2012年4月22日「恵みが取り去られる時」イザヤ19:1-15
序−私たちは、神様の裁きや祝福を一面からしか見ていないかもしれません。神様からの恵みと気付かないなら、感謝もせず、神様に反応することもしないでしょう。祝福がないことが神様の裁きと気付かないなら、頑ななままいることにもなります。エジプトの事例から学びます。
T−衰退するエジプトに現れた現象−
イザヤの時代のエジプトは、様々なことで徐々に衰退していた時代でした。特徴的な出来事が起こっています。1-4節。まず、内輪もめによる消耗戦が起こります。プライド同士のぶつかり合いということでしょうか。2節。言葉尻を捕らえては争い、全面的な戦いになってしまいます。国という集団が年取って行くなら、新しい考えができなくなり、内輪で争うようになり、変革や発展を妨げます。そして、厳しい主人、つまり酷い王が権力を握り、絶望的な状況へと進んで行くというのです。
滅亡の原因は、精神が年取ったということです。申命記28:65。精神が衰退すると、人は責任を取ろうとしないで、苦難を避けようとばかりします。そうして、エジプト人は、ますます魔術や霊媒などに頼るようになったのです。国のために心から心配する人々がいなくなって行くのです。国の衰退期は、まさにこのようです。政治も企業も、精神的に年を取ってしまうと、硬直化し、融通性がなくなり、時代の変化に付いて行けないようになります。ローマ2:5。何もせず、責任も取らない組織になると、横暴な権力者の手の内に握られて行きます。食べ物が徐々に腐るように、彼らの心が衰えて行ったのです。
どうしたら、いつも考えが健康で、新鮮でいられるのでしょうか。Uコリント4:16。エジプトが滅ぶしかなかったのは、彼らの精神が硬直化し、腐敗したためです。社会が衰退期になるは、政治も経済も硬直化し、腐敗するからです。新しい時代への挑戦が必要です。しかし、衰退へ向う時、チャレンジしなければならないのに、回避しようとするのです。時代から取り残されてしまいます。教会も、世を変えて行くために、世に対して挑戦しなければなりません。それをしないのは、教会自身が、神様の御前に変化することを嫌がるからです。教会こそ、世を新しくする泉です。人や自分がどうであっても、私たちは、神様の御言葉によって造り変えられなければなりません。私たちは、ひたむきに前に進み、主の栄冠目指して地上の人生を走りたいのです。ピリピ3:13-14。
U−失われる恵み−
エジプトはナイルの賜物、と言われます。ナイル川の氾濫で上流から肥沃な土壌が供給され、作物が実るようになっているからです。それによって、エジプト文明が興りました。農業、牧畜が盛んになり、水産資源も与えられ、他の産業も発達しました。エジプトの衰退は、まさにそのエジプトのナイル川が駄目になることからです。5-6節。水かさが減り、洪水もなくなり、作物は実らなくなってしまうというのです。自然の恵みを忘れた近代の産業化によって、豊かな綺麗な川が、公害を出すどぶ川へ急速に変化してしまい、住民の健康を蝕むようになりました。
人は、自然の恵みとそれを与えてくださる方と結び付けません。神様がナイル川を通してエジプトを祝福してくださったのに、その神様を認めず、感謝することをしませんでした。「エジプトはナイルの賜物」なのですから、賜物とは、神様からということです。神様を忘れてはなりません。恵みを忘れたエジプトは、その恵みが取り去られます。
神様は、人の罪にもかかわらず、様々な祝福をもって、地を潤し、国と民に恵みをもたらしくださいました。自然の豊かさ、人の能力、家庭や仕事の祝福もみな神様がくださいました。こういうもを一般恩寵と言います。しかし、患難や病気、貧しさや弱さのために神様を探し求める人は多くいるのに、自然や生活の恵みによって神様を信じたり、罪人であると悟る人はあまりいません。人は祝福だけ受け取ろうとして、肝心の与えてくださる方のことを思わないのでしょうか。
一般的祝福も、常ではありません。上流地方が日照りになって、雨が降らなければ、ナイル川も推量が減り、干上がることがあるのです。そうしたら、どうなりますか。7-10節。エジプトの重要な産業である牧畜と農業もだめになってしまいます。もちろん、漁業も終わりです。糸の原料がなくなり、織物業も終わります。労働者たちも、困窮するようになります。現代日本の姿を見るようです。
このような物質的祝福である一般恩寵より大切なのは、特別恩寵です。ユダの民のように神様に愛され、御言葉と聖霊によって新しくされることです。これをつかまなければ、いつかエジプトのようになります。神様の恵みがあれば、物質的な祝福も用いられるようになります。御言葉がある所に、献身した人が集まります。彼らは、神様の恵みをしっかり用います。しかし、神様に背を向けて、世をつかむようになるなら、本当の祝福を失うようになります。国が栄えるのも、神様が強い精神を与えてくださったからであり、国が衰えるのも、精神が衰え腐敗して来るからです。
エジプトの最もみじめなのは、そういうことが分からないでいたことです。神様からの恵みが取り去られたと悟ることができる人がいなかったことです。11-13節。最後は、人です。衰えかけたエジプトを導く指導者がいなかったのです。王を助ける首長たちや技官たちに、そういう人材がいなかったのです。彼らに国の浮沈はかかっていたのです。
14-15節。あらゆる混乱の中で政治家指導者たちが責任を取ることができないでいるのは、彼らの愚かさにもよるが、神様の恵みが彼らから取り去れたからです。人々は、思い思いの考えや行動をして、収拾のつかない状態になって行くのです。ツォアンが北部、ノフが南部の都市です。国全体が、そうなっていたということです。
