2016年6月19日「欺きの中で真実を」Uコリント11:10〜20
序−人間関係の難しい現代、そのために、自分を装い、自分を偽って付き合うという人々がいるそうです。また、人を欺くために故意に違う自分を演じる人々もいます。自分が分からない、どう振舞えばいいか分からないという声もあります。私たち自身はどうでしょうか。
T−私にあるキリストの真実−10〜12
良く言われ、評価されれば気持ちはいいのですが、悪く言われ、評価されないということがあれば、私たちはどうなるでしょうか。怒ったり、悲しんだりするでしょうか。敵対者や誤解する者から悪く言われていたパウロは、自分をどう見ていたのでしょうか。10〜11節。キリストの真理は、他のところにあるのでなく、私のところにあると言っています。どうしてこのように大胆に言うことができるのでしょうか。
パウロは、主が異邦人の救いのために自分を召しだし、真理を委ねられたと確信しているからです。アカヤ地方というのは、コリントのあるギリシャの南部の地域のことで、コリントでということです。この地域の人々がパウロを通して福音を聞いて救いを受けたということは、誰もこれを否定できないことです。パウロはユダヤ人としての律法や学問を知っているだけでなく、ギリシャ文化の中で育ち、異邦人と同じ文化や学問を身に付けていました。他の弟子たちは、その民族性のため、はじめは異邦人を受け入れることが中々できませんでした。そのために、パウロが異邦人として選ばれ、真理を委ねられたのです。
パウロは、この主からの召しと主から真理を委ねられている確信を持って、その誇りを持って働いていたのです。誰でも、私はこの働きに召され、ここに主から遣わされているという確信と霊的誇りを持つ必要があります。たとえ自分が選んだ立場や環境であっても、たとえたまたまそこにいるように見えても、今は信仰にあってここに導かれているのだな、主からこの働きを委ねられているのだなと思うことが大事です。そこに霊的な誇りを持つことも良いことです。
パウロは、反対者からその立場や働きを否定されました。惑わしを受けた聖徒たちからも誤解されました。彼らに認められることで生きて、働こうとしたのであれば、到底働くことも、しっかり生きることもできなかったでしょう。私は、御言葉の真理によって生きているのだ、私の証しするのは、救いの真理だという自負を持っていたのです。こういう態度でいれば、いつまでも反対者がパウロを攻撃することはできません。12節。パウロが「神はご存知です」という確信に立つ限り、揺さぶられません。
イエス様を信じた者には、聖霊の油注ぎがあります。Tヨハネ2:27。御霊に満たされているなら、真理がちゃんと分かるというのです。今は誤解されていても、必ず分かるようになるというのが、パウロの信仰的な受け止め方でした。何よりも、「神様はご存知です」という信仰が大切です。コリントの人たちに誤解されている、反対者からは悪く言われている、人々から認められていないということばかり考えていると、サタンに騙されます。私たちもそうです。人がどうだとしても、神様は私を知っておられるということが何よりの確かさです。ただし、自分勝手な考えを神様の御心だと言うのはいけません。どこまでも御言葉の真理に基礎を置いて、自分の肉の思いや人の勝手な評価を基礎に置いてはいけないということです。
U−人を欺く変装−13〜15
パウロを悪く言い、聖徒たちを騙してパウロを誤解させる反対者たちを何と言われていますか。13節。にせ使徒だと言われています。彼らは、人を欺く偽者だと言うのです。パウロが彼らをそう言っているのは、自分と対立しているからではありません。彼らの倫理的問題のために、偽物と断罪しているわけではありません。最も重要なのは、彼らがコリントの聖徒たちをイエス様から引き離そうとしていることが、偽物の証拠だということです。イエス・キリストただお一人の方が救い主であり、イエス様の中にすべての真理があります。使徒だ弟子だと自慢しながら、イエス様からコリントの聖徒達を離そうとしているのは、偽者です。
ですから、反対者たちは、変装していると言われています。14〜16節。キリストの使徒に変装しているだけでなく、光の御使いにも、義のしもべにも変装していると言うのです。サタンが変装しているのです。エデンの園でも、蛇に変装してエバを惑わしました。その惑わしとは、人が神のようになって、神様の助けなしで生きて行けると騙したことです。人が偉大であることができるのは、徹底して神様に従うときです。ところが、サタンは、人は神様なしでも偉大になれると騙すのです。
コリント教会に入って来たにせ使徒たちの主張も、そのようなものでした。サタンは、どのように私たちを騙しますか。光の御使いに変装するというのですから、敵にはみえません。肉の耳に心地いい言葉、罪なんて大したことはない、情欲のまま生きるのは自然のことだ、そんなことはみんながしていることだと吹き込みます。肉のまま生きるように騙します。義のしもべに変装とは、正しいように思わせ、同じようにするよう誘います。このような人は、人間の偉大さに訴え、理性に訴えるので、多くの人を同調させます。しかし、福音は、人の罪が御子を十字架にかけた、悔い改めて、それを信じることです。人間の力を誇る者にはそれが気に入りませんが、信仰告白によって罪赦され、新しい命に生きて行くことができます。
キリストの使徒に変装、光の御使いに変装、義のしもべに変装というのですから、サタンが働いているとか、攻撃しているとかまったく分からないようにしているということです。実際は、人々を通して、クリスチャンに、信じようとしている者に対して、そんなに熱心になるのは良くない、適当にしていればいい、聖書に従うより自分の思うままにしたらいいのに、世の人と同じようにすべきだなどと騙してきます。そうして、聖徒達をイエス様から知らぬ間に引き離し、救いの恵みを失わせます。
そんななめらかな言葉やまことしやかな勧めに騙されてはなりません。ローマ16:17〜18。罪と滅びに向かっていたのが救われて、罪から解放されたのに、また滅びの道に引き戻すなんて愚かです。空しく歩んでいた者がやっと光の中を歩み出したのに、空しさに戻るのですか。苦しく悲惨な人生から救いの恵みに生きるようになったのに、恵みを忘れるなんて悲惨です。そんなこと、断固退けなければなりません。騙されてはいけません。
