2016年6月5日「分量を越えて誇らない」Uコリント10:7〜18
序−ビジネスにおいて、プライドの高い人と仕事をすると嫌になるが、自分に誇りを持っている人とは働きづらいということはないと言われるそうです。どんな違いがあるのでしょう。私たちも、人間関係において出会っている問題だと思います。パウロと反対者の姿から学びます。
T−うわべで否定する人々−7〜11
きょうの内容の背景には、パウロは使徒ではないと批判する人々がいたということがあります。7〜8節。パウロは、確かに12使徒の一人ではありませんが、ダマスコ途上でイエス様に出会って、異邦人への使徒として召された人です。使徒9:15。そのことをもって、イエス様を見たことのあるユダヤ人がコリントに来て、自分たちは本当のキリストの弟子だ、パウロは偽物だと騒いでいたというのです。
パウロを批判する人々は、パウロの「うわべを見て」悪く言っていました。7節。後世のパウロの記録によると、背は普通で、髪の毛がなくて、足は曲がって膝が広がっており、二つの眉毛は切れ目がなく、目は大きく、鼻も大きくて長かったと表現されています。
しかし、パウロの言う「うわべ」とは単純な容貌のことをではなく、外的な条件を言っています。12弟子に属してはいなかった、イエス様を見ていないというのが、外的条件です。それなら、イエス様を見た、イエス様と一緒にいたとして、使徒になるのでしょうか。使徒とは、イエス様がくださった使命です。ところが、ユダヤから来たある人々が、自分はイエス様から教えを聞いたけれども、パウロはそうじゃないから使徒ではないと主張していたのです。
反対者たちがこのように主張したのは、自分の優越感のためです。自分たちは、イエス様を見たという理由で本当の弟子だと主張し、パウロをけなして、自分たちを誇ったのです。もし、同じようにあなたを悪く言い、けなす人がいたとしたら、その人自身のプライドのためにそうしているのです。健全に自分に誇りを持っている人なら、むやみに人をけなしたりしません。足りないのなら助けようとし、失敗したら励まします。
ユダヤから来た人々は、パウロを嘲りながら、コリントの聖徒たちを扇動しようとしました。9〜11節。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」とあざけっていました。コリントの人たちの間違いを指摘するパウロの手紙は、彼らの心には痛かったようです。そこに付け入って、このような批判をしたのです。批判や嘲りなどの噂話に流されてはなりません。会った場合の彼は弱々しくとは、パウロが彼らと一緒にいる時の柔和さから来ています。私たちは強がる必要はありません。柔和でいいのです。
私たちは、どんな批判や侮りを受けているでしょうか。うわべだけ見て、外的な条件であざけられ、さげすまれることが多いでしょう。しかし、私たちは、神様に愛された者です。イエス様が身代わりになってくれた尊い存在です。イエス様の十字架によって罪赦された者です。イエス様もののしられましたが、ののしり返すことはしませんでした。Tペテロ2:21〜23。ののしり返して溜飲を下げようなんてことは、愚かなことです。
U−自分を誇る人々−12〜13
パウロをこれほどに侮辱し、権威を否定するのには、彼ら自身の都合がありました。人は、しばしば自分を主張し、自分を誇るものです。ユダヤから来た人々は、自分自身を自慢し、称賛しました。自分たちが最も真理を知っており、最高だと騒ぎ立てました。12節。そのような人の主張はでたらめであり、自画自賛しますが、その大部分は内容のないものでした。自分を引き上げるために、自分が偉ぶるために、パウロを引き下げなければならなかったのです。
なぜ人は自分を自慢したり、自分を称賛したりして、自分を大きく見せようとするのでしょうか。自分にありのままの自分に誇りがないからです。自分に自信がないからです。自分を愛していますか。自分を受け入れていますか。私たちは、神様に愛されている者として神の前に自分を受け入れる必要があります。イザヤ43:4。そして、必要な精進をして行けばいいのです。主に導かれたことに必要なことがあれば、その必要な力も賜物も神様が与えてくださいます。
そのように自慢したり、パウロと張り合ったりする人々に対して、こう言っています。13節。パウロは、少しは自分を自慢するのもいいけれども、反対者のように偽って自分を主張するのはいけないと言っています。13節の「限度を越えて」「量って」「限度内で」と12節の「量ったり」には、「尺度、分量、ものさし」という意味の同種の言葉が使われています。自分の「分量」以上に自慢してはいけないというのです。私たちには、神様からそれぞれ賜物が与えられています。社会に仕え、人を助けるために用いるように委ねられています。Tコリント12:11,25。有名なタラントの教えにも、「おのおのその能力に応じて」違う分量のタラントを与えられています。マタイ25:15。それぞれ与えられている分量があるのです。誇れるとしても、自分だけの誇りです。人に対して誇るべきではありません。ガラテヤ6:4〜5。
それなのに、様々な人間関係を見ると、自慢したり、比べたり、妬んだりしています。私たちは、どうでしょうか。パウロは、自分を推薦したり、自分を分量以上に自慢したりするような人々と張り合ったり、比べたりするつもりはないといって皮肉っています。知恵のないことだというのは、愚かなことだということです。私たちの取るべき対応もこれです。人の賜物はそれぞれに応じて神様から与えられたものです。自分の与えられているものを感謝して、精一杯用いればいいのです。
実際の人間関係の問題を見てみると、ここに問題の所在があります。パウロの反対者たちが自己推薦するしかないのは、自分のものさししかないからです。自分と比べることが基準となっているからです。つまり、彼らは、間違ったものさしで量っていたのです。
しかし、イエス様こそ私たちのものさしであり、尺度です。イエス様を基準として自分を量るとき、高ぶりの気持ちなど入って来る余地はありません。分量を越えて誇ったりするのは、何の名誉にもなりません。主から与えられた賜物と働きの領域を忠実になして行くことが大切です。社会人であれ、主婦であれ、学生であれ、自分の分限を自分の賜物で担って行くことが肝心です。私たちが求めるべきは、人の称賛でもなく自画自賛でもなく、「よくやった」と言ってくださるイエス様のお言葉です。マタイ25:21,23。
V−自分の領域をしっかり−14〜18
パウロは、福音を伝えることにおいて、まだ誰も伝えていないところに伝えることを異邦人宣教師としての使命の領域だとしていました。ローマ15:18〜21。ところが、パウロを批判する人々は、自分の領域を越えてコリントまで来たと主張していました。14〜16節。イエス様は、明らかにパウロを異邦人への使徒とされました。パウロたちは、アンテオケ教会から派遣され、使徒たちの承認も受けています。ガラテヤ2:7〜9。それを知らない人々が、ユダヤからやって来て、自分の領域を越えて、自分勝手にコリントまで来たと非難しました。勿論、そうではありません。
