2012年5月6日「散らされて広がる福音」イザヤ19:16-25

序−ここには、エジプトに福音が伝わったことが記されています。今日でも、エジプトには10%のクリスチャンがいます。エジプトに対する予言を学びながら、私たちに対する導きのメッセージを受けたいのです。

T−恐れおののくエジプトと避難した神の民−16-17
 「その日」、すなわちその頃エジプトは恐れ、おののいていました。16-17節。アッシリヤにイスラエルが滅ぼされ、ユダが攻められ、大勢の避難民がエジプトに流入して来たのです。イスラエルやユダの人々は、飢饉や戦争の時、エジプトに非難して来ました。ヨセフの時もそうでした。
 エジプトにとって、ユダはもっとも近い国であり、同盟国でした。すでに北イスラエルが滅ぼされ、ユダもアッシリヤによって蹂躪されているのを聞いて、恐れおののいたのです。次は、確実にエジプトだからです。天文や土木、農学が進み、富み栄えていながら、占いや偶像が蔓延していたエジプトは、日本と似ています。しかし、これまで頼りにしていた占いも様々な偶像も、いざとなれば頼りになりませんでした。エジプトは、真実な心のよりどころを求めました。
 人は、経済も仕事もうまく行っている時は、自己中心も、占いや偶像も思いのまましています。しかし、災害が起こり、患難が生じ、仕事も経済もうまく行かなくなった時、いかに頼りにならないものを頼りにしていたかが、明らかになります。そして、真実なもの、まことの神様に向くようになるのです。
 エジプトの心が向いたのが、イスラエルの神でした。避難して来たイスラエルやユダの民の姿を見たからです。普通、難民と言えば、悲惨極まりない、頼るべきものは何もない絶望状態です。しかし、エジプトに避難してきた、北イスラエルやユダの民は、困難の中でしっかり希望をもって生きているのです。土地も財産も何もないのに、何でも持っているかのように生きているのです。ピリピ4:11-13。方や、国が滅びたわけでもないのに、ああエジプトはおしまいだ、我々はどうなってしまうのだろう、と深い絶望と恐れの中に陥っていたのです。神の民とその神様は、エジプトの関心の対象となりました。
 エジプトの民が聞いたでしょう。「あなたがたは、どうしてそのようなのですか。何か特別なものを持っているのですか。その秘訣を教えてください。」と。そして、礼拝して神様をについて、「あなた方の信じている神様を私たちにも教えてください。どんな教えなのですか。私たちも、あなたがたのように生きたいのです。」と、求めて来たでしょう。
 神の民も、避難先のエジプトに受け入れられ、助けられていましたから、感謝して、エジプトの親切に応えて、感謝の証しを立てていたことでしょう。ステパノ事件の後、クリスチャンたちがエルサレムから散らされた時、散らされた人々は、どうしましたか。使徒8:4,11:19-21。そうです。散らされた所でしっかり信仰に生きて、御言葉を語ったのです。
 北イスラエルの民は、滅びる前はほとんど信仰をなくしていました。しかし、滅ぼされてエジプトに避難という境遇を通して、神様に改めて出会い、生き方を変えるようになったと思われます。ユダの民も、自分だけの幸いを考え、自分たちの信仰に満足していたのでしょう。しかし、避難先のエジプトで、地の塩、世の光となって、証の生活をしたのです。今この災害と混乱、衰退の時代に、この神の民のようなクリスチャンが必要です。職場や学校、近所や親戚等等、色々な人と出会います。だれでも本当は福音を必要としています。だから、良き関係を作り、福音が伝えたいのです。混乱や失望の時代、人々は、神の民に注目し、神様の助けを必要としています。使徒8:31,Tペテロ3:15-16。

