2016年9月18日「画竜点睛」T列王記6:1〜38

序−私たちは、何かをする時、それを熱心にすることが目的となってしまい、何のためにそれをするのかを忘れ、何が重要なのかを考えないまま動き回ることがあります。ソロモン王も、神殿を素晴らしく完成させることに精力を注いでいたのですが、その大事な意味を忘れていたようです。

T−天幕と比べて−
 イスラエルの民は、エジプトを出て以来長い間、移動が可能な天幕で礼拝をしていたのですが、カナンに入って定住して行くと、神様の宮だけが遊牧民のような天幕でいいのだろうかと思うようになりました。王国が安定するに至って、神殿を建てることになりました。1節。天幕が神殿となっても、至聖所、聖所、いけにえをささげる所などは、そのままでしたが、広さは天幕の2倍、より派手になり、様々なものが加えられました。天幕の単純さは失われ、霊的な後退があらわれて来ました。どんな意図があって、天幕と違うものになったのでしょうか、外見を変えることによって、イスラエルの民の意識にどんな変化が生じたのでしょうか。
 父ダビデ王の後を引きついだソロモンは、神殿建設に並々ならぬ力と思いを注いでいました。熱心に一所懸命でした。その結果、天幕と比べて派手に複雑になりました。天幕と違う顕著な例は、神殿の壁に3階立てになる脇屋、回廊を作ったことです。5〜6,8,10節。上に行けば行くほど広がっている構造です。脇屋は、小さい部屋に分けられていました。祭司たちがそこに用具を置いたり、休んだりするためだったのでしょう。
 神殿を大きくし、派手に複雑にしながら、天幕にはなかった脇屋と脇部屋を自分達の都合で作ったのです。やがて、聖所に入らないで、脇部屋にだけに入って、帰って行く祭司も出て来るようになりました。私たちが、仕事や何かで一生懸命になることがあります。熱心なあまりに、必要のないことまでし過ぎて、体を害したり、家庭を混乱させたり、弊害をもたらすことがあります。誰かのため、何かのためという思いが、いつしか自分の考えや欲を追求していたということもあります。
 ソロモンは、神殿の内側の壁も天井も床も杉の板で張りました。15節。その板には、模様が浮き彫りにされて、中の石は見えませんでした。18節。そして、その上に金をかぶせました。20〜22節。とにかく煌びやかな、派手な内装となりました。でも、天幕と比べれば、必要のないものでした。いつしかそのような神殿で礼拝するイスラエルの民は、自分たちが元々立派な民だと思うようになりました。
 ソロモンは、素晴らしい神殿と内装にしなければと考えても、神様がそれを望まれるだろうかとは考えませんでした。平凡で簡素であった天幕に、神様の祝福がありました。クリスチャンライフは、シンプルライフです。私たちも、自分なりの熱心だけで進むと、同じようなことが起こります。自分では良いと思い、必要だと考えるけれども、周りはどうか、何よりも神様の御旨はどうかを考えない危険があります。
 天幕は、この世はしばらく過ごしてやがて離れる所だから、世にあまり深く囚われないで、いつでも世を離れる準備をしていなさいというメッセージになっていました。Uコリント5:1,4。しかし、壮麗な神殿を建てると、世に対する欲が強く生じるようになりました。人は、世に生きながら、世の様々なことに心が奪われ、所有したものに囚われて行きます。いつの間にか何のために生きて、何を目的として働いて、何を大切にすべきかを忘れてしまう愚を冒す危険があります。

