2012年5月20日「バビロンの豹変」イザヤ21:1-17
序−「君子は豹変す」という言葉があります。徳の高い立派な人は、過ちに気付けば、すぐに改めるという良い意味でしたが、紳士だと思っていた人が安易に態度を変え、悪い正体をあらわすという意味でも使われています。バビロンは後者の例です。私たちは、聖書を通して罪人の性質を学び、神様の救いの計画を知ります。
T−バビロンの正体−1-2
中東を席巻していたアッシリヤ帝国を滅ぼして、次に大帝国を築くのが、バビロンです。当時、バビロンという国は、紳士的な国として見られていました。その国が凄惨な滅び方をする預言が記されています。今アッシリヤに滅ぼされるのか、生き残れるのかという状況にあるユダにとって、バビロンは友好国であり、拠り頼むべき国だったからです。それは、助けを求める相手をよく知っておかなければならないと教えています。
1節。「海の荒野」というのが、バビロンのことです。なぜ、海なのに、荒野なのでしょうか。防護用に掘られた水路が多く、川や湖沼も多く、古代には、「海」と言われていました。しかし、その間には荒野や砂漠もありました。バビロンの二重性を表しています。バビロンの外見は紳士的でしたが、実体は残忍で醜悪でした。力が強くて、世界を手中にしようとしました。
「吹きまくるつむじ風のように、恐ろしい地からやって来る」とは、ユダが信じていたバビロンが、一瞬に敵となって、攻めて来ることを言っています。ユダは、同じくアッシリヤを敵とするバビロンを友好国と見ていました。ヒゼキヤ王は、バビロン王が見舞いの使者を遣わしてくれたことを喜んで、王宮にあるすべての宝物を見せてあげました。U列王20:12-13。このように、初めは親切に見えたのです。お見舞いに来てくれたので、警戒することをしなかったのです。明らかな狼より、羊の皮を着た狼の方が恐ろしいです。サタンは、光の御使いにさえ変装するから、偽りの使徒も出て来ると警告されています。Uコリント11:13-14。
「つむじ風のように」とありますが、竜巻ですね。しばしばアラビヤの砂漠から来る恐ろしい盗賊たちがつむじ風に譬えられています。突然襲って来て、通り過ぎれば、何も残らないからです。バビロンの実体はそのような盗賊だったのです。このようなバビロンを頼りにしてはいけない、信じてはいけないと警告しているのです。
2節前半。「裏切る者は裏切り、荒す者は荒らす。」とは、騙す者たちは、一時正直そうに見せても、その盗賊の習性は決して変わりません。だから、習慣的に嘘をついている人が、一時嘘を言わなかったとしても、それは完全に価値観が変わったわけではないからです。バビロンは、略奪を中断しているだけで、本当に別の国になったわけではないのです。「人の心は、陰険で直らない」からです。エレミヤ17:9。宝物倉の財宝をすべて見せてくれたユダを襲うことになります。イエス様の十字架によって救われ、罪赦されても、そこから霊的造り変えが進んで行くのでなければ、罪人の習性は、その人を支配し続けるのです。私たちは、どうでしょう。
人が本当に変わったか変わらないか、どうして知ることができるのでしょう。たとえば、心が変わるなら、会う人が以前と変わり、生活方式も変化するでしょう。本当に人が変わるなら、欲心を棄て、自己中心を止め、主に自分を明け渡すようになります。罪の性質が、本当に霊的に変わることがなければ、君子も豹変し、羊も狼に急変するのです。
U−預言者の衝撃−3-4
でも、神様は、そんなバビロンを恐れるなと言われます。エラムやメディヤ攻撃させるからです。2節。「わたしは、すべての嘆きを終わらせる。」神様は、こうしてバビロンに痛めつけられたユダやすべての国々の嘆きを終わらせるのです。ですから、痛めつけられている時は、主に要請しなければなりません。イエス様がすべての傷を癒やし、主が臨まれます。神様は、必ず救いの道を用意しておかれます。Tコリント10:13。
イザヤが神様の御言葉を受けた時、強い衝撃を受けました。3-4節。なぜ、イザヤがバビロンに対する神様の御言葉を受けて、このように痛み、苦しみ、恐れたのでしょうか。バビロンがユダに大きな痛みを与えるようになるからです。エルサレムが滅びて、住民は捕虜とされるからです。今この紳士的友好国がそうするようになるからです。
それも、イザヤがこのことを人々に言っても、誰も信じません。なぜそんな悲観的なことを言うのだ、誰も信じないで世を生きるのか、と責められてしまうでしょう。ユダでは、友好国として受け入れられていたからです。妊婦が一人で産みの苦しみを受けなければならないように、イザヤも一人で苦しまなければなりませんでした。イザヤだって、以前はバビロンを友好国と思っていたからです。何としてでも、ユダの人々に、何が嘘で何が本当か、分別力を持ってもらわなければなりません。御言葉が判別力を与えてくれます。ヘブル4:12。
V−見張り人のすべきこと−5-10
大事なことは、神の民が取らなければならない態度です。ユダは、やがてバビロンに攻められ、バビロンの地に捕囚となります。しかし、宴会の最中突然敵が襲って来るように、バビロンの最後が訪れると言うのです。5節。だから、ユダの民は、ただ落胆することなく、終わりまで見守ることです。長く耐えることも重要です。たましいが眠らないように、見張り人を立てなければなりません。見張り人は、発見することと知らせることの二つの使命と責任を持っています。エゼキエル33:2-6。
戦車や騎兵が攻めて来るほど、大規模な攻撃です。6-7節。しかし、バビロンが滅ぶという勝利の知らせは、ユダの民のバビロンでの捕虜生活が終わるという喜びの知らせです。荷物も運ぶロバ、駱駝も従って来る、他の必要まですべて満たされるということです。その後のエルサレム帰還のことまで備えられています。
見張りは、しっかり物見をしなければなりません。8-9節。「獅子が叫んだ」というのは、見張りが獅子のように大声を上げて、知らせているようです。期待していた特別なニュースだということです。見張りは長く待っていました。昼も物見櫓に上り、夜にも見張り所に立ち、その時を待ちました。粘り強く待った結果、バビロンが滅ぼされた、という知らせを聞くようになるのです。私たちも、神様の導きを粘り強く見張らなければなりません。導きと恵みを体験したら、知らせなければなりません。