当時のエジプトは、根本的に修正されなければなりませんでした。神様は、「あなたは誰なのか、どこに向かって行くのか」と、私たち一人一人に質問をなげかけておられます。神様は、私たちの現状を省みさせ、主に救われた者の成すべきことを語られます。それを聞くならば、我を棄てて、根本的な方向を修正し、価値観や生き方を変えされなければなりません。
エジプトが滅ぶほかなかった一番の理由は、思考の硬直です。御霊による霊的造り変えは、私たちの考え方を新しくしてくれます。硬直化したままでいるならば、もう滅ぶしかなくなって行くのです。私たちも、社会もこの危機の中にいます。神様の御心を尋ねましょう。今頑なになっていないか振り返りましょう。今、新しくされることを願います。Uコリント5:17。
V−エジプトに臨む神様の裁き−
エジプトへの裁きと言えば、出エジプトの時の10の災いのような特別なものを思います。しかし、ここにはそういうものはなく、ここに出て来たものはみな自然の災害であり、普通起こり得る事件です。神様は、自然な普通のことを通して、今エジプトにさばきを下されるということです。神様の裁きには、2種類あります。一つは、いかにも神様の裁きであると目に見える現象として起こることです。出エジプトの時行われた奇跡や特殊な事件です。それは、神様が下されたと悟ることができます。もう一つは、神様の裁きとは分からないようなことです。すべて常識的な出来事、自然現象です。景気が悪くなった、雨が降らなくなった、とかいうようなことです。神様がなされたとは、中々考えません。
また、常識的、自然的であっても、時には一遍に取り去られることもあれば、少しずつ蝕まれて酷くなって行くこともあるでしょう。目に見える体の異常があらわれれば、気付いてかえって治療ができるのですが、本人の分からない間に少しずつ蝕まれて行く場合は、気付いたときにはもう回復不可能となってしまいます。出エジプトの場合は、奇跡を通して、神様がどんなお方であるかがあらわされ、災いを通して警告が与えられました。しかし、今エジプトの人々は、腐って行くことも知らないままに酷くなっているのです。それが、今回のさばきの特徴です。このようなことが、最も悲惨な裁きに他ならないということを教えています。
私たちが間違ったり、神様から離れたりする時に困難が下され、それを知らされるのは、まだ神様が私たちを見捨てておられないということです。恐ろしいのは、明らかに間違っているのに、事がうまく行っている時です。腐敗は進行して行きます。見捨てられていることも分からないからです。このようなエジプトの滅びは、ユダの人々への警告でした。彼らに、エジプトのようになりたいという憧れがあったからです。度々エジプトの軍事力に頼ろうとしました。エジプトの轍を踏まないようにということです。これを学ぶ私たちも、世の価値観や人の肉の力に惹かれ、目が曇ってしまいます。エジプトの姿に、現代社会の姿を見なければなりません。
神様は、世に施された多くの一般恩寵を通して、人々に対する愛をあらわしておられます。ですから、私たちは、周りで起こる出来事や自然現象を通しても、神様の御手を覚えたいのです。私たちは、自然の素晴らしさを見て、神様の御業を覚え、生活や仕事が何事もないことで、神様に感謝したいのです。そして、イエス様の十字架による救いという特別恩寵を受けている者として、救いの恵みに応答して生きたいのです。エペソ3:7,Tペテロ4:10。
イザヤ
19:1 エジプトに対する宣告。見よ。主は速い雲に乗ってエジプトに来る。エジプトの偽りの神々はその前にわななき、エジプト人の心も真底からしなえる。
19:2 わたしは、エジプト人を駆り立ててエジプト人にはむかわせる。兄弟は兄弟と、友人は友人と、町は町と、王国は王国と、相逆らって争う。
19:3 エジプトの霊はその中で衰える。わたしがその計画をかき乱す。彼らは偽りの神々や死霊、霊媒や口寄せに伺いを立てる。
19:4 わたしは、エジプト人をきびしい主人の手に引き渡す。力ある王が彼らを治める。――万軍の主、主の御告げ。――
19:5 海から水が干され、川は干上がり、かれる。
19:6 多くの運河は臭くなり、エジプトの川々は、水かさが減って、干上がり、葦や蘆も枯れ果てる。
19:7 ナイル川やその河口のほとりの水草も、その川の種床もみな枯れ、吹き飛ばされて何もない。
19:8 漁夫たちは悲しみ、ナイル川で釣りをする者もみな嘆き、水の上に網を打つ者も打ちしおれる。
19:9 亜麻をすく労務者や、白布を織る者は恥を見、
19:10 この国の機織人たちは砕かれ、雇われて働く者はみな、心を痛める。
19:11 ツォアンの首長たちは全く愚か者だ。パロの知恵ある議官たちも愚かなはかりごとをする。どうして、あなたがたはパロに向かって、「私は、知恵ある者の子、昔の王たちの子です。」と言えようか。
19:12 あなたの知恵ある者たちはいったいどこにいて、あなたに告げ知らせようというのか。万軍の主がエジプトに何を計られたかを。
19:13 ツォアンの首長たちは愚か者、ノフの首長たちはごまかす者。その諸族のかしらたちは、エジプトを迷わせた。
19:14 主が、彼らの中に、よろめく霊を吹き入れられたので、彼らは、あらゆることでエジプトを迷わせ、酔いどれがへどを吐き吐きよろめくようにした。
19:15 それで、頭も尾も、なつめやしの葉も葦も、エジプト人のために、なすべきわざがない。
申命記28:65 これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。
ピリピ3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
Uコリント4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
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