2012年11月18日「神の子どもとされた恵み」Tヨハネ3:1-3
序−イエス様を信じたなら、罪赦されて、天国へ続く新しい命が与えられたということをクリスチャンは知っています。しかし、神の子どもとされたことと聖化されて行くということを忘れています。イエス様に出会って、神様の愛によって完全に変えられて、新しい人になりました。
T−神の子どもとしてくださった神様の愛−1
人はイエス様を信じたにもかかわらす、世的な条件を満たされないと、不平不満を持ちます。なぜ、神様は私を愛すると言いながら、願っているようにしてくれないのか、と文句を言うのです。しかし、信仰が成熟して行くと、神様の愛について知り、驚くようになります。1節。ここで、「どんなに素晴らしい愛をくださった」と言っています。想像もできないような愛だということです。それは、「神の子どもと呼ばれる」ということです。
考えてみてください。神様と人は、まったく違います。神様は、天地のすべてを造られたお方です。私たちは、その被造物の一つに過ぎません。神様と私たちの関係は、私たちと虫の関係のようです。私たちは、虫の幸福に関心を持ち、責任をはたそうとしますか。神様は私たちを救うために計画たてられました。神様は、私たちが世に生まれる前から私たちを知っておられ、私たちの名前を知っておられ、私たちがどんなに神様に反抗しようとも私たちを愛されました。エペソ1:4-5。
そして、私たちが神の子どもと呼ばれるために、私たちを救うために、神様は、大きな犠牲を払われました。神様は、私たちのために、最も愛されている御子イエス様を十字架に渡されたのです。御子イエス様が私の代わりに十字架に苦しみ死なれるということをもって、私たちの罪の代わりとされたのです。大変な犠牲です。それほどに私たちを愛されたのです。
さらには、神様は、私たちが知らないうちに私たちの人生の道をともに歩んでくださっておられます。私たちと同行しながら、罪に陥らないようにしてくださり、危機から守ってくださり、決定的瞬間に神様を覚えるようにしてくださいます。私たちを聖め、造り変えてくださるのです。
私たちが悟らなければならないことは、救われてクリスチャンとなったということは、自分が神の子どもという尊い存在になったということです。生きる意味が分からないで空しく生きて、欲をまっとうさせようと生きて来たとしても、イエス様を信じた時に、御子を犠牲にされるほど私を愛してくださったということを知って、私たちは驚きます。何の資格もないのに、私たちは神様の子どもとされたのです。
私たちにとって、神様を御父と呼べる身分になったことはとても素晴らしい感謝すべきことです。子とされたので、イエス様とともに神様の祝福を受けることができます。ローマ8:17。 神様の尊い配慮を受ける者となりました。ローマ8:29-35。子どもとして愛されているので、矯正も受けます。ヘブル12:6-11。どんな境遇に育ったとしても、私たちは神様を御父と呼び、その愛の中で生きることができるのです。
U−イエス様に似た者とされる恵み−2
もちろん、神様を知らない人々は、神様の愛された私たちの身分を知りません。イエス様を信じたことで、組み易しと、かえって私たちをあざけり、馬鹿にするかもしれません。それは、神様が私たちに神の子どもという驚くべき資格を与えられたということを世は知らないからです。
当時のクリスチャンの多くが奴隷身分だったようです。彼らが神の子どもとされたといっても、奴隷から解放されたわけではありません。しかし、内なる人は確実に変わります。神様の祝福を受けるようになります。かん難や誘惑から守られます。たとえかん難に出会ったとしても、神様により頼んで生きる訓練となります。世におられたときのイエス様の姿こそ、そういう生き方でした。生きて働く御言葉と聖霊の満たしが、クリスチャンを生かし、守ってくれます。神様の御言葉と聖霊の力によって神様の御心を成し遂げて行くのです。
神の子どもとされたので、相続財産を受けるというものすごい恵みを受ける者とされています。ローマ8:17。それは、私たちが今所有しているものや享受しているものだけではありません。私たちに与えられた最も大きな恵みは、イエス様のようになることです。2節。神様の子どもという身分だけでなく、「キリストに似た者となる」というのです。ローマ8:29。どれほど賛美すべきことでしょうか。私たちは、イエス様の十字架の救いを信じた時、罪赦され、義とされました。罪と滅びから解放され、新しい命をいただきました。そればかりか、その時から聖化の道を歩み始めたのです。エペソ4:23-24。私たちは、未来に対して恐れたり、不安に思ったりする必要はありません。神様が、私たちの御父となってくださったのですから。
神の子どもとされたということは、相続財産を受ける者となったということです。世の人々と同じように見えるかもしれません。いや、損を被りひどい目に会って惨めに思えることもあるでしょう。しかし、それらに比べものにならない恵みを受ける者となっているのです。御国の受け継ぐ者となったのです。エペソ4:11,14。私たちは、神の子どもという自尊心をもって、世のものを恐れてはなりません。イエス様が世にある時、苦難、誤解、非難、嘲りを受けられても、凛とされておられた姿に倣いましょう。
V−キリストに対して望みを持った者−3