ですから、終わりまで期待して、待ち望む聖徒たちだけが、その喜びの「倒れた。バビロンは倒れた。」というニュースを聞くのです。10節の「踏みにじられた私の民、打ち場の私の子ら」とは、アッシリヤによって打ち場の穀物のように踏みにじられたユダの民のことです。神様は、ご自分の民を顧みてくださり、あわれんでくださいます。「万軍の主から聞いたことをあなたがたに告げた」と言っています。とにかく、イザヤは、民が聞こうが聞くまいが、神様からのメッセージを民に伝えるだけだ、という見張り人の使命と義務を強調しています。
イエス様の十字架による救いを知らされている私たちは、見張り人として滅び行くたましいに、救いの道を告げ知らせなければなりません。そのためには、見張り人として、イエス様の救いと神様の御業をしっかり見張らなければなりません。礼拝を通して、御言葉と祈りを通して知らせてくださいます。
W−夜が来て、また朝も来る−11-17
ユダの周りで残っている国は、ドマとアラビヤに対する預言です。11-17節。ドマとは、エドムに近いオアシスです。アラビヤは、ユダの東と南に広がる広い地域です。放牧をする民でした。バビロンの攻撃を逃れて非難生活をする人々が集まっていた所のようです。ユダの民の親戚であり、頼りにしていたようです。創世記23:13-14。しかし、そこも滅びるから、拠り頼むな、と警告しているのです。
人々は、夜回り、つまり見張り人に、夜の何時かと繰り返し尋ねると言います。見張り人の答えは、「朝が来、また夜も来る。」ということでした。「人生塞翁が馬」と言うように、良いこともあったとしても、悪いことが生じて、悪いことが生じても、良いことが起こるようになる、というのです。状況が悪くなり、困難が生じます。しかし、朝が来ない夜はありません。詩篇30:5。ユダや周りの国を苦しめるバビロンが滅ぼされ、その捕らわれから解放される日が来るのです。
人は、人生において、バビロンのような人やできごとに出会い、騙され、裏切られ、苦しめられることもあるでしょう。でも、やがてバビロンのような存在も、神様に裁かれ、除かれます。神様に拠り頼み、望みを置く者は守られるのです。私たちは、この信仰に生き、この福音を知らせるのです。ヘブル2:1-4,使徒22:15。
イザヤ
21:1 海の荒野に対する宣告。ネゲブに吹きまくるつむじ風のように、それは、荒野から、恐ろしい地からやって来る。
21:2 きびしい幻が、私に示された。裏切る者は裏切り、荒らす者は荒らす。エラムよ、上れ。メディヤよ、囲め。すべての嘆きを、私は終わらせる。
21:3 それゆえ、私の腰は苦痛で満ちた。女の産みの苦しみのような苦しみが私を捕えた。私は、心乱れて聞くにたえない。恐ろしさのあまり、見るにたえない。
21:4 私の心は迷い、恐怖が私を震え上がらせた。私が恋い慕っていたたそがれも、私にとっては恐れとなった。
21:5 彼らは食卓を整え、座席を並べて、飲み食いしている。「立ち上がれ、首長たち。盾に油を塗れ。」
21:6 主は私にこう仰せられた。「さあ、見張りを立たせ、見たことを告げさせよ。
21:7 戦車や、二列に並んだ騎兵、ろばに乗った者や、らくだに乗った者を見たなら、よくよく注意を払わせよ。」
21:8 すると獅子が叫んだ。「主よ。私は昼間はずっと物見の塔の上に立ち、夜はいつも私の見張り所についています。
21:9 ああ、今、戦車や兵士、二列に並んだ騎兵がやって来ます。彼らは互いに言っています。『倒れた。バビロンは倒れた。その神々のすべての刻んだ像も地に打ち砕かれた。』と。」
21:10 踏みにじられた私の民、打ち場の私の子らよ。私はイスラエルの神、万軍の主から聞いた事を、あなたがたに告げたのだ。
21:11 ドマに対する宣告。セイルから、私に叫ぶ者がある。「夜回りよ。今は夜の何時か。夜回りよ。今は夜の何時か。」
21:12 夜回りは言った。「朝が来、また夜も来る。尋ねたければ尋ねよ。もう一度、来るがよい。」
21:13 アラビヤに対する宣告。デダン人の隊商よ。アラビヤの林に宿れ。
21:14 テマの地の住民よ。渇いている者に会って、水をやれ。のがれて来た者にパンを与えてやれ。
21:15 彼らは、剣や、抜き身の剣から、張られた弓や激しい戦いからのがれて来たのだから。
21:16 まことに主は私に、こう仰せられる。「雇い人の年期のように、もう一年のうちに、ケダルのすべての栄光は尽き果て、
21:17 ケダル人の勇士たちで、残った射手たちの数は少なくなる。」イスラエルの神、主が告げられたのだ。
Uコリント11:13 こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。
11:14 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。
エレミヤ17:9 人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。
ヘブル4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
詩篇30:5 まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。
ヘブル2:1 ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。
2:2 もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、
2:3 私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、
2:4 そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。
使徒22:15 あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。