コリント教会で、反対者たちが自分たちの勢力拡大のために、そのような嘘を言っていたのです。人は、自分が評価を受けようと、自分を自慢しようとする時、誰かをおとしめるのです。コリントで自分たちが権威を持つために、パウロを批判し、嘘を言ってパウロをおとしめたのです。
もし、自分より優れた地位にいる人が、自分の今までの働きを非難し、無視するとしたら、どうしますか。何も言えなくて、ただ従いますか。それとも、自分の領域を明らかにして、自分の領域ですることができることはして、自分の領域を守ろうとしますか。パウロは、批判に萎縮することなく、自分の領域を守って行きました。パウロのすべてを決定するのは、外的な条件ではなく、主の召しであり、導きでした。
それでも、パウロは、コリントが自分の正当に委ねられた領域だと主張するだけでなく、そこに留まるつもりはないと言っています。使徒19:21。ここでも、反対者たちと「同列に置いたり、比較したりしよう」としていません。相手にしていないということです。パウロの究極的な目標は、ローマです。ローマまで行くことが、主の御心だとしています。
15,16節の「領域」と同じ言葉が、13節の「神が割り当ててくださった限度内」の「内」にも使われています。つまり、主が割り当ててくださった領域が、一人一人にあるということです。それによって、パウロは異邦人宣教の働きをし、コリントで宣教し、ローマまで行こうとしているというのです。まったく反対者に揺さぶられていません。
あなたの割り当てられた領域は何ですか。あなたの最終目標は何ですか。今どこに座り込んでいますか。今どんな反対に出会っていますか。乗り越えなければならない領域は何ですか。主があなたに正当に下さった領域はどこまでですか。回復しなければならない領域はどこまでですか。そのために真心から主に願い、祈りましょう。私たちは、自分を自慢したり、推薦する必要はありません。17〜18節。主に推薦されることこそ、私たちの願うところです。私たちが自慢するとすれば、私を救い、私を導き、私を用いてくださる主を自慢しましょう。
Uコリント10:7 あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。
10:8 あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。
10:9 私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません。
10:10 彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」
10:11 そういう人はよく承知しておきなさい。離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです。
10:12 私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。
10:13 私たちは、限度を越えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです。
10:14 私たちは、あなたがたのところまでは行かないのに無理に手を伸ばしているのではありません。事実、私たちは、キリストの福音を携えてあなたがたのところにまで行ったのです。
10:15 私たちは、自分の限度を越えてほかの人の働きを誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたによって、私たちの領域内で私たちの働きが広げられることを望んでいます。
10:16 それは、私たちがあなたがたの向こうの地域にまで福音を宣べ伝えるためであって、決して他の人の領域でなされた働きを誇るためではないのです。
10:17 誇る者は、主を誇りなさい。
10:18 自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。
使徒9:15 しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。
Tペテロ2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
イザヤ3:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
Tコリント12:11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
ガラテヤ2:9 そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。それは、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人々のところへ行くためです。
ローマ15:18 私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行いにより、
15:19 また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。
15:20 このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。
15:21 それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」
使徒19:21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。
ローマ15:28 それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。
ガラテヤ6:4 おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。
6:5 人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。
ガラテヤ2:7 それどころか、ペテロが割礼を受けた者への福音をゆだねられているように、私が割礼を受けない者への福音をゆだねられていることを理解してくれました。
2:8 ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
2:9 そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。それは、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人々のところへ行くためです。
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