V−再び奴隷となるか主に似た者と変えられるか−16〜20
にせ使徒の特徴は、自慢することでした。最も愚かな人は、自分の自慢をする人だと言っていたパウロが、すこしばかり自慢しますと言っています。16〜18節。聖徒達が、自慢する人々に惑わされ、騙されていたからです。パウロが自慢することは愚かなことだ、私には自慢することは何もないと言っていたのは、イエス様に出会う前の自分を知っているからです。それを忘れると、私たちも元の肉の自分を誇るようになります。もし肉の自分を誇るようになったら、救いの恵みを忘れて、心がイエス様から離れているかもしれません。サタンの惑わしを受けているのです。
どんなにりっぱな主のしもべだとしても、その中には、罪の性質があります。ですから、キリストのしもべは、立派なことをしても、自分がしたことでなく、主の恵みだと告白します。一方、にせ者は、自分のしたことを膨らまし、誇張します。自慢して人々を引き寄せ、肉に属する人に引き戻そうとするのです。
その肉の誇りに聖徒たちは惑わされ、騙されたのです。にせ者が自分を誇るのは、人々の好感を得た後、いいように扱うためです。19〜20節。「奴隷にされ」とは、せっかくイエス様を信じて救われて、罪や肉の奴隷から解放されたのに、元に戻ってしまい、前よりも酷くなるということです。Uペテロ2:20〜22。「食い尽くされ」とは誰かの欲心のために犠牲になること、「だまされ」とは囚われていて離れることができないこと、「いばられて、顔をたたかれ」というのは、さげすまれて、ひどく扱われるということです。どんな扱いを受けたのでしょうか。みな奴隷扱いです。
「愚か者たちをこらえて」というのは、よくもまあそんな扱いを受け入れているかと責めているのです。ガラテヤ5:1。でも、どうして聖徒たちはそのような奴隷扱いを受けながら、引かれて行くのでしょうか。真理による分別力を持っていなかったからです。どうして知恵も知識もある人たちが騙されるのでしょうか。真理を分別する自由を奪われているからです。どうして素晴らしい救いから離れようとするのでしょうか。救いの代価を自分では払っていないから、簡単に考えるのです。Tコリント6:20。救いの真価が分かったら、離れることはできません。
私たちは、イエス様の尊い十字架の犠牲によって自由にされました。もし、この自由を粗末にするなら、どのようになるでしょうか。自分も知らないうちに元の罪と肉の奴隷に戻ってしまうのです。エペソ2:1〜3。神様に拠り頼み、イエス様の福音に生きることから私たちを引き離そうとすることは、すべて偽りです。今日自分を自慢して、アピールしないと損するかのような時代です。偽りは黙っていては認められませんが、真実は自然に知られるようになります。すでに私のことを主は知っておられます。私には、キリストの真実があります。私たちは、栄光のイエス様に似た者と変えられつつある者です。ピリピ3:21, Tヨハネ3:2。
Uコリント11:10 私にあるキリストの真実にかけて言います。アカヤ地方で私のこの誇りが封じられることは決してありません。
11:11 なぜでしょう。私があなたがたを愛していないからでしょうか。神はご存じです。
11:12 しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。
11:13 こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。
11:14 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。
11:15 ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。
11:16 くり返して言いますが、だれも、私を愚かと思ってはなりません。しかし、もしそう思うなら、私を愚か者扱いにしなさい。私も少し誇ってみせます。
11:17 これから話すことは、主によって話すのではなく、愚か者としてする思い切った自慢話です。
11:18 多くの人が肉によって誇っているので、私も誇ることにします。
11:19 あなたがたは賢いのに、よくも喜んで愚か者たちをこらえています。
11:20 事実、あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、だまされても、いばられても、顔をたたかれても、こらえているではありませんか。
ローマ16:17 兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。
16:18 そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。
Uペテロ2:20 主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。
2:21 義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。
2:22 彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物に戻る」とか、「豚は身を洗って、またどろの中にころがる」とかいう、ことわざどおりです。
ガラテヤ5:1 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
Tコリント6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
エペソ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
ピリピ3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
Tヨハネ3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです
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