2012年12月30日「真偽を見分けなさい」Tヨハネ4:1-6
序−ときおり人々の耳目を引く、人々を混乱させる宗教事件が起こります。私たちの周りでも、信仰を揺さぶる様々な誘惑や攻撃があります。とりわけ、信仰でないものに引き寄せ、真理でないものを信じさせ、私たちの信仰を揺さぶり、救いの真理から引き離すようにさせるのです。真偽を見分けて、注意しなければなりません。
T−偽りの霊の働き−
「霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。」と言っています。1節。ここで言う「霊」とは、私たちの周囲にあらわれる宗教的現象のことです。宗教的な言動の背景のことです。当時、偽り者が、しるしや不思議なものを見せて、クリスチャンを惑わそうとしていました。マルコ13:22-23。急速に信仰が広がっていた初代教会の時代には、弟子たちが見回ることができず、そういう輩があらわれたのです。使徒たちの伝えた内容と違う教えをし、追従してしまう人々もあらわれました。教会が混乱していたのです。使徒20:29-30。
旧約聖書には、多くの偽りの預言者が登場します。悪い王様の時には、偽預言者が王様の耳にいいことばかり言います。そして、国を混乱に陥れます。それは、王が神の言葉を伝える預言者を迫害したり、排除したりするからです。T列王22:6-8。初代教会にも、肉の思いに合うことを言ってもらおうと、偽教師を集めることがありました。Uテモテ4:3-4。
私たちは、病気の癒しのために祈ります。そして、癒されたなら、神様が祈りの応えてくださったと感謝します。これは、健全な信仰です。しかし、私の祈りが効いた、私には癒しの賜物があるなどと主張するなら、これは健全な信仰ではありません。これは神様から出ているものではありません。クリスチャンが噂話や否定的なことを言うことで、惑わされ、霊的成長が妨げられることもあります。
きょうの箇所は、何かの現象があったとしても、耳にいいことを聞いたとしても、それが神様から出たものではないから、信じてはいけないと言っているのです。サタンが、偽りの教えをさせ、人々を誘惑していると警告しているのです。現代でも、病気を治せるとか、何年何月何日に世の終わりが来ると言って、人々に害を与えたり、混乱させるあやしい輩が後を絶ちません。
そのような現象には、偽りの霊の働きがあると指摘しています。悪霊の働きは、人々を幻惑させ、興奮させます。正しい教会生活や家庭生活をさせないで、権力や金銭に執着させたり、放縦させたりします。しかし、聖霊の働きは、平安です。私たちを節制させ、神様を高めるようにさせ、罪と高慢を悔い改めさせ、私たちに聖い感動を与えてくれます。
U−偽りを区別する基準−2-3
ですから、それを区別する基準を教えてくださいました。2-3節。神様は私たちに聖霊を与えてくださいました。しかし、世には悪い霊が活動しています。使徒ヨハネは、「ためしてみさない」つまり、テストをするように言っています。それは「イエス様を告白するか、しないか」です。イエス様の御名を信じるように命じているかが重要です。偽り者は、聖霊の働きでもないことを霊の働きと言い、御言葉と違うことを教えます。それらを教える人が必ずしも悪い人ということでないので、肉の心で聞くならば、正しいことのように、聖書の教えのように感じるかもしれません。ここが問題です。私たちも、惑わされる危険があります。
しかし、それは御言葉をそのまま伝えるのではなくて、自分の考えを優先して、肉の耳に聞こえのいいことを言うのです。「イエス様だったら、そうされるだろうか、イエス様はどう受け止められるだろうか。」と考えたら、その人の言うことが人の肉の思いから出たことだと分かります。聞いている自分も肉の思いで聞いていることに気付かされます。
その当時の人々には、こう尋ねてみることがテストになります。「イエス様を人として来られた神様の御子として信じていますか。イエス様が自分の身代わりに十字架にかかられたことを信じていますか。」もし、その人がこれを認めないなら、偽りだということになります。ギリシャ哲学の影響を受けていた当時、肉体を低くみて、神が肉体を取るなんてみすぼらしいと考える人がいたからです。神の御子イエス様が人となって来られたことを認めないなら、十字架の死からの復活もないことになり、私たちの信仰は空しいものとなります。Tコリント15:17-19。
宗教改革時代なら、「信じるだけで救いを受けるのですか。それとも宗教行為で救いを受けるのですか。」と尋ねてみることです。信じるだけで義とされる、と告白した者が真に信仰をもっている者です。これは、宗教改革者たちが、命をかけて回復させた「信仰義認」の信仰です。今日でも、行為を救いの要件のように考え、主張する人々がいます。それは、恵みの信仰ではなく、偽りの信仰、傲慢な思い込みと言えましょう。そして、私たちが本当にただ信仰によって救われたと信じるなら、その恵みに生きることにもなります。
複雑な現代なら、三つ尋ねてみるとよいでしょう。まず、「聖書を誤りなき神の言葉と信じますか。」ということです。現代哲学の影響を受けて、クリスチャンだと言っても、聖書を神の言葉と信じていない人々がいます。結局何を信じているのでしょう。自分の考え、肉の思いによっているのです。そこに聖霊の働きはありません。また、「イエス様の十字架による身代わりの死を信じますか。」と尋ねます。進化論的思考方式をもって考えるなら、十字架の贖いを信じません。
そして、他に重要な質問があります。「教会という信仰共同体を信じますか。」と確認することです。自分一人の悟りでいいというのは、聖霊から出ることではありません。教会は、イエス様が立てられたものであって、聖霊の働くところだからです。神様は、教会という共同体の中で私たちの信仰を守り、養ってくださいます。教会は、罪の治療をするたましいの病院です。罪の悔い改めがないなら、何のために教会があるのでしょう。