神様に愛された者は、哀れみを受け、罪と滅びから解放され、神の子どもとされた恵みに生かされています。それは、イエス様の十字架の犠牲のゆえです。私たちの信仰の基は、イエス様です。ヘブル12:2。ですから、イエス様に望みをおきます。3節。主に望みをいだく者は、「キリストが聖くあられるように、自分を聖く」しなければなりません。イエス様に似た者となることが、聖化の歩みだからです。
神様の子どもとされたのですから、まず自分自身を聖くしなさいというのです。聖別とか聖めという言葉は、「神様のものとして聖め分けられる」という意味です。私たちのうちにある多くの世的な欲心、妬み、憎しみ、憤り、放蕩など肉の性質が聖くされることが、もっとも重要です。その理由は、世のけがれた肉の思いが、私たちのこの素晴らしい身分を見えなくさせているからです。神様の子どもとされた特権、恵みを知らず、親がいない子どものように、不安で愛されていない者のように歩んでしまうからです。不平不満な思いとなり、肉と欲のとりことなってしまいます。妬み、憎しみ、憤りなどの思いに翻弄されながら生きてしまうのです。
私たちは、世の何かを多く持つよりも、神様の祝福を持つことが優先しなければなりません。世の欲心や肉の思いを優先させるなら、祝福は受けられなくなります。私たちが聖くなって御言葉に深く根を張るなら、私たち自信が神様の恵みの通路となって、聖霊の力と恵みが人々に供給されるのです。重要なことは、自分自身を御言葉に照らして、聖くさせないものを捨てることです。肉のプライド、高慢、妬み、怒り、憎しみなどです。私たちがどんなに多くのものを得たとしても、聖くなれないなら、すべての働きは水泡に帰します。これから後、終わりが大切です。私たちは、優秀の美を飾って、信仰の生涯を全うしたいのです。聖化の道をしっかり歩み、霊的な造り変えを受けて行くのです。神様の導く生涯の中で今を見て、繰り返し悔い改め新しくされ、信仰の助言と建て上げを受け、御言葉に学び続けることが必要です。
長い間御言葉を聞いて学んだとしても、罪を犯すのは一瞬です。怒りや憤りも一瞬に生じます。古い自分は、イエス様の十字架に釘付けてもらって、新しい人とされて聖化の道を進まなくてはなりません。罪の誘惑にしばし耐えることができなくて、神様の子どもとしての栄光を失うなら、愚か者です。空しい自慢に騙されてはいけません。神様の御前に出て行かなければなりません。神様の恵みから離れてはなりません。
私たちは悲惨な空しい状態から救われました。今の自分の心、思いはどんな状態でしょうか。古い自分、肉に属する人となり易い者です。私は神様の子どもだ、という自覚、確信があるでしょうか。私たちに必要なことは、何か別のものに目を惹かれるのではなくて、イエス様に目を向けなければなりません。イエス様の尊い犠牲によって私たちは救われ、神の子どもとされたからです。霊的眠りから目覚めて、聖くされて、神の子どもとして栄光の中を歩む人生となりますように。
「御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったか。」まさに、神の子どもとされるということは、素晴らしい恵みです。子どもだから恵みを相続できます。神の子どもは、特権です。ヨハネ1:12。私たちがどんな親のもとで育とうが、どんな環境で育ってこようが、関係ありません。イエス様を信じたことで神様の子どもとされ、子どもとして愛され、子どもとして守られ、子どもとして祝福と恵みを受け、子どもとして御国へと導かれるのです。生い立ちの傷や親子関係の葛藤からも解放されます。御父なる神様に愛され、育まれ、守られ、導かれる神の子どもとして、聖化の道を歩んで行きましょう。コロサイ1:22,ヘブル12:14。
Tヨハネ
3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、──事実、いま私たちは神の子どもです──御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
3:3 キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
エペソ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
ローマ8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
ヘブル12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
ローマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
エペソ4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、
4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
Tペテロ1:2 父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。
コロサイ1:22 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。
ヘブル12:14 すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。