私は彼らを打って、この地から追い出すことができよう。私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」

25:1 イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。
25:2 娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。
25:3 こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになったので、主の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。

テトス3:3 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。
3:4 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、
3:5 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
3:6 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
3:7 それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。

Tコリント3:3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

ルカ12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
12:21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

12:33 持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。

ピりピ4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

Tテモテ6:6 しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。
6:7 私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。
6:8 衣食があれば、それで満足すべきです。

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