2012年9月23日「癒やしと恵みの回復」イザヤ30:18-26
序−預言者を通して語られる神様のメッセージには、戒めや叱責の中にも、悔い改めへの招きがあります。叱責と悔い改めをしっかり聞かない者はどうなるのでしょう。それでも、癒やしと恵みのメッセージが聞かされます。
T−哀れんでくださる神様−18-19
ユダの民を叱責され、悔い改めを求めておられた神様は、今ユダの民にどのようにされるというのでしょうか。18-19節。何と、神様は、ユダの民を恵もうとしておられるというのです。戒めを受けている民は、しっかり悔い改めたわけではないのに、恵みのメッセージを与えるのです。理由は、「正義の神であるから」というのです。彼らの神だから、哀れみ、恵もうとされるのです。患難や困難、不安や苦しみを受けている民が、真実に神様に立ち返って来るように、恵もうと待っておられる神様です。
私たちが、自分勝手な思いで神様に求めるばかりで、神様の叱責や悔い改めの求めなど聞こうとしないために、こうされるのです。神の民も、私たちも勝手です。それでも、神様は、様々な患難や困難を通して苦しみを味わった神の民を「恵もうと待っておられ、哀れもうとたちあがられる」のです。私たちの神様だからです。
考えてみてください。仮に、悔い改めなしに恵みが与えられ、欲心の求めるままになったとしたら、恵みを恵みとして受けないでしょう。かえって肉の原理で生きることになるでしょう。患難を通して神様に立ち返り、自分の思い中心を悔い改める時、恵みを受けるに相応しく、恵みを感謝して受け、恵みに応える者になるからです。
重要なことは、どれだけ労苦したかではなくて、労苦の中で神様を求め、主の前に悔い改め、苦しみの中で主に立ち返るかが、恵みと哀れみを受ける要素なのです。ですから、どのようになろうとも、ずっと神様を待ち望む者は、どうなるのですか。「幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」と言われるのです。「幸いなことよ」とは、旧約聖書ではアッシュレーと言い、詩篇に多く使われている言葉です。詩篇1:1,32:1-2,146:5。新約聖書ではマカリオイと言い、山上の垂訓に使われています。マタイ5:3-10。イエス様は、自分が何をしているか分らない者の赦しのために、十字架上で祈られました。ルカ23:34。「あなたの代わりに十字架にかかりました。悔い改めて、救いを受けてください。」と言い、待っておられます。
肉の思いのために迷い出ている私たちを、患難や困難の中で悩み苦しんでいる私たちを、神様は恵もうとして待っておられ、哀れもうと立ち上がられておられるのです。悔い改めて、立ち返って来ることを今か今かと待っておられる姿です。弟息子が帰って来るのを待っていた放蕩息子の父親の姿です。立ち返って飛び込んで行く姿こそ「幸い」であり、美しい姿です。使徒2:36-38。神様の傑作品に造り変えられます。
神様の御前に立ち返って来るならば、どうなりますか。19節。「シオンの民、エルサレムに住む者」とは、所属と身分を指しており、神様に信頼する者ということです。神様にまったき信頼を寄せて来る者に、「もうあなたは泣くことはない」と言ってくださいます。何と言う慰め、励ましでしょううか。患難を経れば経るほど、苦しみを味わえば味わうほど、この慰めや励ましを大きく感じることでしょう。
神様は、神様に助けを求める「叫び声に応じて恵み、答えてくださる」のです。驚くべき約束です。患難を経験すると、助けてくださる方の有り難味が分ります。ユダの民も神様から離れて患難に陥った後、祈りの答えの重要性を悟りました。私たちも、自分の思いで行い、自分の欲心を追求して悩み苦しみに陥っても、哀れみ深い主に立ち返るなら、恵みと祝福を味わうようになります。
U−私たちを導く教師−20-22
悔い改めて神様に立ち返って来る者には、神様が御言葉がくだされます。20-21節。「乏しいパンとわずかの水を賜っても…」とは、大変乏しい状態であっても、神様の恵みがくだされれば、もう御言葉を伝える教師が現れて、御言葉を明らかに伝えてくれるということです。物質的な悩み中でも、まず霊的な恵みを与えてくださいます。まず、御言葉が与えられます。人々の頑なな心が砕かれて、その意味を知ることが第一歩です。これが、神様の恵みの回復の証拠です。
私たち一人一人の後ろに立って、私たちが右左に逸れないで、正しい道に行けるようにコーチしてくださるのです。船で舵をつかんでいる人のように、後ろで舵を動かしてくださるというのです。どこに行くか分らないで、一人で勝手に人生を動かして行くよりも、この方がよっほどいいでしょう。私たちの人生は旅路、私たちは旅人です。御言葉に目を留めて、御言葉の適用を示されて進んで行くのです。詩篇119::18-19。
それは、聖霊の働きです。この教師とは聖霊です。イエス様を信じた者私たちには、御霊なる神様が内に住んでくださり、私たちに「これが道だ。これに歩め。」と知らせてくださるのです。エレミヤ7:23。何と素晴らしいことでしょう。しかし、私たちは、御心を知っていても、それに逆らい、自分の肉の思いのままにすることが多いでしょう。でも、御霊の人であるならば、悔い改めるようになります。この御霊の働きは、神様の素晴らしい祝福です。
御霊に揺り動かされて悔い改めると、自分の罪を吐き出すようになります。22節。ユダの民はある時期、偶像にささげ物をしていました。偶像は何でもOKですから、思いのまま罪を犯すことができ、思いのまま楽しむことができたのです。そういう肉の思いを偶像に反映させるですから、自分の肉の思いが、偶像と言えるでしょう。しかし、思いのままするのであれば、神様から離れ、罪に陥ります。そして、患難と嵐が押し寄せて来ます。イエス様が来られる理由は、私たちを罪から解放して、救うためです。
