2016年8月14日「悔い改めて赦される恵み」T列王2:26〜46
序−イエス・キリストの救いを信じる人は、罪を悔い改めて赦しが与えられます。いったい赦されるということは、どういうことでしょうか。赦しを受けても、それが分からない人々の姿を通して学びます。
T−エブヤタルの罷免、新しく造り変えられよう−26〜27
まず、アドニヤ王子の陰謀に加担した祭司エブヤタルの処分です。その処分は、祭司長からの罷免だけでした。26〜27節。なぜ、祭司長から罷免されなければならなかったのでしょうか。祭司長は、政治から距離を持たなければなりませんでした。そもそも神様の御心とあわれみを求めて、祈り、礼拝をささげる祭司が、神様の御心があらわれていないのに、強い者の側につこうと、アドニヤ王子の王位簒奪の陰謀に加わったのです。
イエス様の救いを信じた者には、祭司のようにされているという祝福があります。私たちもまた、神様の御心を求めて、御言葉に従って生きることで幸いな者となれます。しかし、まったく神様の御言葉に聞くことなく、肉の思いで考え、行動するなら、恵みは受けられません。エブヤタルは祭司長であり、手を血で汚したわけではなく、ダビデ王に仕えていたので、祭司長の職を解き、故郷へ返されるだけにとどめられました。
このエブヤタルの祭司長罷免は、かつて祭司長エリの家に語られた裁きの成就だと言っています。27節。これは、祭司長エリの息子たちが祭司として不行跡の数々を働き、その裁きの際に言われたことです。Tサムエル12〜36。アブヤタルは、その子孫です。こういうことを聞くと、親や先祖が悪いと子孫まで裁かれるのか、という疑問が生じるでしょう。結局は、ダビデ王とともに労苦していたにもかかわらず、最後に自分の高慢な本性があらわれて、陰謀に加担したということです。
人は、親が悪いから私はこうなったというように、親や誰かのせいにしがちです。私たちは、イエス様を信じた時に、新しい人に造り変えられるという約束を徹底して信じなければなりません。Tペテロ1:3。造り変えられて行くのだと信じるのです。コロサイ3:9〜10。そして、親の良いところは受け継いで、負の遺産は取り除くのです。誰かの悪い影響があるなら、捨てればいいのです。イエス様の尊い犠牲によって救われて、新しく生まれ変った自分として、新しい人生を生きることができるのです。
U−ヨアブの粛清、悔い改めることが大事−28〜31
次に、軍団長であったヨアブ。彼は、イスラエルに多くの勝利をもたらしました。しかし、二人の将軍を平和な時に勝手に殺してしまいました。5節。イスラエルの統一期に、サウル王家の将軍アブネルが降って来ました。難のある人でしたが、ダビデ王は軍隊長として用いようとしました。しかし、ヨアブは、自分の座が揺らぐことを心配し、戦いで弟を殺された恨みもあって、アブネルを虐殺しました。また、ダビデ王がアブシャロムの反乱に加担した将軍アマサと和解しようとした時、ヨアブは自分の地位が危うくなることを恐れ、アマサをだまし討ちにしました。
そんなヨアブをダビデ王がそのままにしていたのは、彼が軍団長としてイスラエル統一には大きな力を持っていたからです。このような人でも、多くの兵士が彼に従っていたからです。ダビデはその間に彼が悔い改め、変わることを期待しました。主は間違いを犯した人でも、難のある人でも、用いてくださいます。エゼキエル18:23。その中で主の御心を悟り、悔い改めるなら、赦されてもっと用いられるようになります。
しかし、悔い改めて、変わることがなければ、除かれる時が来ます。アドニヤ王を勝手に擁立しようとしたところに、悔い改めがないことがあらわになりました。陰謀を企んだにもかかわらず、そのままにされていたのに、事件を起こしました。28節。アドニヤ王子が除かれ、祭司長エブヤタルが罷免されると、次は自分かと恐れて、軽はずみは行動に出たのです。王位簒奪の陰謀が破綻しても、そのままだったのだから、騒ぐ必要はなかったのに、みずから処罰される口実を与えてしまいました。
律法に、誤って罪を犯した場合、赦しを求めていけにえの血を祭壇の角に塗る規定があります。レビ4:7,18,25.30.34。ソロモン王を恐れたヨアブは、祭壇の角をつかんで命乞いをしたのです。なぜ、ヨアブが祭壇の角をつかんでいると聞いて、ヨアブを罰するように命じたのでしょうか。ソロモン王は、ヨアブがまったく悔い改めていないと分かったからです。本当に悔い改めているなら、エブヤタルの罷免を聞いても、恐れることはしなかったでしょう。しかし、彼はまったく悔い改めないで、どうすればソロモン王を王座から降ろすことができるか考えていたので、エブヤタル罷免を聞いて、恐れたのです。ヨアブはあわれみの場に出ましたが、故意に策略を巡らして殺した場合は、適用されませんでした。出1:13〜14。
