2012年11月11日「キリストの内にとどまろう」Tヨハネ2:18-29
              
序−アンチ何とかというのがたくさんありますが、この箇所にも、アンチキリストという言葉があります。しかし、イエス様に反対しているのではありません。彼らが全面的にキリスト教に反対していたなら、クリスチャンが揺さぶられることはなかったのですが。事実試みを受け、揺さぶられていたのです。なぜでしょう。どんな対策が勧められているのでしょうか。

T−反キリストの出現−18-23
 信仰が揺さぶられることなので、「小さい者たちよ」と言って、みんなにに向けられています。18節。アンチキリスト、反キリストと言っても、キリスト教反対ということではありません。キリスト教なのに、イエス様がキリストでない、神様の御子でないと言っていたのです。22節。彼らも、イエス様はすばらしいお方だと認め、その教えを学ぶのですが、イエス様が神様だとは、人間中心の考えからは認めなかったのです。クリスチャンも、人間中心で考えるならば、影響を受けます。そして、イエス様を偉大な人物、聖書を道徳訓、よき教えと受け止め、自分の知恵中心で生きるようになるのです。それは、キリストではない間違った教えです。
 そうなると、十字架の死からの復活、救いの奇跡を割り引いて受け止めるようになります。信仰を自分の頭の中に収めようとし、全面的に神様に従おうとせず、聖書を誤りない神様の御言葉と受け止めなくなります。御霊に導かれることもありません。イエス様を神の御子、キリストと認めなければ、私たちの罪の赦しはないし、命の回復も得られません。まったくみじめな存在となってしまいます。救いの恵みはありません。                                                                
 それで、使徒ヨハネは、聖徒たちが反キリストの教えに幻惑されないように、攻撃から守られるようにしたのです。今日もそのような間違った教えがあり、惑わされます。人間の理性に神様を入れようとしないでください。聖書の御言葉を誤りなき神様の言葉と単純に受け入れてください。イエス様は、神の御子で、私たちの救いのために十字架で身代わりとなるために、人となって世に来られたという聖書のメッセージを素直に信じるのです。御霊の信仰に生きないならば、いくらでもそのような間違った教えに騙(だま)されてしまいます。御言葉に生かされないなら、霊的病いに陥ります。御言葉の真理に立つことができないなら、腐敗と偽りの信仰が登場することになります。20-21節。
 使徒ヨハネの時代ばかりではありません。現代も、反キリストが出現しています。異端と呼ばれるものばかりでなく、普通の教会やクリスチャンの中にも、反キリストに近い考えがあります。ですから、今私たちに「小さい者たちよ」と呼びかけているのです。キリスト中心の信仰、御言葉に聞き従う生活、御霊の原理で生きるのでなければ、反キリストに会うなら、その信仰は崩れてしまうのです。

U−初めから聞いたことにとどまる−24-25
 ヨハネの時代多くの間違った教えが出てきた時代です。間違った教えは、クリスチャンが信仰の根をおろすことができないように誘惑します。御霊に属する人になるようにさせないで、肉に属する人となるようにさせます。クリスチャンではない、ただの人として生きることになります。Tコリント3:3。聖書的信仰から離れていながら、教会生活はすることになります。
 それで、こう勧めています。24節。「初めから聞いたことをとどまらせなさい」とありますが、多くの人は、はじめは純粋に信じます。福音を聞いた時、自分が神様の御前に罪人であり、イエス様が十字架に自分の代わりに死んでくださったと信仰告白したはずです。救われた喜びと感激がありました。ところが、しだいに神様中心でなく、肉の自分の思い中心になり、世の価値観に戻り、もっぱら肉に属する人となって、ただの人として生きるようになるのです。Tコリント3:3。
 ですから、「初めから聞いたこと自分たちのうちにとどまらせなさい」と命じています。イエス様の十字架の身代わりによって救われた、という救いの真理をいつも自分のうちにあるようにしなさいというのです。これが、信仰の根源だからです。私たちは、出エジプトの民と同じ荒野の訓練を受けます。彼らは、水もパンもない荒野で、神様の御言葉で生きる体験をしました。私たちも、自分の思うようにならなくて、困難が起こっている中を通るのも、神様の御言葉で生きるようになるためです。ヘブル12:7。私たちには、天国へ続く新しい命が与えられています。その命は、神様の御言葉を食べて生きる命です。
 どんなに亀裂があり、憎みあう仲になった夫婦だとしても、はじめは互いを好み、結婚したはずです。そのはじめの気持ちに戻れば、回復する道があります。どんなに違った信仰になっているとしても、初めのあの純粋な信仰を取り戻すなら、新しい命に生きるようになります。これからはイエス様と共に生きて行くと決意した、あの素直に福音を受け入れた信仰を回復させるなら、光の中を歩むようになります。
 「あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。」(黙示録2:4-5)とイエス様は言われましたが、私たちが自分の思いに囚われて、イエス様の愛から離れ、御言葉を疎(おろそ)かにしたことで、肉に属する人となり、間違った教えに翻弄されるようになります。しかし、私たちが御言葉に従順になるなら、天からマナが降り、岩から水が出てくるのです。
 私たちが反キリストの人々のようにこの世の価値観に戻ろうとするなら、エジプトに帰ろうとする民と同じです。私たちは、自分の命をコントロールできるのですか。人生に起こる出来事をすべて把握できますか。自分の人生を計画通り歩めるのですか。どれほどキリストに根ざして、イエス様中心に歩まなければならないことでしょうか。イエス様にともに歩み、御言葉に聞き従うなら、人の教えに騙(だま)されることはありません。
 私たちの信仰はどこから始まりましたか。イエス様の十字架からです。私の罪の赦しと命の回復のために、御子イエス様が身代わりに苦しみ死なれた、このイエス様の救いの御業に私たちの信仰は根ざしています。コロサイ2:6-7。イエス様中心信仰生活です。ガラテヤ2:20。当時の人々が御言葉に根をおろして生きることができなくなった理由は、サタンが世の価値観や罪に誘い、神様中心から離そうとするのです。そして、自負心が人の知恵で福音を割り引き、人の知恵の下に御言葉をおくようにさせ、聖書を誤りない神様の御言葉という信仰から引き離すようにします。
 
