2012年6月10日「忠実な主のしもべとして」イザヤ22:15-25
             
序−紀元前8世紀、当時の中近東は、アッシリヤからバビロン帝国へ変わる時代でした。ユダ王国の首都エルサレムは、アッシリヤ帝国の攻撃に苦しんでいました。その中にいた二人の官僚を通して、神の民としての職責、働く者の霊的ポリシー、ライフスタイルについて学びます。

T−財務大臣シェブナの栄華と挫折−
 ユダ王国の危急存亡の時、ここにシェブナという宮廷執事が取り上げられています。15-16節。彼は、王の側近として宮廷で権力をふるっていました。権力と財力を手中にした人は、その名を残そうと大きな墓を造ろうとします。シェブナは、エルサレムの国庫を預かる役人でしたが、それで自分のために大きな墓を作りました。この時代は、アッシリヤと戦っていた時、戦費や貢物だけでも大変な費用なのに、国庫を投じて自分の墓を造ったのです。どこかの役人たちも、莫大な借金をしながらを高収入を得、やめた後も地位と収入を確保しています。しかし、これが罪に支配されている人の姿です。自分中心であり、欲に限りはありません。
 神様は、このようなシェブナを退けます。17-18節。面白いことに、シェブナをボールのように丸めて、遠くに投げ捨ててしまおうと言うのです。漫画ならそうなるでしょうが、実際には、バビロン捕囚となって行くのでしょう。彼の用意したものはことごとく失われ、自慢の自家用車も奪われてしまうのです。イエス様が主の前に富まない者に言われたように、「おまえの用意したものは、いったいだれのものになるのか。」となるのです。ルカ12:20。シェブナの愚かさも、ここにあります。どこで死ぬかも分からないのに、高価で大きな墓をエルサレムに用意していましたが、「ここはあなたに何のかかわりがあるのか。」ということになるのです。
 人は先が分からないのに、後の日のことを心配して準備しておこうとするのです。シェブナの姿は、すべてを準備して、死んだ後まで準備した人の姿です。神様を自分の未来の担保として拠り頼むことが何より大切です。マタイ6:33-34。聖書が教えることは、未来は私たちのどうこうできるものではないということです。未来は神様に委ねて、その日その日を生きて行かなければならないのです。もし私たちが未来のことを心配するならば、際限なく何かを準備しておかなけれならないと考えるようになります。心配は尽きることがありません。マタイ6:19-20。

U−エホヤキンの任命、鍵と釘の働き−
 神様は、そんなシェブナをその職から罷免し、代わりにヒゼキヤの息子エルヤキムをその任に就けました。19-21節。その職責に就いた者が真実でないならば、神様がその者をその職から退けて他の者に委ねるのです。神様が人を立てようとするなら、困難があってもその地位に就けるし、神様が退けるなら、どんなにしがみついてもその地位を追われます。クリスチャンは、よくよくこのことを覚えておかなければなりません。
 シェブナは、王や一部の人の歓心を買ってその地位を保とうとしましたが、エリヤキムは、民のために公平に正直に働きました。これが、彼の力であって、その地位と働きを担い続ける秘訣なのです。
 重要なことが22節に記されています。公平に正直に働くエリヤキムに強い権限が委ねられます。「ダビデの家の鍵が彼の肩に置かれる」というのは、エルヤキムがエルサレムの国庫の鍵を握り、国庫の食料や財宝の出し入れをすべて彼が握るということです。神様が彼にその職責と権能を与えてくださるということです。すべてのことが、彼の一言二言にかかっているようになります。
 究極的には、ダビデの鍵を持っておられるのは、イエス様です。黙示録3:7-8。イエス様こそ、御国の倉の鍵を握っておられる方です。私たちには、御言葉や聖霊の満たしだけでなく、お金や財物、知恵や力も必要です。イエス様は、天にあるものから地にあるものまで私たちに必要なものを与えてくださいます。イエス様を信じて救われた者は、御国を受け継ぐ者となったからです。エペソ1:11,14。
 世の人々を通しても、助けてくださいます。バビロン捕囚から神の民を解放する時には、ペルシャのクロス王を用いられました。神様は、クロス王に捕囚解放の政策を採らせ、ユダの民の帰還に必要なものを用意させます。結局、すべての権限はイエス様にかかっています。黙示録3:7。イエス様を信じて救われている私たちには、この鍵の権能を持つイエス様がついていてくださるのです。どんなにありがたいことでしょうか。
 続く節では、エルヤキムが壁に打たれた釘に譬えられています。23節。当時の家の中では、壁に釘が打たれて、様々なものがかけられていたようです。神様は、エルヤキムをエルサレムの壁にしっかり打たれた釘のような存在としたのです。事実、多くの人々が彼に拠り頼むようになり、人々の人生が彼にかかっていたということです。私たちも、家庭や学校や職場等に打たれた釘です。私たちを通して神様は働いてくださり、恵みを注いでくださるのです。私たちに、そこにいる人々の救いと恵みの人生がかかっているのです。その責任と気概を私たちは持つべきです。

