2016年5月8日「準備する必要」Uコリント9:1〜7
序−連休中、旅行や訪問をされたでしょう。旅行される時どんなものを準備されたでしょうか。客を迎える時、掃除してお茶や菓子を準備されるでしょう。準備をしないでしたら、どうでしょう。エルサレム支援金の話しから、準備について聖書から学びます。
T−熱心に仕え始めた−1〜2
パウロは、支援金についてコリントに書くのは必要でないと言います。1〜2節。ここで、エルサレムの聖徒たちを助けることを「聖徒たちのための奉仕」と言っています。すでに神様から福音という救いの恵みを受けたのですから、支援は、お返しをすることにもなります。情けは人のためならず、という格言があるように、人を助ける働きをやってあげるという思いではなく、奉仕なのだという思いが大切なのですね。
なぜ、支援金についてコリントの聖徒たちに書き送るのは余計なことだ、と考えたのでしょうか。当時、ギリシャ南部のアカヤ州の中心都市がコリントでした。つまり、コリントの聖徒たちが、困難の中にあるエルサレムの聖徒たちの支援を、一年も前に始めていたというのです。パウロは、すでに彼らが支援の準備をしていたことを知って、それをマケドニアの諸教会に自慢していました。そして、コリントの支援プロジェクトは、知らされた人々への刺激となり、マケドニア諸教会のエルサレム支援への思いを掻き立てたようです。なぜ、コリントはいち早く始めたのでしょうか。
これは、彼らの意識が変わり始めたしるしです。お客さん意識と当事者意識という言葉があります。お客さん意識というのは、自分がその対象のお客だという意識です。客は、その対象から何かのサービスを受けるという意識です。その時、何らかの不満を覚えると、被害者意識を持つようになります。問題を解決する責任も解決すべき思いも持ちません。当事者意識は、その対象のいいことを増やしたり、マイナスの影響を減らしたりする責任を覚え、携わろうとすることです。
異邦人クリスチャンとして、お客さん意識だったコリントの聖徒たちが、エルサレム支援をきっかけに当事者意識に変わり始めたのです。クリスチャンが、イエス様の十字架という一方的な愛とあわれみによって救われているので、どうしてもはじめはお客さん意識になりがちです。しかし、イエス様は、ご自身が仕える者の姿を取られたように、救われた者も仕えられる者から仕える者へ変わるように促されました。マルコ10:43〜45。
いち早くエルサレム支援を始めた時、コリントの聖徒たちは、神の国のお客さんから神の国の住人になったのです。今日も、救われてクリスチャンとなったなら、神の国の住民となったのだという意識が重要です。勝手に来たお客さん意識であったなら、神の民として生きることができません。エルサレムを助けることは、コリントの聖徒たちにとって、神の国の住民として堂々と役立つことができる絶好の機会となったのです。受けることだけを考えていては、所属感を感じることはできません。何か私にもできることをするというのが、神の国の民となる絶好の機会なのです。
私たちは、神の国の民として、イエス様の家族として、教会や社会でどんなことができるでしょうか。どんなチャンスがあるでしょうか。忠実に働くことや証しの生活もそうでしょう。それぞれの環境と賜物で、用いられ方も違うでしょうが、住民意識と当事者意識を持って臨みましょう。
U−前もって用意して−3〜5
なぜエルサレム支援について書き送る必要はないと言いながら、こうして書いているのでしょうか。3〜4節。3人の使者がコリントへ到着した時、大慌てして支援金を集めることがないためです。3〜4節。支援の準備をしてもらうためです。困難は突然訪れます。誰かが困難に出会ったことを知ってあわてて助けようとしても、その状況が終わってしまうことがあります。災害が起こった後、教訓を生かそうと言われながら、準備がされないまま次の災害が起こります。
パウロは、使者たちがコリントに到着する前に、コリントの聖徒たちが支援金を準備することを願いました。1年前にすでに支援金を集めることが始まっていたはずです。でも、完了していたわけではありません。それは、中断されていたのです。Uコリント8:10〜11。使者たちが、コリントに対して熱心で、信頼していたことが強調されていましたが、すでにコリントではエルサレム支援プロジェクトが始まっていると、パウロがマケドニアで自慢していたからです。もし、そこへ使者たちが到着して、支援金集めが中断されている、集まっていないということを知るなら、あの自慢は何だったのかと使者たちはがっかりし、コリントの聖徒たちは恥をかくことになります。パウロが自慢したことも恥をかくことになります。
プライドの高いコリント人には屈辱を感じるでしょう。そうなったら、彼らはあわてふためいて、内心惜しみながら支援することはするでしょう。5節。この時大事なことは、進んで、喜んで支援することです。もし、いやいやながら、惜しみながらすることになれば、それは、支援の重要な目的を無にすることになります。支援は物心両面、心の支援も一緒だからです。進んで、喜んでできるためには、準備が必要なのです。
私たちが何かをしようとする時、それなりの準備が必要です。どんな試験にも準備が必要です。資格を得ようとするなら、相当な準備期間が必要です。車を持つなら保険に加入して、事故の備えが必要です。事故に遭ってからでは、遅いのです。確かに、「重要なことは、神様の御心であり、神様の時間だ。神様は私たちに必要なすべてのことを満たしてくださる」と告白することができます。だから準備しないのではなく、だから感謝して、信頼して準備するのです。「天は自ら助くる者を助く」ということわざは、英語では、「神は自ら…」とも言われます。
人は計画を立てるのは好きですが、実行までには行かないことが多いです。計画が実行できない時は、アクション・トリガー(行動の引き金)を設けるといわれます。私たちにとっては、それは神様への約束、御言葉に触れることでしょうか。私たちは、強制されてではなく、主の恵みと愛に促されて、実行したいものです。計画したら、準備が必要です。
私たちがすべてのことについて準備が必要な理由は、主の再臨に関係しています。主の日は盗人のように来ると聖書は教えています。Tテサロニケ5:2〜3。盗賊はいつ来るか分かりません。「平和だ。安全だ」と言っているそのような時です。私たちは、いつでも主が呼ばれるならば、すべてを置いて従う準備がされていなければなりません。ですから、いつも召される準備をして、生きて行くのです。これが、私たちの究極的な準備です。そこから、様々なことについて備えることになります。
