2016年8月21日「霊的洞察力、聞き分ける心」T列王3:1〜28

序−複雑で急速に変化する現代社会にあって、知恵や力が必要とされています。仕事や責任であれば、なおさらでしょう。でも、自分には知恵がないと多くの人が思っています。本当に知恵がないのでしょうか。イエス様を信じたなら、罪の赦しと天国への命が与えられるだけでなく、真の知恵が与えられると言うのです。この驚くべき恵みについて学びましょう。

T−ソロモンの礼拝−1〜4
 聖書で、知恵のある人と言えば、ソロモン王が有名です。イスラエルの王となったソロモンは、まず何に取りかかったのでしょうか。1節。都の整備にとりかかりました。国の防備と安定のために、王宮と神殿、城壁を整えることにしました。このような都の防備と首都機能の整備に取り掛かるのは、知恵ある王としては当然だ、という印象を与えることでしょう。
 そして、エジプト王の娘を王妃として迎えます。まさに政略結婚です。これは、ソロモンが国際的にも認められて、最も強く豊かな国エジプトとの同盟国となったということです。こうして、国の安定を内外に示しました。一般的な観点からすれば、さすがだと思わせるところです。
 しかし、これだけでは本当の知恵とは言えません。世の知恵のある王様なら当たり前です。へたをしたら、急激な整備事業は国民を疲弊させ、エジプトの偶像崇拝の影響を受けるでしょう。私たちも、仕事や生活において知恵を必要とし、技能や知識などを求めるでしょう。それも、必要なことですが、もっと大切な、なくてはならないものを求めなければなりません。マタイ6:33。ソロモン王は、この後どうしていますか。3〜4節。
 政権確立期の忙しいときに、尋常ではない量のささげものをしました。数多くの礼拝をささげ、繰り返し祈ったということです。王としての職務をし始め、諸外国との交流、公共工事の指揮、役人との折衝など多くの仕事が必要だったでしょう。しかし、彼はそれらのことよりも、主の前に祈ることに専念したのです。ソロモンがこのようにした理由は、自分の頭だけで国を統治するのでなく、神様によって治められることを願ったのです。ソロモンくらいの知恵があるなら、神様に頼ることもないのではいかと考えるでしょうか。自分は、知恵や力がないから神様に頼るとでも言うのでしょうか。知恵や力があるから神様に祈り、導きを求めなければなりません。知恵や力があれば、それだけ肉的に使う危険があるからです。もちろん、知恵や力が欠けていると思うならば、なおのこと祈って求めなければなりません。ヤコブ1:5。知恵を求めれば与えると約束しています。

