2012年7月22日「古い人が死んで新しい人が生きる」イザヤ26:11-21
              
序−神様の救いを求める者に対する熱心と素晴らしい救い御業が賛美されています。人は、神様の救いの御業を知って悔い改め、悔い改めてこそ、新しい命に生きるようになります。

T−神の民に対する神様の熱心−11-13 
 ユダの民は、神様の愛が冷めたと考えました。困難が続いているにもかかわらず、神様は迅速に助けてくれそうもない、誠意がないように思われたからです。神様が、自分の望んでいるように中々してくれないと言っていました。しかし、神様は、その民に対して熱心でした。11節。神様は、私たちに罪を知らせる時、熱心にされます。人は、罪に対して徹底して悔い改めることがありません。神様は、神の民の罪を誠実に指摘し、救いに導くために、熱心に預言者たちを送られました。患難を通して、神の民が悔い改めることを求められました。これが、神様の熱心です。
 ユダの民が受けた患難を見て、他の民族は、ユダの神が無力だからと考えました。しかし、アッシリヤやバビロンという強い国も一瞬に倒してしまう神様だと知るようになります。このような神様の熱心を知って、愚かだったことを恥じることを願われたのです。神様は、人々が罪を悔い改めて、神様に拠り頼むために、ことをなされます。
 罪が最も大きな問題です。私たちが生きる道は、神様に拠り頼むことです。神様に拠り頼まないで、絶望したり、怒ったりするのは、霊的病気です。人の中身は分りません。罪を犯している人が良く見えたりします。世の価値観、世の人々のような生き方がよいように思わされるのです。サタンが騙すのです。神様の民は、罪の恐ろしさを悟り、罪を棄てて、神様に拠り頼み、立ち返って来る人です。もし神様の熱心を見ても逆らうならば、滅びてしまうでしょう。
 神様を恐れないで、心のまま欲心で生きることが、どれほど恐ろしく、悲惨なことか。私たちのすべきことは、罪を悔い改めてただ神様だけ拠り頼むことです。そうすれば、神様は私たちを通してとても尊いことを行なわれます。12節。神様は、神様に拠り頼む者に、平安を与えられました。神様に出会うまでは、まったき平安というものがないのです。何か不安なことがあるなら、あれこれと動き回って、静かにしていられません。しかし、神様に信頼する者には、平安があります。私たちができることはすべて、神様がしてくださった結果です。神様がしてくださるという信仰があるから、平安です。もし全部自分がしなければならない、重荷を全部負わなければならないとしたら、耐えられなくなってしまうでしょう。神様が自分を守り、事を行なって、荷を負ってくださるとしたら、安心して最善を尽くして、事をなせるのです。ピリピ2:13。
 イエス様がくださる平安は、世がくれる平安とは、まったく違います。世の平安は、大過なく過ごすということです。世では、問題もなく、労苦もなく悩みもないのを平安と言います。しかし、イエス様に救われたクリスチャンは、絶え間なく問題と患難が押し寄せる中での平安なのです。主と共にあれば、不思議に不安ではないのです。それは、神様に信頼する者を守ってくださるからです。ピリピ4:7。
 主に守られる者は、こう告白します。13節。ユダの民はいつも他の民をうらやましがっていました。彼らが肉の思いを満足させて生きていたからです。これは、私たちのうちにも起こる思いではないでしょうか。神の民は、羨んだ民の奴隷や捕虜となってみると、決して幸いではないことが分りました。何かがなくても、何かができなくても、神様を恐れて謙遜に生きる方が、何倍も幸いだと分ったのです。彼らの王や偶像の支配を受け、それらにより頼んでみて、「拠り頼むべきは、私たちの神様以外にはいない、まことの神だ。」と褒め歌うのです。使徒4:12。御言葉に聞き従い、神様に拠り頼んで生きることが、どれほど大きな祝福かと分ったのです。

U−死んで行く国と生きて行く国−14-15
 14-15節には、二つの国について語られています。滅んで行く国と神様の祝福で回復して行く国です。死んで再び生き返ることのない国とは、神の民を苦しめたアッシリヤやバビロンでしょうか。いいえ、イスラエルやユダ自身です。彼ら神の民の中には、世に属した肉の欲の国と神様に信頼した霊的な国がありました。ローマ8:5-6。 イスラエルやユダが滅んだのは、彼らの罪の結果でした。罪の欲は、国を滅ぼすほどなのです。
 律法で罪の欲を抑えることはできませんでした。イスラエルの罪を律法で治めることはできませんでした。この混乱した世を見るとき、人の罪を法で抑えることはできないことを知ります。古代人も現代人も、その罪の性質は変わりありません。私たちの民の中にも、二つの国があります。御言葉に従順になろうとする国と肉の心のまま生きようとする国です。
 肉の欲のまま罪に生きたイスラエル、ユダは、滅んでしまいましたが、神様の御心に従ってまま生きる霊的イスラエル、神の民の国は残ります。新約時代のクリスチャンです。新しいイスラエル、クリスチャンは世界中に広がっています。広がり続けています。
 私たちは、イエス様を信じたことによって、すでに私たちのうちにある古い人は死にました。罪の体が死んで、罪の奴隷ではなくなりました。ローマ6:6。肉の思い、罪が私たちをそのまま支配することはできません。そして、イエス様の十字架と共に古い人が死んだのであれば、イエス様とともに新しい人として生きるようになるのです。ローマ6:8。イエス様にあって新しく造られた者は、すべてのことが新しくなります。Uコリント5:17。家族に対する考えが変わります。職場に対する姿勢が変わります。人間関係も変わります。重要なことは、イエス様の十字架で救われたのですから、悔い改めで、新しい人として生きることです。霊的命が息づきます。
 
