2016年5月1日「あなたがたの愛を示して」Uコリント8:16〜24
序−日本の配達サービスは、世界では稀有なものだといわれています。日本で当たり前のことでも、世界ではそうでないようです。それでも、ときおり配達に関して、問題が起こることがあります。そんな配達に関して、信仰で取り組んだ例から大切な姿を学ぶことにしましょう。
T−推薦される人々−16〜17,18〜19,22
パウロは、エルサレムへの支援金を配達業者に依頼していません。献金をエルサレムへ持って行く人たちを推薦しています。しかし、彼らは、配達人でなく、パウロのような宣教師、牧会者たちでした。どうして、そのような人に運んでもらうようにしているのでしょう。このことを単に送金問題としてではなく、信仰の問題として取り扱っているからです。
まず、テトスを推薦しています。16〜17節。テトスの特徴は、熱心です。ただ静かに座っているのではなく、すでに問題を見つけては助けてあげるような熱心です。私たちが誰かに深く関心を寄せるとするなら、何か助けてあげたいと思うでしょう。テトスは、コリント教会の必要を知っていて、それを満たしてあげる準備をするような人でした。事実、テトスは、努力と洞察力をもって、コリント教会とパウロの関係回復に重要な役割を果たした人でした。関係が壊れても、別段憂うつにならないで受け止める人でした。コリント教会の重要性をよく知っており、そのもろさを知っている人でした。それで、コリントのために献身的に働きました。そんなテトスが、エルサレム教会へ献金を運ぶ適任者と推薦されたのです。
もう一人推薦されています。18〜19節。コリント教会には知られていなかった人のようです。しかし、この人は、福音宣教の働きでは他の多くの教会で称賛されていた人でした。諸教会の信頼を受けて、このエルサレム支援プロジェクトに携わっていた人として推薦されたようです。内容が分かっている人として、必要な説明をし、質問に答えることができる人として送られます。
さらにもう一人推薦されています。22節。この人は、有名な人ではないようです。しかし、パウロは、彼の熱心さを色々なことを通して確認して、保証しています。多くの事例を体験してみた結果、熱心に勤勉に事にあたる人だと分かったからというのです。この人自身、コリント教会の聖徒たちに対しても、深い関心と信頼を寄せ、コリントのために熱心になっている人です。この人たちに共通していることは、いずれも信仰の人であり、働きにおいては、熱心で勤勉だということです。強調されているのは、徹底して信仰の目でする人たちであったことです。
U−主の御前ばかりでなく、人の前でも−19〜21
どうして、このような人たちを推薦しているのでしょうか。20〜21節。コリント教会で支援金の取り扱いについて、「だれからも非難されることがないように」するためです。お金のことでは、人は失敗しやすく、間違いを犯し易いからです。誤解や憶測を引き起こすことがあるからです。そういうことにサタンが働き、私たちを間違いや争いへ誘います。サタンは、人を誤解させ、非難させようとするのです。
当時のコリント教会では、派閥争いや噂話による混乱、妬みやプライドのぶつかり合いなどという肉の思いで翻弄されていました。すでに、支援プロジェクトは中断されていました。支援金に関して、さらなる問題が生じることが予想されました。人が悪く取ろうとしたら、いくらでも批判する材料が出て来ます。勝手に誤解もします。
有名な貿易港、商人の町であったコリント、当然そこにいる聖徒たちも、お金に関してはうるさい、詳しい人たちでしょう。ただ、霊的な観点が足りなかったので、そのバランスが取れていませんでした。ですから、取り扱いをしっかりしなければ、それに関して騒ぐことになります。
私たちは、物事について、自分は気にしないからいいんじゃないの、と考えるけれども、誤解する素地を与えないことが重要です。相手に誤解する素地を与えるならば、自分自身にそのような意図が無くても、サタンに非難材料を与えたことになります。そのためには、複数の人を送り、公開しました。いつも何かに付けて文句を言い、批判する人がいます。あまり聞くのは嫌ですが、それを否定的に考える必要はありません。それをもって対処するなら、サタンの試みを防ぐことができます。
そのために大事なことは、「主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考える」ということです。私たちにとって、主に対することは、信仰をもって誠実にしなければならないと考えますが、世の中の様々なことでも、誠実にしようとすることが必要だということです。支援の働きでも、会社や家庭での仕事でも、主の御前に信仰をもってするような心と同じ思いが必要だということです。
人の評価だけ考えて、主の御前にして行くことを考えないのは残念な姿ですが、主のことは考えるのに、人の躓きや思いに無頓着なのも困ります。もちろん、世で人から誤解され、理解されなくても、主はご存知だという信仰は大切です。しかし、人の躓きや誤解も忘れてはならないでしょう。すべてのことを主に対してするならば、人の前にすることでも、信仰をもって公明正大に、誤解や非難を受けないように努めるようになります。
主に対するようにと言われているのですから、支援金というお金に関してばかりでなく、すべてのことにおいて、公明正大に、誤解や非難を受けないようにすることも大切です。職場や家庭の仕事においても、その思いがあれば、随分違って来るのではないでしょうか。すべてのことを信仰の目で見て、すべてのことを主に対してするのです。コロサイ3:22〜23。そうする時、支援も奉仕も、仕事もすべてのことが主に導かれ、主の祝福を受けるでしょう。支援は、他の人をあわれむということではなくて、神様の愛を受け渡すことでした。神様の愛を代わりに表現することです。