V−忠実なしもべとならなければ−
 しかし、エルヤキムの働きは続きませんでした。24-25節。はじめは、エルヤキムは、頼もしい釘でしたが、すべてが彼にかかったために、錆び付いて、折れてしまいました。彼は、財務大臣の働きはしっかりやっていたのですが、次から次と彼の一族が彼を頼って来ました。このくらいはと情実にとらわれて便宜をはかり、次第にその政策に歪みが生じて行ったのです。神のしもべとして公平、正直に職務を遂行していたエルヤキムも、一族や関係者の求めに嫌とは言えず、応じて行くうちにしだいに不正を行ない、職責を逸脱するようになったのでしょう。
 エルヤキムにしてこうなってしまうのですから、人は気付かぬうちに罪に陥ってしまうのです。これくらいはと思ってうちに罪に陥って行くのです。どんなに自分を律しようとし、自分は正しくしようとしても、人には自分を変え、自分を救う力はありません。私たちの罪と滅びのために変わって十字架につけられたイエス様しか、私たちを救い、罪から解放できる方はいません。イエス様の十字架が私たちを変えてくださるのです。
 今日の個所に、クリスチャンのスチュワードシップ、忠実な管理人の生き方が教えられています。エルサレムの国庫は、いわば神様の倉です。エルサレムの財務大臣の働きは、神様から預かった糧食やお金をよく管理して、民の必要のために用いることです。ところが、シェブナのしたことは、それをもって私腹を肥やすことであり、自分が豪華な車に乗ることであり、自分の大きな墓を準備することでした。
 神様は、はじめエルヤキムを「わたしのしもべ」と言っています。これは、彼がエルサレムの国庫を一文たりとも私せず、ただ神様の御旨に沿うように忠実に用いた忠実な管理人だったということです。任せられていることの管理について、何よりも正しい観点を持つ必要があります。財物そのものに良し悪しはありません。まず重要なことは、自分が委ねられている財物と神の国の関係です。自分が本当に神の国に属する者ならば、自分の得ているものを主の栄光のために、たましいのすくいのために用いなければならないという神のしもべとしての意識を持つのです。
 私たちが主の管理者として財物を用いる時、神の国の働きに加わっていることになります。宣教は、まさにそういうことです。ピリピ教会は、パウロの宣教を助けるために衣服を送っていたのですが、パウロも特別にピリピ教会に感謝しています。ピリピ教会の人々にとって、そのようにパウロを支援することで、宣教の働きに一緒に参加しているという思いがあったからです。私たちは、どんなことでその意識があるのでしょうか。
 一つのたましいの救いは天よりも尊いなら、そのために財物は喜んで用いられるべきです。イエス様が譬え話で言われた「不正な富で自分のために友をつくりなさい」とはこういうことです。ルカ6:9。不正な管理人は、辞めさせられた後のために、主人に負債のある者たちを呼んで証文を書き換えさせました。確かに不正なことですが、主人の財産をもって人を助けたという話です。財物は永遠に自分のものであることはありません。それでもって愛を施すのです。もし、シェブナが管理しているエルサレムの財物を人々のために使ったならば、状況がどうなろうと、彼は人々からよく支えられ、守られたことでしょう。私たちは、未来を神様に委ねて、今信仰の目で管理しているものを用いなければなりません
 私たちは、自分の義で生きようとすると、失敗します。私たちが求めなければならないのは、神の御心です。御心に合うなら、御国の門の鍵を持っている方が助けてくださいます。私たちは、委ねられた所でしっかり神の御心を行なうことです。ある意味において、私たちクリスチャンはみな、シェブナやエルヤキムだと言うことができます。私たちは、すべてのものを神様から管理を委ねられている者だからです。そして、委ねられている財物や能力でもって神様の働き、たましいの救いの働きをして行くのです。マタイ24:45-47。私たちの担っていることは、主のしもべとして、その管理が委ねられているのです。委ねられている小さなことにも忠実であるならば、責任を果た、多くのものを任せられるようになります。忠実な管理人となることが、イエス様が私たちに求めておられることです。マタイ25:21。


イザヤ
22:15 万軍の神、主は、こう仰せられる。さあ、宮廷をつかさどるあの執事シェブナのところに行け。
22:16 あなたは自分のために、ここに墓を掘ったが、ここはあなたに何のかかわりがあるのか。ここはあなたのだれにかかわりがあるのか。高い所に自分の墓を掘り、岩に自分の住まいを刻んで。
22:17 ああ、ますらおよ。主はあなたを遠くに投げやる。主はあなたをわしづかみにし、
22:18 あなたをまりのように、くるくる丸めて、広い広い地に投げ捨てる。あなたはそこで死ぬ。あなたの誇った車もそこで。主人の家の恥さらしよ。
22:19 わたしはあなたをその職から追放し、あなたの地位から引き降ろす。
22:20 その日、わたしは、わたしのしもべ、ヒルキヤの子エルヤキムを召し、
22:21 あなたの長服を彼に着せ、あなたの飾り帯を彼に締め、あなたの権威を彼の手にゆだねる。彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる。
22:22 わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。
22:23 わたしは、彼を一つの釘として、確かな場所に打ち込む。彼はその父の家にとって栄光の座となる。
22:24 彼の上に、父の家のすべての栄光がかけられる。子も孫も、すべての小さい器も、鉢の類からすべてのつぼの類に至るまで。
22:25 その日、――万軍の主の御告げ。――確かな場所に打ち込まれた一つの釘は抜き取られ、折られて落ち、その上にかかっていた荷も取りこわされる。主が語られたのだ。


ルカ12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

マタイ6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。

マタイ24:45 主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。

ルカ16:9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。

マタイ25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

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