U−神様よりも神殿建築が?−
 大事なもの、大切にすべきことは何でしょうか。どんなに立派な荘厳な神殿を建てたとしても、肝心なものがなければ、それはただの空の入れ物です。そこで、神様は、ソロモンに再び命令しました。11〜13節。神様は、ソロモンに、神殿を建てることがすべてではない、建てること自体が目的ではないということを教えました。「神様の定めを行い、すべての命令を守り、それによって歩むなら、イスラエルとともにいて、捨てない」と約束されました。つまり、神の民が、神様の御言葉を守り、御言葉によって生きて行くことが神殿建設の目的なのです。
 ソロモンは、神殿建設の指導や推進に対する興味が強く、建築や博物学の知識や知恵に優れていたので、御言葉を深く思うより、大事業を成し遂げること自体に心が向くようになりました。素晴らしい神殿を建てることに力と知恵を傾け、自分たちを愛して、助けて導いてくださる神様を覚えて、御言葉に聴き従って生きるために神殿を建てるのだということを忘れてしまう危険がありました。それは、画竜点睛を欠くことです。パソコンのハードウェアーばかり優れていても、中に入っているソフトウェアーが貧弱だったら、どうでしょう。外形的神殿より重要なのは、神の民が、本気で神様に仕えて、御言葉に従って生きて行くことです。
 現代でも、クリスチャンはみな会堂を建てることに心を傾け、一生懸命になります。しかし、教会堂はりっぱだとしても、その中に生きた御言葉がなかったら、聖霊の満たしがないとしたら、どうでしょう。会堂を建てても、そこに真実な礼拝がささげられなければ、意味がないでしょう。傷付き、迷いながらも主を求め、主をあがめ、主に感謝して礼拝する民がいてこその会堂です。神様がソロモンに神殿を建てさせたのは、最高の祝福です。今日神殿を建てるということは何でしょう。神様の御言葉で信仰共同体を建てて行くことです。これが最高に重要です。
 神様が、イスラエルの民に神殿を建てさせたのは、彼らの自己満足のためにではなく、異邦人伝道のため、イスラエルの信仰の証しがされるためでもありました。多くの異邦の民がエルサレムに来て、礼拝しようとする時、彼らが受け入れ易い姿に変える必要がありました。あきる台BCがこの地で始まった時、その借家は地域の人々から教会堂とは見られませんでした。自分たちが礼拝をするためだけでなく、この地への証しのための会堂でもあります。そして、何よりも、そこに集まって礼拝をささげる聖徒たちが、どのような人々かということが、何よりも大切な証しでした。

V−イエス様を心の王座に!−
 私たちは、「神の神殿であり、神の御霊が宿っている」存在であると教えられています。Tコリント3:16。御霊についてよく分からないかもしれません。イエス様は「父はもう一人の助け主をあなたがたに送ります。その方は真理の御霊です。あなたがたとともに住み、うちにおられる」と言われました。ヨハネ14:16〜17。「もう一人の」とは、イエス様と双子のようなという意味です。御霊は、イエス様そのものということです。「助け主」とは、私たちのそばにいて助けてくださり、励まし、弁護してくださるお方だという意味です。このお方が、私たちを養い、訓練し、肉と罪の悲惨から解放して、自由と幸福の人生へと導くためのコーチなのです。
 ところが、主の御霊が自分の内に住んで、助けて、導いてくださることを知らないなら、無視しているなら、住んでいないのと同じになってしまします。画竜点睛を欠くことになります。Tコリント3:1〜3では、クリスチャンではあっても、ねたみや争いがあるなら、肉に属している人ではありませんかと言われています。御霊に属しているなら御霊の人となって歩むのですが、肉に属しているので、互いにねたみ、争い、裁き合うのです。絵画的に描くなら、御霊が心に住んでいていても、心の王座にイエス様を迎えていないという姿です。信じて救われたとしても、御霊にイエス様に心の王座に座っていただかなければ、肉に属する人となるのです。
 ローマ8:2〜5を見て下さい。「キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放した」と宣言しています。これがイエス様の十字架を信じて救われた結果です。私たちは、罪と死の原理に生きているのでしょうか。それとも、命の御霊の原理に生きているのでしょうか。パリサイ人は肉の思いで生きようとした典型的な人々でしたが、その立派な生活は外側だけの宗教的な生活でした。今日も多くのクリスチャンが、そんな姿になって頭の理解だけの信仰で生きています。
 イエス様を心の王座に迎えて下さい。恵みの生活が始まります。驚くべき変化が現われます。深かった傷が癒されます。劣等感や敗北感から解放されます。人生の虚しさから救われます。喜びや安らぎ、希望が生じて来ます。御霊に満たされるようにして下さい。肉の原理に生きる生活と全く違うものになります。人の見方が変わります。行動規範が変わります。人生の価値観が変わります。肉の原理、罪の原理で人を受け止め、家庭や人生をとらえるのではなく、御霊の原理で人を受け止め、御霊に導かれて人生を歩む人になります。御霊によって生き生きとした命に生きる者となります。これが、御霊とともに歩む信仰生活です。
 肉に従う人は、肉の思いですべてのことをとらえ、いつも肉の原理で行動します。人の失敗や欠点を見つけると、責めます。自分の気に入らないと批判します。ところが、御霊に従う人は、気に入らないことに出会っても、どうしてそうなったのかなと考え、主に聞きます。人の失敗や欠点を見つけても、祈り支えようとします。イエス様を心の王座に迎えた人は、一日中行動しながらも、イエス様のことを考え、イエス様と一緒に生活します。聖さと愛、平和と霊的成長に役立つことをもっぱら求めるようになります。御言葉に聞き従う信仰生活を歩むようになります。