V−古い人が死んで新しい人が生きる−16-21
 苦難の時、神の民は祈りました。16節。神の民たちは、イスラエルがユダが滅びないように祈りました。切実に祈った者もいました。言葉にならない、うめきのような祈りでした。祈らなかったわけではありません。17-18節。患難の時、まるで産みの苦しみで叫ぶ妊婦のように、神様に叫びました。神の民は、困難の時、肉の思いが満たされるよう祈りました。その結果、風が産まれた、すなわち何も成果はなかったということです。自分の考えを神様の御前に持って行くよりよいことは何もなく、自分の考えで疑いをもつことより危険なことは何もありません。
 神様が願ったのは、古い人が死ぬことでした。肉のイスラエルは死んで、神様が生かしてくださいました。19節。「あなたの死人、主の死人」とは、滅びてしまった神の民です。バビロン捕囚の間、死んでいたようです。しかし、神様は、彼らを死んだままにしませんでした。彼らを救うという約束を取り消すことはしませんでした。
 救い主イエス様が来られて、救いの約束を果たしてくださいました。新約の教会を通して生き返るのです。教会が、新しいイスラエルです。19節では、「私のなきがらはよみがえる」と言っています。死体のようだった者がイエス様に救われて生きるようになると言っています。新しいイスラエル、新約の教会が、イエス様の救いによって「よみがえる」のです。「ちりに住む者たち」私たちがよみがえったのです。エペソ2:1-6。
 19節は、交唱の賛美です。露は、朝早く降ります。今新しい日が始まるというのです。「地の死者の霊を生き返らせます」とは、神様に敵対して、死んでいたような者が救いに預かって、真に生きるようになるということです。ルカ15:24。人は肉体が生きていても霊において死んでいます。悔い改めて古い肉の自分が死んで、新しい命に生きるようになります。放蕩息子の父親のように、神様の熱心は、私たちが、悔い改めて立ち返って来ることを待ち望んでおられるのです。
 神様は、困難の中にある聖徒たちに何と命じていますか。20-21節。さばきの中に、救いの恵みがあります。罪がないから神の民とされたのではありません。Tヨハネ1:8-9。ここは、出エジプト11-12章の過越の救いを思わせます。鴨居と二本の門柱に子羊の血が塗られます。部屋に隠れているのは、さばきから免れるのではなくて、過越の子羊がほふられ、血が流されたからで、裁きを免れました。出エジプト12:21-23。つまり、イエス様を信じる者は、イエス様の十字架の死によってさばきを免れ、救われるのです。
イエス様の十字架は、人のすべての罪をあらわにされ、裁かれました。肉の自分を悔い改めると、自分中心の罪が、イエス様の十字架とともに釘付けにされます。ガラテヤ5:24。そうなってこそ御霊に満たされて、新しい命に生きるようになるのです。神様は、私たちが心に抱いていた良くない動機や想像まですべて悔い改めて、告白するように言われました。自分の欲を満足させようと怒りをぶつけることだけでなく、人を憎んで言動に及ぼうとしてことも罪だと悟って、悔い改めるのです。古い自分は死んで、死んでいた命がよみがえり、新しくされます。心聖められ、御霊の人となります。それが恵みです。ローマ8:5-6。


イザヤ
26:11 主よ。あなたの御手が上げられても、彼らは認めません。どうか彼らが、この民へのあなたの熱心を認めて恥じますように。まことに火が、あなたに逆らう者をなめ尽くしますように。
26:12 主よ。あなたは、私たちのために平和を備えておられます。私たちのなすすべてのわざも、あなたが私たちのためにしてくださったのですから。
26:13 私たちの神、主よ。あなた以外の多くの君主が、私たちを治めましたが、私たちは、ただあなたによってのみ、御名を唱えます。
26:14 死人は生き返りません。死者の霊はよみがえりません。それゆえ、あなたは彼らを罰して滅ぼし、彼らについてのすべての記憶を消し去られました。
26:15 主よ。あなたはこの国民を増し加え、増し加えて、この国民に栄光を現わし、この国のすべての境を広げられました。
26:16 主よ。苦難の時に、彼らはあなたを求め、あなたが彼らを懲らしめられたので、彼らは祈ってつぶやきました。
26:17 子を産む時が近づいて、そのひどい痛みに、苦しみ叫ぶ妊婦のように。主よ。私たちは御前にそのようでした。
26:18 私たちもみごもり、産みの苦しみをしましたが、それはあたかも、風を産んだようなものでした。私たちは救いを地にもたらさず、世界の住民はもう生まれません。
26:19 あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。
26:20 さあ、わが民よ。あなたの部屋にはいり、うしろの戸を閉じよ。憤りの過ぎるまで、ほんのしばらく、身を隠せ。
26:21 見よ。主はご自分の住まいから出て来て、地に住む者の罪を罰せられるからだ。地はその上に流された血を現わし、その上で殺された者たちを、もう、おおうことをしない。


ピリピ2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

ピリピ4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

使徒4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。

ローマ8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

ローマ6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

ルカ5:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

エペソ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。

Tヨハネ1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

出エジプト12:21 そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。「あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過越のいけにえとしてほふりなさい。
12:22 ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。
12:23 主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家にはいって、打つことがないようにされる。

ガラテヤ5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

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