2012年4月15日「旗を掲げて、角笛を吹き鳴らせ」イザヤ18:1-7

序−クシュ、すなわちエチオピアは、不思議な国です。イスラエルのようなセム語を話すアフリカで唯一の国であり、古来よりキリスト教を信じる国であり、今日もイスラムの中に浮かぶ、キリスト教の国です。ラリベラの岩窟教会群は、世界遺産です。イザヤの時代にも、その片鱗が見えています。この国の姿から、私たちにメッセージが与えられています。

T−遠い所にあるクシュ−
 まず、「ああ」という嘆きから始まっています。何かクシュについて嘆いているようです。1節。ナイル川の上流白ナイル、青ナイルの地域から南の高原地帯までクシュでした。「羽こおろぎの国」と訳されているのは、原文ではただ「羽が音をたてている国」という意味です。エジプトの砂漠のかなたにある緑多い高原地帯のクシュを当時の人々は、昆虫の故郷のように思っていたようです。この地域では、飛びバッタの群れが空を暗くするほど発生し、一切の植物を食べつくしながら移動したりします。この「昆虫の国」というのが、何のイメージをあらわしているのでしょうか。
 当時の世界は、肥沃な三日月地帯であり、そのちょうど中心にあるのが、ユダです。クシュは、文明の中心から外れた遠い所だというイメージだったようです。当時の世界の中、ユダの人々が知る中で、地理的には遠い国でした。しかし、イザヤが、この遠いクシュについて嘆いていたのは、彼らが神様の御業の成される地から遠く離れているために、神様のことを知らず、悲惨な人生を生きる外ないことを示しているようです。
 実は、このクシュの境遇は、私たちのことでもあります。エペソ2:11-13,17。使徒パウロが、「遠く離れていたあなたがたに」福音を伝えたというのは、地理的に遠いというのではなく、霊的な距離のことです。彼ら異邦人は、キリストからも、神の民からも離れた、神なく、望みない者たちだったと言っています。しかし、「キリストの血により近い者とされた」です。すなわち、イエス様の十字架上で流された血の贖い、犠牲によって救われたのです。このことを私たちは感謝します。
 クシュは、神様から遠く離れて人生を生きていたということです。今でもよく、「神様からしばらく離れていましたが、こうして戻って来ました。」と言われる方がいます。それは、どっか遠くに旅行していたのではなく、霊的に遠くに離れていたということです。現代の日本も、まさに「クシュ」ではないでしょうか。霊的にはキリストから遠く離れている状態です。私たちにとって、「キリストから遠くにいるあなたがた」とは、誰のことでしょうか。今や私たちは、誰のために、「ああ」と言ってとりなし祈り、イエス様を伝えようとするのでしょうか。

U−クシュに使者を送れ−2
 この遠い国クシュに、早く使者を送れと言っています。2節。問題は、「背の高い、強い民」とは、誰のことかということです。「多くの川が流れている国」であり、7節ではこの国が神様にささげ物を持って来ると言っています。この国は、クシュ自身です。遠い未開人というより、遥かに文明化された強い国であったようです。クシュ人は、日焼けした赤銅色の滑らかな皮膚であり、高い身長です。今までは福音から遠く離れている彼らですが、今エルサレムで起こっていることを早く本国へ知らせよ、と言っているのです。なぜでしょうか。
 クシュの人々は、神の民に起こっていることに、とても関心がありましえ。クシュは、当時の世界中心から外れた遠い所でした。ですから、クシュは、世界のあちこちに使者を送っていたのです。最新の情報を手に入れ、素早い対応をしていたようです。聖書の中にも、イスラエル王国の絶頂期、ソロモン王に関するうわさを聞いて、シバの女王がソロモンの知恵を聞きに来たという話があります。T列王10:1。シバの女王もクシュに関係があります。イエス様の時代、エチオピア女王の高官カンダケが礼拝に来て、イエス様を信じたという話もあります。使徒8:27-28。
 関心を持って、知ろうとするから、知ることができ、救われます。今ユダ以外の周りの国々は、みなアッシリヤによって滅び、特に北イスラエルは、同じ民で、同じ神の御言葉を知っていたのに滅びました。しかし、ユダは残りました。それは、注目すべきことです。神の御言葉が生きているユダを、アッシリヤは滅ぼすことができなかったのです。このニュースは、クシュの人々に信仰生活どのようにしなければならないかを知らせる重要な知らせだったのです。
 彼らに伝えさせた知らせは、「信仰生活をしようとするなら、絶対にしっかりやりなさい。」ということです。これは、私たちにとっても重要な知らせです。信仰生活を絶対的にするには、いろいろなひっかかることが多いでしょう。「すべてのことを神様の御心に合わせることなんて、無理だ。適当に世の方法でして、結果が良ければいいじゃないか。」と、人は言うでしょう。しかし、信仰と生活を分離しては駄目だというのです。信仰生活は、熱いか冷たいかどちらかで、ぬるま湯はないというのです。黙示録3:15-16。
 そして、神様の御言葉に関心を持って変化する人が、最も強い者であって、勝利の生活をすることができると約束されています。クシュ人は、知らせを聞いて変化する人々でした。おそらく、当時のクシュは強かったと思われます。しかし、この御言葉が言う「強い民」とは、自分自身が変わる人です。人は他の人々を変えようとします。しかし、人を変えようとするなら、まず自分自身人が変わることです。
 それは、御霊によって造り変えられることです。御言葉に聞き従うことで、価値観が変えられ、考え方が変わります。見る目が変わって来ます。そして、神様が創造された目的に一致するようになるのです。イエス様を信じて救われるということは、新しく生まれ変わるのです。Uコリント5:17。ですから、自分自身が変えられることが、世を変える一歩であって、それまでの肉の自分を止めることが、本当に強い者なのです。現代社会は、政治も経済も、教育も企業も変わらなければならないと言われています。しかし、建物ややり方を変えても、人が変わらなければ、だめです。人が変わらないなら、現実を変えようとしないからです。