V−「愛と誇りの証拠」を示して−23〜24
パウロは、彼らを受け止めるコリント教会に対しても、彼らを「パウロの同労者、諸教会の使者、キリストの栄光」として受け止めるように言っています。23節。ぞんざいに待遇しないようにということです。こんなに気を使って、素晴らしい信仰の働き人を送っても、受け入れる方で、配達人とか雇い人のように扱っては、意味がありません。プライドや権勢の価値観の中にいる人たちは、ややもすると謙遜に振舞う人や黙々と仕える人を見くびり、ぞんざいに扱いがちです。それでは、受けるものを受けられません。とりわけ、霊的なものを受けることができなくなってしまいます。プライドが強く、妬みや党派心で問題を起こしていたコリントの人たちには、その危険があったからです。3人の使者に対して暖かいもてなしをアピールしています。コリント教会の聖徒たちが、彼らに協力して、支援金の整理や管理ができるようにしてくださいと頼んでいます。
そして、「あなたがたの愛と、私たちがあなたがたを誇りとしている証拠とを彼らに示してほしい」と頼んでいます。3人の使者に共通していることは、彼らの関心が、コリント教会、聖徒たちに向けられていたということです。16節の「熱心」は、「関心」とも訳されています。ですから、コリントの人たちも、3人の使者に関心をもって、愛を示してほしいと頼んでいます。パウロがコリントの聖徒たちを誇りとしているその証拠を、彼らに示してほしいと願っています。
愛を示すというのは、関心を向けるということです。パウロも使者たちも、コリントの聖徒たちへの熱心、関心がありました。16節。愛の元はイエス様の救いという愛です。どんなに愛されて、救われた者であるかを思い出し、確認する必要があります。ヨハネ3:16。そのための聖餐式です。救いの恵みから私たちの愛は出て来ます。人に関心を向けるのです。
人の思いが内向きになると、私はこんなだ、私はこのようにされた、人も問題も私の思うようにならない、ということばかり考えてしまいます。不満や文句、空しさばかり感じて来ます。反対に、自分の思いが外向きになると、人に思いを向け、人の問題や状態に関心を持ち、人を助け、人をもてなすことに動きます。自分も心満たされ、喜びや感謝が与えられます。
みなさんの愛と誇りとされている証拠を、家族や職場の人々、周りの人の前で示してほしいと願います。自分のことでいっぱいになると、心がギスギスして、空しくなります。人の言動につまずき、気に入らないことばかりになります。愛を示すというのは、関心を向けるということです。私を愛せ、私を満足させる言動をしろ、私に関心を向けろというのでは、奪う愛、エロスの愛になってしまいます。
私たちには、友達、親子などの相互の愛、フィレオーの愛があります。でも、何かのことで片方の愛がストップしてしまうと、相互の愛は成り立たなくなります。だから、イエス様の十字架の救いにあらわされた神様の一方的な愛、アガペーの愛が必要なのです。
イエス様に救われて、神の愛を受けているならば、受けたその愛を周りの人たちに受け渡すことができます。その愛に押し出されて、人に関心を向けて、仕えて行きます。そうすると、私たちも満たされて来ます。神様から愛をもっと受けられるようになります。そして、他の人からも愛を受けるようになります。まず、イエス様の愛をしっかり受けて、周りの人に関心を持ち、愛を示して行くのです。Tヨハネ4:11〜12。
Uコリント8:16 私があなたがたのことを思うのと同じ熱心を、テトスの心にも与えてくださった神に感謝します。
8:17 彼は私の勧めを受け入れ、非常な熱意をもって、自分から進んであなたがたのところに行こうとしています。
8:18 また私たちは、テトスといっしょに、ひとりの兄弟を送ります。この人は、福音の働きによって、すべての教会で称賛されていますが、
8:19 そればかりでなく、彼は、この恵みのわざに携わっている私たちに同伴するよう諸教会の任命を受けたのです。私たちがこの働きをしているのは、主ご自身の栄光のため、また、私たちの誠意を示すためにほかなりません。
8:20 私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています。
8:21 それは、主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです。
8:22 また、彼らといっしょに、もうひとりの兄弟を送ります。私たちはこの兄弟が多くのことについて熱心であることを、しばしば認めることができました。彼は今、あなたがたに深い信頼を寄せ、ますます熱心になっています。
8:23 テトスについて言えば、彼は私の仲間で、あなたがたの間での私の同労者です。兄弟たちについて言えば、彼らは諸教会の使者、キリストの栄光です。
8:24 ですから、あなたがたの愛と、私たちがあなたがたを誇りとしている証拠とを、諸教会の前で、彼らに示してほしいのです。
ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
コロサイ3:22 奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。
3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
Tヨハネ4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
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