悔い改めも、神様のくださった恵みとあわれみです。神様に背を向けて自分勝手に生きていたことを知って、悔い改めてイエス様の十字架の犠牲を信じることが、神様の与えてくださった救いの御業です。テトス3:5。これを信じて救われた者は、その後も機会ある度に悔い改める必要があるでしょう。神の御心から離れたり間違ったりしても、悔い改めるところに、さらなる赦しと恵みがあるからです。私たち自身に必要な悔い改めとは何でしょう。素直に悔い改めて、赦しと恵みを受けて生きたいですね。使徒3:19。自分の思いでいっぱいになるのではなく、主の前に悔い改めるなら、赦しを受けて、どんなに清々しい思いになることでしょうか。
V−シムイの除去、赦されたことを忘れないで−36〜37,42〜43
そして、サウル王家の残存勢力であったシムイが取り除かれます。36〜46節。シムイはサウル派閥の代表格でした。ダビデ王がイスラエルを統一したことが、大変不満でした。それで、アブシャロムの反乱の時、逃げるダビデを追いかけ、罵詈雑言を浴びせました。家来たちはすぐに粛清しようとしましたが、サウル王家の残存勢力を配慮してそのままにしました。それに、神様がシムイの罵りを通して、自分の肉と欲の部分を責められたと考えて、甘んじて受けたようです。私たちもそう思ったら、憤慨することもないでしょう。
しかし、ダビデは、シムイが今後その勢力を使ってソロモンを困らせると考え遺言しました。サウル派として、ダビデ王家を恨み続けるはずだからです。ソロモンは、シムイを呼んで、反逆を防ぐためにも、彼の活動範囲を制限しました。36〜37節。もしそれを破ったら殺されると言うと、安易に彼は、よろしい、従いますと答えました。38節。ところが、3年後になって、約束を破ることになります。39〜40節。逃げ出した奴隷を赦すことができなくて、絶対に捕まえるのだという思いでいっぱいになって、ソロモン王との約束をすっかり忘れてしまいました。42〜44節。
悪者の特徴は、処罰されないで赦されたとしても、赦されたことを忘れ、謙遜でいられないということです。初めは静かにしていても、やがてもとの高慢に戻って、人を責め、赦さず、自分勝手に行動するようになります。クリスチャンというのは、イエス様の十字架の犠牲を自分の身代わりだと信じたゆえに、罪赦された者にすぎません。赦された恵みの中を謙遜に生きることが望まれています。私たちは、どうでしょうか。
イエス様のされた例話があります。マタイ18:24〜34。ある主人のしもべが、主人から1万タラントの借金返済を赦してもらったのですが、自分に百デナリの借金のあるしもべ仲間を赦さず、牢に投げ入れました。これを知った主人は、怒って、このしもべを牢に入れてしまいました。本当に神様の赦しを受けた者の特徴は、他の者の咎について寛容にならざるをえません。赦された恵みを覚えて謙遜に過ごすようになります。このしもべは、赦された恵みを忘れてしまったのです。シムイも、自分が赦された存在であることを忘れて、逃げた奴隷を赦さず、捕まえようとして、約束を破ります。
私たちも、神様の御前では罪人です。神様は、私たちの罪を赦して、天国への命を与えて、神の子とされる特権を授け、恵みと祝福を受けながら生きるようにしてくださいました。ですから、私たちは絶対にこのイエス様の救いの恵みの中で生きなければなりません。御言葉の価値観から抜け出さないで、聞き従って生きることが必要です。そうすれば、天国に召されるまで恵みのうちを歩むことができます。
結局、ソロモン王によって粛清された人々は、イスラエルの中で重要な人々でしたが、傲慢な人々でもありました。赦しを受けても、悔い改めることも、変わることがなく、処罰されてしまいました。ローマ2:4〜5。エブヤタルは、先祖からの傲慢な性質が変わることがありませんでした。権力欲の強いヨアブは、競争者を絶対に受け入れませんでした。シムイは、王にした間違いを考えることなく、逃亡奴隷を罰することばかり考えていました。彼らは、赦された身であることを顧みませんでした。
私たちは、赦された罪人として、最後まで主の前に謙遜に生きたいのです。赦しの恵みとあわれみを受けたのですから、他の人を受け入れて行くのです。十字架のゆえに受けた尊い赦しの恵みの中で生きて行きましょう。どうかイエス様を信じて、赦しの恵みを受けてください。使徒2:38。
T列王2:26 それから、王は祭司エブヤタルに言った。「アナトテの自分の地所に帰りなさい。あなたは死に値する者であるが、きょうは、あなたを殺さない。あなたは私の父ダビデの前で神である主の箱をかつぎ、父といつも苦しみを共にしたからだ。」
2:27 こうして、ソロモンはエブヤタルを【主】の祭司の職から罷免した。シロでエリの家族について語られた【主】のことばはこうして成就した。
2:28 この知らせがヨアブのところに伝わると、──ヨアブはアドニヤについたが、アブシャロムにはつかなかった──ヨアブは【主】の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ。
2:29 ヨアブが【主】の天幕に逃げて、今、祭壇のかたわらにいる、とソロモン王に知らされたとき、ソロモンは、「行って、彼を打ち取れ」と命じて、エホヤダの子ベナヤを遣わした。