V−刈り入れられる神様−3-7
 イザヤは、前に神様が全世界を集める日があると言います。3節。その時、旗が掲げられ、角笛が吹き鳴らされて、救いが知らされ、人々を呼び集められます。まず、アッシリヤが滅びたことも、神様の旗が揚がり、角笛が鳴らされたことです。当時の大きな衝撃的なニュースは、エルサレムを攻撃していたアッシリヤが突然敗北したことです。誰も、予想できないことでした。このニュースを聞いた世界の人々は、エルサレムの神様について考えるようになりました。これが、神様の旗です。世には、二つの旗があります。一つは、キリストの十字架という旗です。その旗の下にイエス様を救い主と信じて、神様の御心をなそうとする者が集まって来ます。もう一つのは、人間を高く上げて神様に背かせようとするサタンの旗です。人は、どちらかの旗の下に立たなければなりません。
 なぜならば、神様は、いつか裁きを行われるからです。4-6節。救われる者が救われ、滅びる者が滅ぼされます。神様は、静かに事を行われます。神様が急に裁きを行われないのは、神様の目的が裁きにあるのではなく、実を結ぶことにあるからです。太陽の光も雲の露も、静かに確実に実を結ばせます。農民は、一つの枝に多く実らせるために、枝を剪定します。イエス様も、この比喩を用いられました。世的な罪の可能性を切ってしまうことでした。私たちにとって、御言葉のままに生きることが、人生の実りを導きます。また、信仰の実を結ぶために、私たちには刈り込みされる部分もあるでしょう。
 遠く離れていたクシュの人々が、良き知らせ、福音を聞いて、全世界を支配されるのは真の神様だと認め、ささげ物をするためにシオンに来るようになると言います。7節。その例をみてみましょう。使徒8:26-39。エチオピアの高官がエルサレムに来て礼拝して帰って行く途中、読んでいた書がイザヤ書53章の「苦難のしもべ」のところでした。彼は、神のしもべとは誰なのか、どうして神様のしもべが苦難を受けるのか、分かりませんでした。その時、ピリポが通りかかって、人は罪のために滅びるようになっているので、罪の赦しと命の回復のために神のしもべが苦難を受けられた、それが御子イエス様の十字架であることを話してあげました。高官はその時信じて、洗礼を受けました。
 そして、もっとも重要な救い主の旗が掲げられ、救いを注げる角笛が吹き鳴らされています。神の御子イエス様が人となって世に来られ、人の罪と滅びの身代わりとなって十字架にかかってくださいました。イエス様の十字架は、救いに呼び集める旗であり、罪を揺さぶって悟らせる角笛です。今日もピリポが必要です。それは、教会であり、私たち一人一人がそうです。教会に十字架の旗が掲げられ、御言葉が宣言されています。私たちクリスチャンが旗であり、私たちの証しが角笛です。エペソ2:11-13。



イザヤ
18:1 ああ。クシュの川々のかなたにある羽こおろぎの国。
18:2 この国は、パピルスの船を水に浮かべて、海路、使いを送る。すばやい使者よ、行け。背の高い、はだのなめらかな国民のところに。あちこちで恐れられている民のところに。多くの川の流れる国、力の強い、踏みにじる国に。
18:3 世界のすべての住民よ。地に住むすべての者よ。山々に旗の揚がるときは見よ。角笛が吹き鳴らされるときは聞け。
18:4 主が私にこう仰せられたからだ。「わたしは静まって、わたしの所からながめよう。照りつける暑さで暑いころ、刈り入れ時の暑いときの露の濃い雲のように。」
18:5 刈り入れ前につぼみが開き、花ぶさが育って、酸いぶどうになるとき、人はその枝をかまで切り、そのつるを取り去り、切り除くからだ。
18:6それらはいっしょにして、山々の猛禽や野獣のために投げ捨てられ、猛禽はその上で夏を過ごし、野獣はみな、その上で冬を過ごす。
18:7 そのとき、万軍の主のために、背の高い、はだのなめらかな民、あちこちで恐れられている民、多くの川の流れる国、力の強い、踏みにじる国から、万軍の主の名のある所、シオンの山に、贈り物が運ばれて来る。



エペソ2:11 ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
2:12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
2:13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。

2:17 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。

T列王10:1 ときに、シェバの女王が、主の名に関連してソロモンの名声を伝え聞き、難問をもって彼をためそうとして、やって来た。

黙示録3:15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
3:16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

使徒8:26 ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)
8:27 そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、
8:28 いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
8:29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。
8:30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。
8:31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。
8:32 彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
8:33 彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
8:34 宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
8:35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
8:36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
8:38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。
8:39 水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。

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