V−現れる現象−4-6
偽りの霊や偽りを教える人について学んで来ると、私は大丈夫か、偽りの教えに陥るのではないかと心配になるかもしれません。イエス様が言われました。「気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。」マタイ7:15。羊の皮を被った狼と言われる人は、人の耳に聞こえの良いことで、福音に変えてしまう人です。聖書の原理よりも、世の価値観へもっともらしく誘う人です。神様の御前での悔い改めより、それでいいよと言う人です。どんなにか肉の耳に聞き易いことでしょうか。そして、罪の話を持ち出しません。罪の話を人が嫌うからです。神様は愛だ、とだけ言います。しかし、神様は罪人を赦して下さる愛の神様です。
しかし、こう言われています。4-6節。使徒ヨハネの時代のように、宗教改革時代のように、真実に神様を信じているなら、私たちはイエス様にあって世に勝利しています。ヨハネ16:33。主に従っているなら、だまされることはありません。どんなにうまいことを言っても、それは世の言葉であり、世も彼らの言うことを聞くのです。本当にイエス様を信じて神様に属している者なら、御言葉の証しを聞きますが、偽りの霊に属しているなら、御言葉から出ることを聞きません。肉の思いに合わないからです。
イエス様は、その実で真偽を見分けることができると教えられました。マタイ7:16-18。羊のなりをしていれば、羊か狼か分かりません。何をみれば、分かるのでしょう。私たちは、枝や葉だけ見ても、どんな植物かよく分かりません。でも、実を見れば、何の木か確実に分かります。信仰も、心の中のことだが、木はその実をみれば分かるように、人の信仰も現れると言われたのです。言動がその人の為人(人となり)を示すようになります。蜜柑の木に林檎をつけても、蜜柑の木です。行動を変えても、人が変わるわけではありません。しかし、人の中身が変われば、行動も変わります。
イエス様は、人を救い、人が新しい命に生きるために、来られました。イエス様の救いによって、私たちのうちに新しい人が創造されるのです。ガラテヤ6:15。それを目指して行くのが、御言葉による造り変えです。古い人が十字架とともに死んで、私たちの中に新しい人が聖霊によって形成されて行くのです。聖霊によって、霊的品性が整えられるようになります。
人は、表では穏やかそうにしても、中ではものすごく我を張っているものです。しかし、御霊に砕かれるなら、我のままでいることができなくなります。神様の御心が示されるなら、自分が好きか嫌いかでなく、神様の御心だからするようになります。イエス様が喜ばれることをし、イエス様が嫌われることはしないのです。これが、「信仰の実」です。
しかし、人間的な配慮や熱心は、はじめは良く見えますが、長続きはしません。自分が気に入れば熱心にし、気に入らなければやめてしまうからです。人の心の中が、その人の言動となって現れるからです。マタイ15:18。実によって真偽を見分けることができます。
霊的成長は、イエス様に似た者となるまで続きます。聖霊の力が注がれ、茨が葡萄に変わります。木自体が変わって、実が実ります。日々古い自分に死んで新しい人として歩んで行く人が、神様の御国に入るのです。真偽を見分けながら、この道を歩みましょう。Uコリント4:16。
Tヨハネ
4:1 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
4:2 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。
4:3 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
4:4 子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。
4:5 彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。
4:6 私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。
マルコ13:22 にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。
13:23 だから、気をつけていなさい。わたしは、何もかも前もって話しました。
使徒20:29 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
20:30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。
マタイ7:15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
Uテモテ4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、
4:4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。
マタイ7:16 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
7:17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
7:18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
マタイ15:18 しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。
Uコリント4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。