2:30 そこで、ベナヤは【主】の天幕に入って、彼に言った。「王がこう言われる。『外に出よ。』」彼は、「いやだ。ここで死ぬ」と言った。ベナヤは王にこのことを報告して言った。「ヨアブはこう言って私に答えました。」
2:31 王は彼に言った。「では、彼が言ったとおりにして、彼を打ち取って、葬りなさい。こうして、ヨアブが理由もなく流した血を、私と、私の父の家から取り除きなさい。
2:32 【主】は、彼が流した血を彼の頭に注ぎ返されるであろう。彼は自分よりも正しく善良なふたりの者に撃ちかかり、剣で彼らを虐殺したからだ。彼は私の父ダビデが知らないうちに、ネルの子、イスラエルの将軍アブネルと、エテルの子、ユダの将軍アマサを虐殺した。
2:33 ふたりの血は永遠にヨアブの頭と彼の子孫の頭とに注ぎ返されよう。しかし、ダビデとその子孫、およびその家と王座にはとこしえまで、【主】から平安が下されよう。」
2:34 エホヤダの子ベナヤは上って行って、彼を打ち取った。彼は荒野にある自分の家に葬られた。
2:35 王はエホヤダの子ベナヤを彼の代わりに軍団長とし、王は祭司ツァドクをエブヤタルの代わりとした。
2:36 王は人をやって、シムイを呼び寄せ、彼に言った。「自分のためにエルサレムに家を建てて、そこに住むがよい。だが、そこからどこへも出てはならない。
2:37 出て、キデロン川を渡ったら、あなたは必ず殺されることを覚悟しておきなさい。あなたの血はあなた自身の頭に帰するのだ。」
2:38 シムイは王に言った。「よろしゅうございます。しもべは、王さまのおっしゃるとおりにいたします。」このようにして、シムイは長い間エルサレムに住んだ。
2:39 それから、三年たったころ、シムイのふたりの奴隷が、ガテの王マアカの子アキシュのところへ逃げた。シムイに、「あなたの奴隷たちが今、ガテにいる」という知らせがあったので、
2:40 シムイはすぐ、ろばに鞍をつけ、奴隷たちを捜しにガテのアキシュのところへ行った。シムイは行って、奴隷たちをガテから連れ戻して帰って来た。
2:41 シムイがエルサレムからガテに行って帰って来たことは、ソロモンに告げられた。
2:42 すると、王は人をやって、シムイを呼び出して言った。「私はあなたに、【主】にかけて誓わせ、『あなたが出て、どこかへ行ったなら、あなたは必ず殺されることをよく承知しておくように』と言って警告しておいたではないか。すると、あなたは私に、『よろしゅうございます。従います』と言った。
2:43 それなのに、なぜ、【主】への誓いと、私があなたに命じた命令を守らなかったのか。」
2:44 王はまた、シムイに言った。「あなたは自分の心に、あなたが私の父ダビデに対してなしたすべての悪を知っているはずだ。【主】はあなたの悪をあなたの頭に返されるが、
2:45 ソロモン王は祝福され、ダビデの王座は【主】の前でとこしえまでも堅く立つであろう。」
2:46 王はエホヤダの子ベナヤに命じた。彼は出て行って、シムイを打ち取った。こうして、王国はソロモンによって確立した。
Tペテロ1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
コロサイ3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、
3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
エゼキエル18:23 わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。──神である主の御告げ──彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。
テトス3:5 神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
使徒3:19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
出1:13 ただし、彼に殺意がなく、神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに彼ののがれる場所を指定しよう。
21:14 しかし、人が、ほしいままに隣人を襲い、策略をめぐらして殺した場合、この者を、わたしの祭壇のところからでも連れ出して殺さなければならない。
ローマ2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。
2:5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。
使徒2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
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