罪や肉の思いになっていると、助けを必要としている困難が目に入りません。信仰で人を助けることを心がけ、準備しているならば、助けが必要なことに気付き、いざという時助けることができます。仕事においても、家庭においても、私たちは、先の心配をするのでなくて、信仰をもって先の準備するのです。技能や能力を身に付ける用意、家庭を築く準備、変化して行く仕事への備え、大人になる準備、年老いていく備え、関係を築いて行く用意、私たちは、今どんな準備をする必要があるでしょうか。
V−豊かに蒔く者−6〜7
準備をして行くなら、人生の実りがあります。6〜7節。種を蒔かなければ、収穫を得ることはできません。準備があってこそ、祝福と導きが与えられます。収穫が蒔いた種の量に比例するのは、農業では当たり前のことです。この原理は、聖書では、人を助け、仕える態度にも適用されています。箴言11:24〜25。
なぜ、困窮するエルサレムの聖徒のために支援することが、種を蒔くことになるのでしょうか。豊かに蒔く農夫が多くの収穫を得るように、人に心を向け、助け、与えることは、与えた人に祝福の報いがあるからです。農業の原理を知らない人にとっては、種を捨てているかのように思うでしょう。しかし、種を地に捨てる、蒔くことで、豊かな収穫となります。人を助けるならば、自分も恵まれ、やがて自分も助けられるのです。
持っていた種を惜しんで少ししか蒔かないのであれば、少ししか収穫はありません。内向きになって自分のことばかり考えて、人を気遣うことを惜しむならば、自分の不満や空しさは増すばかりです。イエス様の十字架に救われ、御言葉に養われていることを感謝し、その恵みと愛に押し出されて、人に心を向け、仕えて行くならば、多くの恵みを受けることになります。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
主のためにお金も賜物も時間も用いるなら、神様が私たちを豊かに祝福してくださいます。私たちは、すべてのことを主に対してするようにして行くならば、それが備えとなり、神様が導いてくださいます。エペソ2:10。私たちがそれぞれのことについて、信仰をもって準備して行くなら、用意する力も与えてくださいます。Tペテロ4:11。
天の御国への備えについて、イエス様が例えをもって話をされました。マタイ25:1〜13。例え話での油を用意することを通して、準備する必要が強調されています。天の御国へ備えていますか。未来に備えて、小さなことから準備して、人生に良い基礎を築いて生きたいものです。Tテモテ6:18〜19。御言葉と祈りと黙想をもって、備えましょう。
Uコリント9:1 聖徒たちのためのこの奉仕については、いまさら、あなたがたに書き送る必要はないでしょう。
9:2 私はあなたがたの熱意を知り、それについて、あなたがたのことをマケドニヤの人々に誇って、アカヤでは昨年から準備が進められていると言ったのです。こうして、あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させました。
9:3 私が兄弟たちを送ることにしたのは、この場合、私たちがあなたがたについて誇ったことがむだにならず、私が言っていたとおりに準備していてもらうためです。
9:4 そうでないと、もしマケドニヤの人が私といっしょに行って、準備ができていないのを見たら、あなたがたはもちろんですが、私たちも、このことを確信していただけに、恥をかくことになるでしょう。
9:5 そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。
9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。
9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
マルコ10:43 しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
10:45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
Uコリント8:10 この献金のことについて、私の意見を述べましょう。それはあなたがたの益になることだからです。あなたがたは、このことを昨年から、他に先んじて行っただけでなく、このことを他に先んじて願った人たちです。
8:11 ですから、今、それをし遂げなさい。喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それをし遂げることができるはずです。
Tテサロニケ5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
5:3 人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
箴言11:24 ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。
11:25 おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。
箴言19:17 寄るべのない者に施しをするのは、【主】に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。
エペソ2:10 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。
Tペテロ4:11 語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。
Tテモテ6:18 また、人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。
6:19 また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。
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