V−癒やしと恵みの回復−23-26
神様は、ユダの民を罪から救い出される時には、それまで以上に豊かな恵みをくださいます。23-24節。救い出される時、雨を降らせ、作物を豊かに実らせてくださるのです。家畜まで、おいしい餌が与えられるようになるという恵みが与えられるというのです。つまり、神様が恵みをくださる時は、それほど豊かに祝福して、恵みをくださるということを象徴しています。
神様は、悔い改めて、立ち返って来る者に、豊かな人生の実りを与えてくださいます。最も豊かな実りは、たましいの収穫です。福音によって人が救われ変えられることほど豊かな実りはありません。神様は、救われた私たちに天の恵みをを与えようとされています。それは、神様の品性です。霊的に造り変えによって、神様に似た者としてくださるということです。勿論、それでお金をよく稼げるわけでもなく、出世できるわけでもなく、人より得するわけありません。しかし、人を祝福することができ、人に仕えることができます。愛で世に影響を与えることができる人は、神様の品性を身につけた人です。
後には、素晴らしい日が来ると言います。25-26節。どんな日でしょう。すべての神様の敵が倒される日です。高い丘に運河ができるということは、水が流れない高い所にも水が流れるように、恵みが来ないような所にも、神様の恵みと救いが及んで来るということです。それは、イエス様が十字架で死なれる時です。イエス様によって、罪に徹底的に打ち勝つ日です。その日には、救いと恵みがあふれるようになります。
その日は、「主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日」です。その癒やしは、何よりも傷ついた心の治療をしてくださいます。望みを失い、傷ついた彼らの心に、喜びを与え、慰めをくださいます。渇いた心に命の泉が流れ、たましいが潤されます。それは、イエス様の打ち傷のゆえに癒やされるのです。Tペテロ2:24。
月の光が太陽の光のようになり、太陽の光は七倍、七日分の光になると言います。真理に対する洞察力を明るくさせてくださるということです。神様が喜ばれる御心を発見して、行なうようになるからです。過去とは比べ物にならないほど、真理の洞察力を下さる時代が来ます。それは、今です。私たちの中におられる聖霊は、私たちの心の傷、たましいの痛みをすべて癒やしてくださいます。劣等感、抑うつ、鬱憤、恨み等すべてを治療してくださるのです。神様の御心を知るようになります。
過去に人々は、本当に暗い中で生きていました。かつて、不信と偶像礼拝が、人々の人生を支配しました。しかし、今は明るい大きな光であるイエス様が、救い主として来られました。ヨハネ1:1-5。誰でも、主の御名を呼ぶ者は、救われます。神様は、離れている者を、患難で苦しみ悩んでいる者を恵み、哀れもうと待っておられます。主の御ふとろに飛び込んで行きましょう。悔い改めて立ち返るならば、造り変えられ、新しい人になります。イエス様は、私たちが罪を離れ、義に生きるために、十字架にかかられました。私たちを恵もうと待っておられます。哀歌3:25。
イザヤ
30:18 それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。
30:19 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。
30:20 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜わっても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。
30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。
30:22 あなたは、銀をかぶせた刻んだ像と、金をかぶせた鋳物の像を汚し、汚れた物としてそれをまき散らし、これに「出て行け。」と言うであろう。
30:23 主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、
30:24 畑を耕す牛やろばは、シャベルや熊手でふるい分けられた味の良いまぐさを食べる。
30:25 大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる日に、すべての高い山、すべてのそびえる丘の上にも、水の流れる運河ができる。
30:26 主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍になって、七つの日の光のようになる。
使徒2:36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。
2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
詩篇119:18 私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。
119:19 私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。
エレミヤ7:23 ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神となり、あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにするために、わたしが命じるすべての道を歩め。』
Tペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
哀歌3:25 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。