2016年7月24日「内なる人は日々新たに」T列王記1:1〜14
序−普通王朝の歴史は、その王の誕生から始まっていますが、列王記は、王の晩年の話しから始まっています。王位継承という歴史ドラマに中に、神様に戻る人と神様から離れる人の姿を通して、私たちに信仰にある人生の確かさを教えてくれます。
T−外なる人は衰えても−1〜4
教会学校の子どもたちのよく知っている英雄ダビデ王の老いた姿から始まっています。1節。問題は、ダビデ王が、年老いて、介護を受けるほどになったにもかかわらず、後継者が公表されていなかったということです。おそらくダビデ王は、神様から次の王はソロモンがならなければならないという指示を受けていたようです。側近は知っており、妻のバテ・シェバにも、次の王はソロモンだと約束しています。13節。
それなのにソロモン王子を公的には次の王だとは公表していません。他の王子と比べて、幼かったからでしょう。後継者問題は慎重にしなければなりません。早く分かればいいということではありません。ダビデは年を取るまで自分が王位を守り、ソロモンが成長して王位に付けるようになるまで守ってあげたということです。年老いても、するべきことがあります。私たちが天に召されるまでするべきことは、何でしょうか。
ダビデは、年を取ったために布団をかけても、体が暖まりせんでした。そこで、家来たちは、若い美しい女性を探して来て、王のそばに置いて身の回りの世話をさせ、体を温めさせることを考えました。2節。「世話をさせ」とは、直訳すれば、「看護師とする」となります。介護的な働きをするためでしたが、かつてバテ・シェバ事件を引き起こしたダビデです。女性問題を引き起こしかねません。聖書も、わざわざ「王は彼女を知ろうとしなかった」と付け加えています。ダビデは、この女性を世話をしてくれる者と受け入れただけでした。
ダビデは、自分の過去を知っています。彼の罪の始まりは、女性問題でした。悔い改めた王は、主のあわれみによって赦されて、その後も王として仕えて来ました。少し前には、アラウナの打ち場を買って、赦しのための祭壇を築いて、いけにえをささげて、悔い改めの時を持ちました。Uサムエル24:21,25。このアラウナの打ち場とは、アブラハムがイサクをささげようとしたモリヤ山です。それは、イエス様の犠牲の示したものです。事実、イエス・キリストが全人類のために十字架にかかられたところです。クリスチャンは、悔い改めて、罪赦された罪人にすぎません。でも、罪を悔い改め、救われるならば、新しい心で、新しい歩みが始まります。Uコリント5:17, エゼキエル36:26。イエス様を信じて、新しい歩みをしましょう。
年老いて、体は衰えていたとは言え、ダビデ王は内なる心は悔い改めて新たになっていました。Uコリント4:16。主の御前にしなければならない事、してはならない事の判断がしっかりしていました。主の御心を第一とし、導きを求め、最後まで用いられることに心注ぎました。私たちも、そのようにしながら年を取りたいですね。
U−野心を抱いたアドニヤ−5〜8
ダビデと対照的なのが、王位簒奪を企てたアドニヤ王子です。ダビデ王が老いて、介護を受けなければならない状態になったと聞いて、アドニヤ王子は、自分が自ら王になろうとしました。5〜6節。彼が王となろうとしたのは、自然なことです。残っている王子の中で最も年長者であり、父ダビデから叱られることも、父を混乱させることもなかったという人です。外見もとてもかっこよかったのです。誰の目にも、アドニヤが次の王にふさわしいと見えたのです。
しかし、イスラエルの王は、自分勝手に王となることはできません。神の民を治める王は、神様によって立てられるべきだからです。神様は、神の民の王を立てる時、外見のかっこよさでは選びません。「人はうわべを見るが、主は心を見る」お方です。羊飼いの家の末っ子であったダビデも、そうして王に選ばれました。Tサムエル16:7。人は、有能でかっこよくてなどで判断するものですが、神様はその心を見るのです。その心とは、信仰の心です。主を慕い求め、主に従う心です。