U−神様の応答−5〜15
 ささげ終わった日の夜、神様は夢にあらわれて、「あなたに何を与えようか。願え」といわれました。5節。礼拝をささげて祈っていたソロモンの欲しいものを願いなさいというのです。神様は王に問うておられるのでしょう。イエス様が物乞いの盲人に対して、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられたことがありました。その時、「物乞いだから、お金がほしいに決まっているじゃないか」とかなどとは言いません。その人は、「主よ。目が見えるようになることです」と答え、癒されました。その時、イエス様は「あなたの信仰が直した」と言われました。ルカ18:35〜41。
 私たちは、自分の考えや思いでいっぱいになり、果たして自分が誰の前に、どんな目的で祈っているのかあやふやになるのです。私たちも、真実に礼拝をささげ、熱心に祈りながら、「あなたに何を与えようか。何をしてほしいのか」という主の御声を聞く必要があります。もし、そういう信仰の備えがなくて、「何でもほしいものを願え」と言われたら、おそらく「自分のために長寿や富を求めず、敵のいのちをも求めるでしょう。11節。神様が尋ねられたのは、ソロモンの信仰を試していると言えます。
 ソロモンが求めたことは、何でしょう。7〜9節。私たちが祈り求めることが、神様の御心と一致するなら、神様の奇跡的応答があるというのが、御言葉の約束です。Tヨハネ5:14。ソロモンはなぜ多くのいけにえをささげることになったのでしょうか。彼が祈っていなかったわけではありません。知恵も求めたことでしょう。でも、どんな種類の知恵だったのか。王としての権力や能力を求めたでしょう。私たちも、仕事や生活において知恵や知識を必要とし、能力や技能を求めているでしょう。でも、祈っていないことがあります。ソロモン王も、祈っていないことがありました。
 祈り進めて行くに連れて、そういうことでは神の民を治めて行くことはできないと思うようになったのです。人より遥かに知恵のある自分も、「小さい子ども」のような者だと知るようになりました。イスラエルの王は、民に神様の御言葉に従って生きるように導く者でなければなりません。王みずから神様の御心を求めなければなりません。6節。
 そこで、「あなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください」と答えました。「聞き分ける心」とは、聞いて信仰的に判断できる洞察力ということです。御言葉によって、物事を霊的に捉えることができる心ということです。どんなに頭がよくても、知識や知恵があっても、信仰がなければ、物事を霊的に捉えることはできません。
 このソロモンの願いは、神様の御心に適うものでした。そして、神様はソロモン王が願った通り、「知恵の心と判断する心とを与える」だけでなく、「願わなかった富と誉れも与える」と約束してくださいました。10〜13節。こうして、神様から信仰によって霊的洞察力「聞き分ける判断力」が与えられました。
 私たちも、「聞き分ける心」をくださいと願い求めます。実は、イエス様を信じて、御言葉に聞き従う者には、「真の知識と識別力によって見分ける」力が与えられると約束されています。ピリピ1:8〜10。それは、「霊的な知恵と理解力」と言います。コロサイ1:9。御言葉は知っているだけでは、ただ知識です。肉の思いでは活用されません。御言葉が霊的洞察力によって用いられて行くところに、神様の驚くべき恵みと力が現れて来るのです。御言葉が真の知識となって行きます。生きた御言葉に生かされるということになります。
 ソロモンは、多くのいけにえをささげましたが、イエス様が私たちの罪の赦しと新しい命のために、ご自分がいけにえとなられました。ただ一度ご自分を犠牲としてささげられ、ご自分の血によって私たちを救ってくださいました。ヘブル9:12,10:10。ですから、私のために犠牲を払って救ってくださったイエス様を信じることで、信仰をもって祈り願うなら、霊的識別力、見分ける力、知恵と理解力を与えられるのです
 私たちの間にも、肉の思いが横行したり、御言葉が知識としてだけ持ち出されたりするかもしれません。仕事をして行くにも多くの霊的な知恵と理解力が必要です。人間関係には、聞き分ける判断力が必要です。私たちにはないのではなく、与えられるのです。イエス様の尊い犠牲によって救われた私たちには、神様の愛が注がれています。どうか信仰によって神様の御心を悟ることができますように、霊的洞察力が養われて働くことができますように祈ります。
 経験していることは強いです。だからと言って、適切な対応ができるかとはかぎりません。ソロモンは、おびただしい民の様々なことについて、まったく経験がありませんが、霊的洞察力をもって、対処して行くことになります。多くの人々は、経験だけで生きていると言われます。私たちが御言葉の適用を考えたり、神様の御心を求めたりしないならば、経験だけで対処しているにすぎません。ですから、私たちは、霊的洞察力をもってあらゆる場面に臨みたいのです。