T列王記6:1 イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは【主】の家の建設に取りかかった。
6:2 ソロモン王が【主】のために建設した神殿は、長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトであった。
6:3 神殿の本堂の前につく玄関は、長さが神殿の幅と同じ二十キュビト、幅が神殿の前方に十キュビトであった。
6:4 神殿には格子を取りつけた窓を作った。
6:5 さらに、神殿の壁の回り、つまり、本堂と内堂の回りの神殿の壁に脇屋を建て増しし、こうして階段式の脇間を造りめぐらした。
6:6 脇屋の一階は幅五キュビト、二階は幅六キュビト、三階は幅七キュビトであった。それは、神殿の外側の回りの壁に段を作り、神殿の壁を梁でささえないようにするためであった。
6:7 神殿は、建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれなかった。
6:8 二階の脇間に通ずる入口は神殿の右側にあり、らせん階段で、二階に上り、二階から三階に上るようになっていた。
6:9 彼は神殿を建て、これを完成するにあたって、神殿の天井を杉材のたるきと厚板でおおった。
6:10 神殿の側面に脇屋を建てめぐらし、その各階の高さは五キュビトにして、これを杉材で神殿に固着させた。
6:11 そのとき、ソロモンに次のような【主】のことばがあった。
6:12 「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。
6:13 わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」
6:14 こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成した。
6:15 彼は神殿の内側の壁を杉の板で張り、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側を板で張った。なお神殿の床はもみの木の板で張った。
6:16 ついで、彼は神殿の奥の部分二十キュビトを、床から天井の壁に至るまで、杉の板で張った。このようにして、彼は神殿に内堂、すなわち、至聖所を造り上げた。
6:17 神殿、すなわち、前面の本堂の長さは四十キュビトであった。
6:18 神殿内部の杉の板には、ひょうたん模様と花模様が浮き彫りにされており、全部、杉の板で、石は見えなかった。
6:19 それから、彼は神殿内部の奥に内堂を設け、そこに【主】の契約の箱を置くことにした。
6:20 内堂の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金をこれに着せた。さらに杉材の祭壇にも純金を着せた。
6:21 ソロモンは神殿の内側を純金でおおい、内堂の前に金の鎖を渡し、これを金でおおった。
6:22 神殿全体を、隅々まで金で張り、内堂にある祭壇もすっかり金をかぶせた。
6:23 内堂の中に二つのオリーブ材のケルビムを作った。その高さは十キュビトであった。
6:24 そのケルブの一方の翼は五キュビト、もう一方の翼も五キュビト。一方の翼の端からもう一方の翼の端まで十キュビトあった。
6:25 他のケルブも十キュビトあり、両方のケルビムは全く同じ寸法、同じ形であった。
6:26 一方のケルブは高さ十キュビト、他方のケルブも同じであった。
6:27 そのケルビムは奥の神殿の中に置かれた。ケルビムの翼は広がって、一つのケルブの翼は一方の壁に届き、もう一つのケルブの翼はもう一方の壁に届き、また彼らの翼は神殿の真ん中に届いて翼と翼が触れ合っていた。
6:28 彼はこのケルビムに金をかぶせた。
6:29 神殿の周囲の壁には、すべて、奥の間も外の間も、ケルビムの彫刻、なつめやしの木と花模様の彫り物を彫った。
6:30 神殿の床には、奥の間も外の間も、金をかぶせた。
6:31 彼は内堂の入口を、オリーブ材のとびらと五角形の戸口の柱で作った。
6:32 二つのオリーブ材のとびらである。彼はその上に、ケルビムの彫刻と、なつめやしの木と花模様を彫り、金をかぶせた。ケルビムと、なつめやしの木の上に金を延ばしつけたのである。
6:33 同じように、本堂の入口にも四角形のオリーブ材の戸口の柱を作った。
6:34 もみの木の二つのとびらである。一方のとびらの二枚の戸は折りたたみ戸、片方のとびらの二枚の戸も折りたたみ戸であった。
6:35 彼はケルビムと、なつめやしの木と花模様を彫りつけ、その彫り物の上に、ぴったりと金を張りつけた。
6:36 それから、彼は、切り石三段、杉角材一段の仕切りで内庭を造った。
6:37 第四年目のジブの月に、【主】の神殿の礎を据え、
6:38 第十一年目のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった。




Uコリント5:1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
5:4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。

Tコリント3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

Tコリント3:1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。
3:3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

ローマ8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

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