アドニヤには、その心がありませんでした。彼は、周りからもおだてられ、評価されて、高慢になっていました。「野心をいだき」と訳された言葉は、「自ら高くなる」という原意から、「高ぶり」とも訳されています。高慢になって、こういう自分こそ王になるべきだと野心が大きくなっていたのです。アドニヤは、王子として何もかも手にしていても、精神的には満たされていませんでした。高慢になっていた彼は、心が神様から離れていて、肉の自分に拠り頼み、神様の導きと祝福をまったく求めていなかったからです。肉の思いで考えて、行動したからです。
肉の知恵を誇るアドニヤは、王位簒奪に関して緻密な計画を立てます。7節。ヨアブとは、イスラエル軍の軍団長でした。エブヤタルは、大祭司でした。このような人々を味方につけて、王位簒奪を謀りました。この人たちも、自分の野望に従って、アドニヤを助けました。将軍ヨアブは、ダビデに見放されていたので、権力を挽回したかった。エブヤタルも、大祭司職を独占するために、この謀議に加わったようです。
しかし、ダビデには、神様に忠実な多くの家来がいました。8節。その人たちがその謀議に加わることはなく、ダビデ王権は揺るぎませんでした。ダビデは、家来たちが自分に忠誠でなく、神様に忠実であるようにさせたので、状況がどれだけアドニヤに有利でも、揺さぶられることはありませんでした。私たちにとっても、信仰の友がいることは、本当に大切なことです。御言葉の分かち合いが自分を守ってくれます。
アドニヤたちの特徴は、「自ら高くなる」という高慢です。高慢は、堕落した人間が示す最も根源的な姿です。心が満たされていない者は、高慢になって肉のプライドを持つことで、心を満たそうとします。しかし、私たちが高めなければならない方は、ただ神様お一人だけです。肉の思いになると、自分を神の座に置こうとするのです。アドニヤは、父の意向や神様の御旨に心を向けることは、まったくありませでした。
彼の荒んだ精神が表れているのは、その宴会を開いた場所の名です。ゾヘレテの岩とは、「サタンの岩」という意味です。偶像崇拝の祭壇として用いられた所です。彼の霊性は死んでいました。若く有能で魅力的に見えたアドニヤではあったが、彼の心は神様から遠く離れており、空しい心を王位簒奪で満たそうとしたのです。私たちは、自分の心がどのような状態にあるか顧みることがあるでしょうか。ダビデがモリヤで悔い改めたように、イエス様の十字架の前で目を覚ましているでしょうか。神でないもの、世の何かにあるものによって自ら高くなろうとしていないでしょうか。
V−主のご計画がなる−9〜14
ここに、アドニヤと対照的に、神様の心を悟っていた預言者ナタンが登場します。11節。彼は、アドニヤたちの王位簒奪を防いで、神様が望まれる正しい王を立てなければならない責任がありました。しかし、状況は大変不利です。今イスラエルの情勢はアドニヤに傾いています。神様が定めたソロモン王子はまだ幼く、父ダビデは年をとって、介護を受けていました。そのような状況で、事を間違えば、アドニヤ勢力によってナタンは命を取られてしまうでしょう。
今、一刻を争う状態です。けれども、ナタンは、知恵を尽して、一つずつ進めます。王の決意を正確に引き出すことが重要だと判断しました。そのために、王が状況を的確に把握することが急務です。年取った王が混乱する危険があったので、后のバテ・シェバにまず知らせることにしました。11〜13節。バテ・シェバは、次の王が誰になるかダビデから聞かされていたからです。ダビデと最もよく話しができる者だったからです。
何よりも、王位簒奪で命が危うくなるのが、バテ・シェバと息子ソロモン王子です。命をかけてダビデ王にかからなければなりません。子どものために覚悟をしている母親は強いものです。勿論、細かい駆け引きや計略など無理です。はじめだけ彼女が乗り出せば、後はナタンがすると約束します。14節。神様に用いられる人の姿です。
重要なことは自分自身が出て行かなければなりません。これは、私たちと神様との間でも同じことです。ただ座って自分の祝福を探し求めるのではありません。バテ・シェバは、神様の約束を握って、ダビデの前に出て行きます。私たちも、ただ神様の御言葉を握って、主の御前に出て行くのです。自分が神様の前に出て、祈らなければなりません。そうすれば、私たちの要請を聞いて、御霊が働いて導いてくださいます。