U−エジプト人が神様を礼拝する−
 「その日」、神の民の証しの結果、これまで偶像を拝んで来たエジプト人が、イスラエルの神を信じるようになる、という驚くべきことが起こりました。18-19節。カナン語とは、ヘブル語のことです。多くのエジプト人が、真の神様を信じるようになり、避難した神の民と共に信仰の町を作ったというのです。あたかも、ヘブル・タウンごとくにです。彼らがヘブル語を話したというより、徹底して信仰生活をしたので、日常的に用いられる言葉も聖書から出るようになっていたということです。「万軍の主に誓いを立てる」とは、しっかり礼拝すること、神様を主とすること、主権を明け渡すことを誓ったということです。
 五つ都市のうちの一つは「イル・ハヘレス」とありますが、「太陽の町」とも訳されます。実際に太陽神を拝んでいたヘリオポリスという有名な町がありました。そういう町までも、イスラエルの神を礼拝する町になったということです。五つの都市だけでなく、国の中央にも、国境にも、礼拝するところが作られたようです。エジプトのどこに行っても、真の神を礼拝する人々がいるようになったということです。あちこちに十字架が立ったという感じです。私たちクリスチャンも、「礼拝する民」と知られています。これが、証しです。避難民は、礼拝するのを恐れたり、恥じたりしていません。忠実な礼拝者でした。
 まことの神を礼拝するようになったエジプトの民に対して、神様は、彼らが虐げられて叫ぶなら、ご自分の民として助けてくださるというのです。20-22節。エジプトに人々が、悩み、苦しむ時、主を求めました。主に立ち返る人々を助け、祈りに応えられます。20節の「救い主を送られる」というのは、究極的には、イエス様の預言です。イスラエルとユダが壊されながらも、福音の種が全世界にまかれ、やがて全世界の民が、偶像や迷信、罪や悪から立ち返って来て、主を求めるようになるということです。
 エジプト人は、神様の助け、恵みに応える人々でした。主を良く知り、礼拝を忠実にし、御言葉に聞き従ったのです。21節。私たちに対するメッセージは、だから今信仰生活をしようとするならば、確実にしなさいということです。救われるのは、たましいただ一つだけです。すべては、臨時に持っているにすぎないのです。信仰を換えたとしても、実際に神様に生きる民とならなければならない、という勧めです。
 神様は、イスラエルの民にされたように、エジプトの民に対しても恵みの取り扱いをしてくださるというのです。21節。もっとも尊い恵みは、神様が私たちにご自分をあらわしてくださることです。自分たちが神様に知られることです。それは、忠実な神礼拝から来ます。彼らの請願は、自分のことは放棄して、すべて神様に委ね、徹底して神様の救いと恵みで生きるということです。主の民に困難が起こるのは、罪の裁きのためではなく、治すためです。霊的治療です。神様は、苦しむ者の祈りに応えてくださいます。このような信仰は、エジプトに留まりませんでした。

V−神の民によって一つとなる−
 「その日」何と、エジプトとイスラエルという敵同士が、イスラエルを中心に一つにつながり、福音の恵みを受ける国となるというのです。23-24節。エジプトの福音化が、アッシリヤにも影響を及ぼすというのです。南のエジプトから北のアッシリヤへ大路が通じるように、福音が、アッシリヤにも及び、主を信じるようになるというのです。事実、私たちはヨナ書を学んで、アッシリヤにも福音が伝わったことを知っています。道路と言えば、「すべての道はローマに通ずる」というローマ帝国において、キリスト教は、迫害されたにもかかわらず、その街道を通って帝国中に勢いよく広がって行きました。
 エジプトからアッシリヤに大路が、というのは、その間に障害がなく、意思疎通が可能だということです。ことばが同じだとしても、関心がないなら、互いに他所を向きます。たとえ言語が違ったとしても、関心があるなら、意思疎通できるようになります。福音が、イエス様の愛が人々の間にある障壁を崩すことになります。エペソ2:14。壁を作っている対象は何でしょう。2大国の壁を取り去ったのは神の民でした。24-25節。私たちが、イエス様と人々とを執り成すものとなるのです。話すことを避けたり、会うことを嫌がったりする対象はありませんか。あなたの前に道が通じていますか。
 この「わたしの民、わたしの手でつくった、わたしのもの」とは、みな神様の作品だということです。イザヤ43:1,4。この世でもっとも尊い神様の作品とは、何でしょう。今や神様の大路から遠く離れ、罪の中にいた者たちが、イエス様の十字架のゆえに、新しい被造物となって行くことです。Uコリント5:17。私たちが、そのような者なのです。私たちは、もっと自分を尊い者と思わなければなりません。「その日」のために、イエス様の尊い犠牲をもって買い取られた存在です。
 私たちは、イエス様に接木された者ですから、世の人々がイエス様と接木する役割を果たすのです。経済が破綻し、混乱した社会の中で、今や人々は、精神的支柱がないことに気付くようになりました。恐れと不安の中にあります。まさにエジプトでの神の民のように、私たちは、この日本に「散らされた神の民」です。私たちを通して愛するこの国を福音化し、救うことが、神様のビジョンです。私たちから、福音が広がって行くのです。私たちは、自分にも、宣教にももっと可能性があるのだ、と認識を新たに世に出て行かなければなりません。



イザヤ
19:16 その日、エジプト人は、女のようになり、万軍の主が自分たちに向かって振り上げる御手を見て、恐れおののく。
19:17 ユダの地はエジプトにとっては恐れとなる。これを思い出す者はみな、万軍の主がエジプトに対して計るはかりごとのためにおののく。
19:18 その日、エジプトの国には、カナン語を話し、万軍の主に誓いを立てる五つの町が起こり、その一つは、イル・ハヘレスと言われる。
19:19 その日、エジプトの国の真中に、主のために、一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには、主のために一つの石の柱が立てられ、
19:20 それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。
19:21 そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。
19:22 主はエジプト人を打ち、打って彼らをいやされる。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。19:23 その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。
19:24 その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。
19:25 万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」


ピリピ4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

使徒8:4 他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
11:19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。
11:20 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。
11:21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。

使徒8:31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。

Tペテロ3:15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
3:16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。

エペソ2:14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

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