V−ソロモンの裁判−16〜28
 ソロモンの霊的洞察力、「聞き分ける心」が試される機会が訪れました。16〜38節。同じ家に住んでいる二人の女が、同じ頃に子どもを産んだが、一人の方の子どもが死んでしまい、二人とも残った子どもが私のだと言い張り、王の裁きに委ねられました。当事者でなければ到底分かりません。でも、王は問題の本質を見ました。自分の子が死んでしまった母親のねたみです。王は子どもを二つに切って分けろと命ずると、嘘を言う女は、子どもを断ち切れと言い、母親は、子どもをその女にあげてくださいと言うのです。そこに真実があらわれました。妬んで嘘を言う女は、ソロモン王の心理作戦に引っかかってしまいました。
 なぜ、私たちが世を生きている中で、霊的洞察力が必要であるのか、様々な出来事に出会いながら知るようになります。社会で仕事をし、生活して行く中で、どう判断していいか分からないことも多いです。経験していない問題にも次々と出会います。足りない知恵や経験だけでは適切に対処できません。多くあっても、肉の思いが判断を曇らせてしまいます。悩んで、憂いに沈むこともあります。ですから、私たちは神様の御心を求めて、御言葉の原理を握って出て行くのです。そうすれば、神様が私たちを悟らせてくださいます。事の本質が見えて来ます。心が整い、癒されます。
 イエス・キリストは、私たちの贖い主だけでなく、私たちの知恵となられました。Tコリント1:30。聖霊は知恵と悟りの霊です。イザヤ11:2。ですから、知恵と聞き分ける心は、イエスを信じて、聖霊の満たしを受けて、御言葉を黙想することで豊かに得ることができます。本当に感謝なことです。霊的洞察力を与えてくださいと祈りましょう。コロサイ1:9。



T列王3:1 ソロモンはエジプトの王パロと互いに縁を結び、パロの娘をめとって、彼女をダビデの町に連れて来、自分の家と【主】の宮、および、エルサレムの回りの城壁を建て終わるまで、そこにおらせた。
3:2 当時はまだ、【主】の名のための宮が建てられていなかったので、民はただ、高き所でいけにえをささげていた。
3:3 ソロモンは【主】を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。
3:4 王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこは最も重要な高き所であったからである。ソロモンはそこの祭壇の上に一千頭の全焼のいけにえをささげた。
3:5 その夜、ギブオンで【主】は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
3:6 ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。
3:7 わが神、【主】よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。
3:8 そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。
3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
3:10 この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。
3:11 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、
3:12 今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。
3:13 そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。
3:14 また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」
3:15 ソロモンが目をさますと、なんと、それは夢であった。そこで、彼はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげ、すべての家来たちを招いて祝宴を開いた。
3:16 そのころ、ふたりの遊女が王のところに来て、その前に立った。
3:17 ひとりの女が言った。「わが君。私とこの女とは同じ家に住んでおります。私はこの女といっしょに家にいるとき子どもを産みました。
3:18 ところが、私が子どもを産んで三日たつと、この女も子どもを産みました。家には私たちのほか、だれもいっしょにいた者はなく、家にはただ私たちふたりだけでした。
3:19 ところが、夜の間に、この女の産んだ子が死にました。この女が自分の子の上に伏したからです。
3:20 この女は夜中に起きて、はしためが眠っている間に、私のそばから私の子を取って、自分のふところに抱いて寝かせ、自分の死んだ子を私のふところに寝かせたのです。
3:21 朝、私が子どもに乳を飲ませようとして起きてみると、どうでしょう、子どもは死んでいるではありませんか。朝、その子をよく見てみると、まあ、その子は私が産んだ子ではないのです。」
3:22 すると、もうひとりの女が言った。「いいえ、生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子です。」先の女は言った。「いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子です。」こうして、女たちは王の前で言い合った。
3:23 そこで王は言った。「ひとりは『生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子だ』と言い、また、もうひとりは『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ』と言う。」
3:24 そして、王は、「剣をここに持って来なさい」と命じた。剣が王の前に持って来られると、
3:25 王は言った。「生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい。」
3:26 すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。「わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。」しかし、もうひとりの女は、「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください」と言った。
3:27 そこで王は宣告を下して言った。「生きている子どもを初めの女に与えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」
3:28 イスラエル人はみな、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。



ヤコブ1:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

ルカ18:35 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。
18:41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。

Tヨハネ5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

ピリピ1:8 私が、キリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。
1:9 私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
1:10 あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、
1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。

コロサイ1:9 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。

ヘブル9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
10:10 このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。

マタイ6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

Tコリント1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。

イザヤ11:2 その上に、【主】の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と【主】を恐れる霊である。

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