アドニヤの勢力に立ち向かったナタンとバテ・シェバの姿は、自分の力を信じて立つ人々と神様の約束を握って立つ人との違いを見せています。一時期は自分の力を神としている人々が勝利するように見えても、結果的には、神様が勝利します。神様の承諾がすべての判断の元です。
ナタンは最も危険な時に、最も重要なことを考えました。敵に対抗することもなく、悩むこともしません。世は、このような熾烈な戦いが行われている所です。しかし私たちは、その中で力も権力もなくて生きている者です。私たちが神様の御心によって生きて行くならば、神様の御力で守られ、導かれ、用いられて生きることができます。Uコリント4:13〜15。
T列王1:1 ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。それで夜着をいくら着せても暖まらなかった。
1:2 そこで、彼の家来たちは彼に言った。「王さまのためにひとりの若い処女を捜して来て、王さまにはべらせ、王さまの世話をさせ、あなたのふところに寝させ、王さまを暖めるようにいたしましょう。」
1:3 こうして、彼らは、イスラエルの国中に美しい娘を捜し求め、シュネム人の女アビシャグを見つけて、王のもとに連れて来た。
1:4 この娘は非常に美しかった。彼女は王の世話をするようになり、彼に仕えたが、王は彼女を知ろうとしなかった。
1:5 一方、ハギテの子アドニヤは、「私が王になろう」と言って、野心をいだき、戦車、騎兵、それに、自分の前を走る者五十人を手に入れた。
1:6 ──彼の父は存命中、「あなたはどうしてこんなことをしたのか」と言って、彼のことで心を痛めたことがなかった。そのうえ、彼は非常な美男子で、アブシャロムの次に生まれた子であった──
1:7 彼はツェルヤの子ヨアブと祭司エブヤタルに相談をしたので、彼らはアドニヤを支持するようになった。
1:8 しかし、祭司ツァドクとエホヤダの子ベナヤと預言者ナタン、それにシムイとレイ、および、ダビデの勇士たちは、アドニヤにくみしなかった。
1:9 アドニヤは、エン・ロゲルの近くにあるゾヘレテの石のそばで、羊、牛、肥えた家畜をいけにえとしてささげ、王の子らである自分の兄弟たちすべてと、王の家来であるユダのすべての人々とを招いた。
1:10 しかし、預言者ナタンや、ベナヤ、それに勇士たちや、彼の兄弟ソロモンは招かなかった。
1:11 それで、ナタンはソロモンの母バテ・シェバにこう言った。「私たちの君ダビデが知らないうちに、ハギテの子アドニヤが王となったということを聞きませんでしたか。
1:12 さあ、今、私があなたに助言をいたしますから、あなたのいのちとあなたの子ソロモンのいのちを助けなさい。
1:13 さあ、ダビデ王のもとに行って、『王さま。あなたは、このはしために、必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私の王座に着く、と言って誓われたではありませんか。それなのに、なぜ、アドニヤが王となったのですか』と言いなさい。
1:14 あなたがまだそこで王と話しているうちに、私もあなたのあとから入って行って、あなたのことばの確かなことを保証しましょう。」
Uサムエル24:25 こうしてダビデは、そこに【主】のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。【主】が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった。
エゼキエル36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
Uコリント4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
Tサムエル16:7 しかし【主】はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」
ローマ11:34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
Uコリント4:13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。
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