V−神様との特別な関係、神様の油注ぎ−27-29
 イエス様を信じた時、私たちは「聖霊の油注ぎを受け」ました。27節。それで、私たちの心が神様とつながり、御霊の力と恵みを受けて、新しい命に生きることがでるようになりました。しかし、御霊を受けるのと受けながら生きるというのは違います。私たちは、新しく生まれ変わったにもかかわらず、御霊の原理で生きるのでなければ、肉に属する人となって、御言葉を疎かにし、「反キリスト」の状態で生きるようになるからです。自分が霊的にひどい状態にいるだけでなく、他の人を引きおろしてしまうのです。Tコリント3:3。キリストに根ざして、御言葉に聞き従って生きることが、イエス様によって生まれ変わった者の証しです。29節。
 私たちには、聖霊の油注ぎ、つまり、イエス様の御霊が注がれているので、聖霊が教えてくださいます。ヨハネ14:16,16:13。27節で言うことを、誰にも教えてもらわなくても全部自分で分かるなどと誤解しないでください。間違った人の教えや罪の価値観に騙されないようになるということです。御霊に祈って聞けば、御心にかなうことか、人の思いや罪になることかが分かります。私たちは色々迷い、戸惑いますが、自分の肉の思いに従うのではなく、御言葉に従い、御霊に聞くならば、分かります。肉の思いに従い続けるなら、迷いや葛藤は尽きません。御霊の内住する心は、神様の真理を聞けば、喜びます。沈滞していた心に力がわいて来ます。
 私たちがただ神様の御言葉だけ愛し、御言葉に生きて行くと、すべてのことを御言葉と祈りで解決していただくようになります。肉の自分は死んで、ただイエス様の中にある「小さい者」となります。イエス様の十字架を信じて与えられた永遠の命が私たちのうちにあふれるようになります。25節。それは、今世にあって、その新しい命に生きて行くことができるということです。艱難から守られ、滅びないということです。
 どんなによい人でも、継続的に御言葉を聞くのでなければ、霊的沈滞に陥ります。神様の臨在あふれる礼拝をささげるのでなければ、霊性は消え、ストレスがたまり、病気にもなります。神様の臨在と御言葉の養いの中で聖霊の油が注がれ、私たちの信仰が主に深く根ざすのです。28節。「キリストのうちにとどまっていなさい」と言うのは、イエス様の十字架の救いに立ち返り、御言葉によって生きなさいという意味です。しかし、多くの人々が、主の御言葉を無視して、自分の思いのまま考えて生活するなら、とどまることができず、キリストから滑り落ちます。私たちが、キリストに根ざして、素晴らしい信仰の生涯を歩むことを願います。コロサイ2:6-7。
 

Tヨハネ
2:18 小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。
2:19 彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょにとどまっていたことでしょう。しかし、そうなったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためなのです。
2:20 あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。
2:21 このように書いて来たのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからであり、また、偽りはすべて真理から出てはいないからです。
2:22 偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。
2:23 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。
2:24 あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。
2:25 それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。
2:26 私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。
2:27 あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。
2:28 そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現れるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。
2:29 もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行う者がみな神から生まれたこともわかるはずです。


Tコリント3:3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

ヘブル12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

黙示録2:4 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
2:5 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

コロサイ2:6 あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。
2:7 キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。

ガラテヤ2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

ヨハネ16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

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